短編小説? 『レトロな風』 1,405文字を書いてみた
「カートゥーン・ギャラリー」です。少しでも、疲れた目の癒しになればと思いたちギャラリー仕立てにしました。ゆっくりしていってください……。


『レトロな風』
まったく、いつもこうだ、”パンはいつもバターを塗った側に落ちる” 先日、歯科クリニックに予約を入れておいたら、きまって俺が行く日になると、雨が降る。(ほんと、あるあるだよね)しかもこの時期は桜も満開で、気持ちよく花でも愛でながら行こうと考えていたのに、である。
窓から空をうかがうと激しい雨風だ。
花散らしの雨。
だけど、ふと「花も嵐も踏み越えて」っていうレトロなフレーズが頭に浮かんだ。(なぜだかわからないけれど…)そうか、そうだよね。自分で決めたことだから、行かなきゃね。ひたむきに進むのが俺のルール、山あり谷ありだ!
そう納得して俺はその日、春の嵐の中を歯科クリニックへ出かけることにした。
しかし、やはりと言うべきか、案の定、風が吹くたび傘の骨はミシミシとしなり、力任せにさらっていこうとする。俺はおちょこ(逆さ)になりそうな傘を必死に抑え、指先に力を入れて傘をすぼめ、ズンズンと歩く。濡れてなるものか。しかしデニムは雨に濡れてどっしり重く、足首に冷たく張りついている。スニーカーにいたっては靴底に溜まった水がグチャグチャ、ジュボッと不快な音を立てている。
「花に嵐のたとえもあるさ 」と強がってみたものの 、俺のこの「予定を遂行したい」という意地とはいったいなんなんだろう? ふと俺はこの「花散らし」の土砂降りの中で自問自答する。
そしてなんとか歯科クリニックの玄関ドアの前に立つ。そのドアガラスには「予定を遂行したい」という意地だけでやってきた、惨めな男の姿が映っているというあんばいだ。
ドアを押して中に入る。消毒液のかすかに匂うクリニックの待合室で、俺はそれとなく親子の会話を聞く。
「終わったら、セブンイレブンでケーキ買ってね」と、9歳ぐらいの男の子。
「いい子にしてたらね」とお母さんは微笑んでいる。
そんなたわいない会話。
けれど、少年の「ケーキ」という言葉を聞いた瞬間、俺の張り詰めていた虚無感が、呆気なく消えてしまった。
「なんてこった…」
治療を終えて外に出ると、雨は少し弱まっている。
俺はデニムパンツに染み込んだ雨水の気持ち悪さを気にしながらも、吸い寄せられるように帰り道のセブンイレブンへ入る。
そこには、さっきの親子がいた。
少年は、スイーツの棚の前で真剣な面持ちになり、まるで人生の重大な決断を下すかのように小さな指をゆっくり動かしている。
「いい子にしてたから、一番大きいのにしてもいい?」
「もう、しょうがないわね」
そんなやり取りの端々にある、なんてことのないことだけれど、絶対的な幸福感。
俺は、彼らが選んだのと同じショートケーキを一つ手に取った。
コンビニ袋を提げた帰り道の街路樹の桜は無残に散り、道路は、薄桃色の無数の花びらに覆われている。 だがそれでも、俺の心境は不思議と穏やかだった。(ホントニ オダヤカ ダッタノダ)
「さよならだけが人生」かもしれないけれど、その句読点の間に、そうした拍子抜けするほど甘く楽しい一瞬が紛れ込んでいる。
「風雨の中を歩き、びしょ濡れのデニムパンツのまま、花散らしの嵐の中を歯科クリニックへ行く」
そんな馬鹿げた一日の締めくくりが、プラスチックのフォークで食べる一切れのケーキであっても、それはそれで十分「YES」と呼べるものなのかもしれない…。
小雨の舞う帰り道、湿った風が耳を撫でている。
俺は、コンビニ袋の中の小さな甘い喜びを守るかのように、家路を急いだ。
了




