掌編|波の音(850字) #シロクマ文芸部
波の音?
スマホで録音した取材音声を再生したとき、海の映像が浮かんだ。
いや、そんなわけはない。
この音声は、伝統芸能俳優のインタビュー音声のはずだ。
誤作動か。違うボタンをタップしていたのか。
血の気が引いていく。
だけど俺は取材中、目の前に置いたスマホの画面が、録音中の波形を示しているのをチラチラと認めていた。
スリープ機能はオフにしていたし、電話がかかってこないように機内モードを選んでいた。
失敗するわけがない。
俺は録音に任せてメモの1つもとっていない。
取材は1ヶ月も前だった。原稿の締め切りは明日。
取材相手は、「超」がつく大御所。
録音をミスったなんて誰にも言えない。
30分の音声は最後まで波の音だった。
だが、イヤホンをして耳を澄ますと、ボソボソと遠くで話し声がする。
俺はあらゆるイコライザーアプリを試した。
なんとか音声を拾えないだろうか。
あるアプリで、波の音が一変した。
ザッ、ザッ、ザクッ。ザッ、ザッ、ザクッ。
それと、おそらく、男のうなり声。
全身に鳥肌がたった。
これはダメだ。聞いてはいけない。
俺は震えながら、朧げな記憶にある彼の言葉を紡いで、原稿を仕上げた。散々だった。
* * * * * *
それから3年経った。
俺は幼い娘と公園で砂遊びをしていた。
娘にせがまれて、黄色い柄の可愛らしいスコップで砂を掘り、掘り起こした砂を山にしていく。
そのとき、不意にあの音が蘇った。
ザッ、ザッ、ザクッ。ザッ、ザッ、ザクッ。
あれは、砂を掘る音?
娘が突然、火がついたように泣きだす。
娘を抱きかかえ、俺は走って家に帰った。
パソコン、スマホ、クラウド、あの音声データがどこにも残っていないことを確認し、胸をなで下ろす。
「パパ?」
振り返ると、娘が仕事部屋のドアから不安げな顔を覗かせている。
「ごめん、ごめん。なんでもないよ。まひろももう泣いてないね?」
娘は大きく頷いて、笑顔になって言った。
「大丈夫。埋めたあと、やっぱり海に捨てたの」
大人びた口調で。
また、波の音が聞こえてきた。
(了)
小牧部長様、いつもお世話になっています。
シロクマ文芸部さんの企画に参加させていただきます。
爽やかな波音ではなく、怖い波の音…
かと思ったら、砂の音。からのやっぱり波の音。
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