若冲の弟子作品?家康、信長の直筆サイン!わくわく寺宝ワールド!
そんな見方が許されるのかどうか、いや案外これでいいのかも。「相国寺・金閣・銀閣 宝物展 梅の余薫 相国寺の歴史と寺宝」内覧会で、わくわく寺宝ワールドに心躍ってしまった。
記者発表で「相国寺の寺宝って、総数で何点あるんでしょう?」と質問した大胆不敵な新聞記者さんがおられたが、(学芸員のお答えは「調査中です」)京都の超ブランド古刹の寺宝たるや、膨大にしてプライスレス。展覧会ではそれを浅学な私のような者にも楽しく見せていただけるようにキュレーションしていただいているわけである。そんなお心遣いに甘えて、ついつい脳内にベタなキャッチが立ちまくる。以下、ベタキャッチで強引まとめ。

あの若冲に弟子がいた!?
相国寺百十五世、維明周奎筆「雲梅・雪梅図」。若冲に画技を学んだといわれる。若冲は人間嫌いでコミュ障だったのでは?という説もあるが、そんな偉い弟子がいたとは。この枝振りから若冲エッセンスを嗅ぎとってみたい。

若冲が、なぜ生前に立派なお墓建立?
と思ったら若冲さん、やっぱりちょっと変わった人ではあった。50代で、生きているうちから墓を建立(相国寺の塔頭、松鷗庵)していたそうだ。墓石には大典禅師の銘文が。お墓の本家は伏見稲荷大社の近くの石峰寺に、そしてもう1つ相国寺にもお墓があり、こちらは足利義政、藤原定家とセレブ並びとなっている。「お墓のない人生は、はかない人生」(©️河波忠兵衛)どころか、お墓ありすぎ人生だ。

奇想っぷり若冲超え。一休の梅図にゾワ!
エキセントリックなキャラでレジェンド多数の一休宗純画讃「梅図」。これはもう「奇想」みたいな括りを超えて、無重力圏に持っていかれるぶっ飛びよう。ちょっとメランコリックな漢詩の画讃がついているが、意味通りにとってよいのか意味深で、観る者を言葉と絵の間に何度も彷徨わせる。これが画讃の楽しみか。いや〜〜〜トラウマ級だわこれは。思い出すたんびにゾワゾワ来る。
某所で発覚! 一休「梅図」を探幽がパクり??

これ書いた3日後、偶然に、某所で所蔵されている伝探幽の梅の絵に遭遇。明らかに一休「梅図」の模写だとおもわれるが、江戸時代に流行った描きかただったのか?謎が深まる。

家康、織田信長のハンコ、署名入り事務書類もお宝入り
日本の歴史に残る政治経済の出来事と深く関わり、しかも関わった人たちがのちに歴史の教科書に載るような偉人たちだったので、当時交わされた事務書類も寺宝として伝えられている。「伏見大光明寺勧進帳」は、工費を寄進した全国の武将の自著と花押(グラフィティみたいなサイン)が並んでいるが、その筆頭は江戸大納言徳川家康。ほかにも織田信長のハンコ付き書類、朱印状も。
80年代ニューヨークでアンディー・ウォーホルと仕事したことのある某編集者さんが、謝礼の領収書にサインしてもらったそうで「ウォーホルのサイン入りのあの領収書、経理に出さなきゃよかった」と嘆いておられたが、その通りです。床の間に恭しく掛けられてる掛け軸が、よくみたら礼状や発注書、納品書だったりしますわな。皆さんも、まかり間違って歴史に名を残してしまうと、書類がのちに床の間に飾られるかもなので、せいぜい請求書は丁寧に書こう。

「金閣を作った男」にご対面!
重要文化財「足利義満像」(写真奥)はよく知られているが、その三次元ヴァージョン 足利義満像があるとは知らなかった。自身の毛髪入りの筒が像内に収められていた。金閣で客をもてなした大スケールの施主。棟梁たちとどんな会話があったのか。

着物を着た茶壷、可愛すぎる仁清グラフィック
あれーこれ可愛い。格子柄に梅。耳がついてるから茶壷ですと言いながら、もう着物以外のなんでもない仁清グラフィック。「KIMONO姫」な乙女な柄は、そのまんまテキスタイルの柄にしたい。
展覧会は「梅の余薫」「相国寺の歴史と寺宝」の二部構成。脳内に浮かんだキャッチのまま、ランダムな紹介で失礼いたしました。
