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第六話 小説 北宋里山十猫伝(ほくそうさとやまとうびょうでん)  六の伝

 ある時、ある里山で、地震に因る大災害が発生し、家屋は倒壊し、人と伴に猫も多くの死傷者を出した。避難所が設置され、人々は、不安な日々を過ごしている。物資は、届けられるものの、食事に至っては、調理をする者の手が足りず、充分に活用できていないのが現状である。また、人の住むことができない地域では、無人の荒地と化しており、飼われていた犬が野犬となり、家猫が野良猫となるのは、必然のことであった。避難所には、多くのボランティアが行き交い、瓦礫の撤去や掃除が行われている。
 一方、崩壊している危険な地域では、取り残された猫たちが身を寄せ合って、住処を形成している。そこは、災害だけではなく、野犬や他の動物も生存しており、襲われる可能性があった。
 そこで、猫保護団体全国ネットワークが活動を開始した。被災地に保護団体のボランティアが集結し、被災猫の救済を検討し、具体策を練っている。
 そこには、ボランティアを志願してやって来た猫も多くおり、孔猫様と拾猫や墨猫様と墨猫たちの姿もあった。


 元家猫が凄まじい被災を体験し、今なお過酷な環境で必死に生きており、危険な地域に足を踏み入れることさえ困難を極める状況で、果たして、人間が猫たちを救助できるだろうか。住処を見つけることすら容易ではなく、猫を見つけたとしても、極度に警戒して、逃げ去ってしまい、再び発見することができなくなる恐れがある。
 人間の協議の様子を見ていた拾猫の義の介は、孔猫様に「僕たちにその救助をやらせて下さい。住処を見つけ出し、僕が保護に応じるよう話をします。」と願い出たので、孔猫様は、ボランティアの責任者にその旨を伝えた。すると、その責任者は、この提案を協議に諮ったところ、全員一致で採用することとなり、重大な任務が拾猫に託された。
 既に、拾猫と信頼関係が構築されている墨猫たちも協力を申し出たので、約20名体制で救助に向かうが、日が暮れるまでに実行しなければならず、時間との闘いでもあった。


 救助猫隊は、優れた嗅覚を発揮しながら、一つの住処に近づく。それは、かなりの猫数の集団と思われる。子猫の姿も見える。
 すると、どっしりとした、でかい猫が現れ、一際大きな声で、シャーと威嚇した。先頭にいた義の介は、一瞬怯んだが、自分たちは、救助に来たと言うと、でかい猫に追随するように、3名の猫が進み出た。でかい猫は、どうやらこの集団のボス猫のようだ。拾猫らが20名ほどいたから、随分警戒している。
 義の介は、先ず警戒心を解くことから始めた。自分たちがここに来た目的やその経緯をゆっくりと穏やかに話す。そのとき、ボス猫は、義の介たちを、人間に雇われ、自分たちを捕まえて、殺処分するために来たと思い、義の介の話を遮って、帰れと言わんばかりに、シャーと威嚇し、ライオンのようなごつい手で猫パンチを繰り出した。義の介は、辛うじてこのパンチをよけて命拾いをしたが、これは一筋縄ではいかないことを痛感する。それでも、安全に保護することができることを話し続けた。
 すると、ボス猫は、重い口を開いた。「俺たちは、人間を信用できない。人間の手下となっているお前たちも信用できない。俺たち猫を見捨てた人間を怨んでいる。」と野太い声で言った。
 これに応えて、義の介は、「見捨てたんじゃない。規則上、避難所に連れていくことができなかった。」と。ボス猫は、「いつも、俺たちを家族だと言って、一緒に暮らしていながら、規則だから、捨てていくのか。人間の家族は一緒なのに。都合のいい時だけ家族で、都合が悪くなったら、ただの邪魔な荷物でしかない。それを平気で捨てるのが人間なんだ。もう、俺は騙されない。」と言いながら、怒りが増幅して行く。
 義の介には、これに返す言葉はなく、悲しみに沈みかけたとき、自分が向き合っている猫たちは、われわれが墨猫たちに助けられたあの里山での体験をはるかに超えた厳しい境遇に晒されていることを想いながら、何とか助けることはできないか、自問自答した。
 義の介は、再度説得を試みる。「主と猫は、一時的に離れているだけで、心は繋がっている。生きていれば、また会える。このままここにいると全員亡くなってしまう。みんなに生きて欲しい。安全なところで暮らして欲しい。猫が人間と幸せに暮らすことができることを信じて欲しい。」と、義の介の声に反応するかのように、母猫や子猫たちが顔を出す。そのとき、子猫たちが泣き出して、「恐いよう、夜が恐いよう。」と口々に言う。
 すると、ボス猫は、ゆっくりと静かに、子猫たちに近づき、毛繕いをして、「大丈夫だよ。」と優しく語りかけ、気持ちを落ち着かせた。そして、ボス猫は、先頭に戻り、義の介に、「少し待ってくれ。みんなと話をするから。」と言い、義の介は、「分かりました。」と一礼をする。その待つ時間は、ほんの数分であったが、義の介には、この被災地に入って、一番長い時間に感じられた。
 話合いが終わり、ボス猫は、義の介に向き合い、「俺たちみんなは、義の介を信じる。よろしく頼む。」と。そのボス猫の顔からは、険しさが消え、安堵の気持ちが現れている。それは、まるで怒りの形相の「大魔神」が柔和な「埴輪」に戻った様であった。
 義の介は、早速、拾猫と墨猫たちとともに、ボス猫集団を守るようにして、駐車場で待機している猫バスのもとへと急いだ。バスに乗り込むのは、母猫と子猫たちから、それに成猫が続き、最後に、ボス猫と一猫、二猫、三猫の順であった。これは、ボス猫の指示であり、戦うときは、ボス猫が先頭を切り、退くときは、しんがりを務めるのが常であった。
 バスの中で、義の介は、孔猫様の教えを思い出し、「強い猫とは、如何なるものか?自ら反(かえり)みて縮(なお)からずんば、褐寛博(かっかんぱく)と雖も、吾往かざらん。自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。(よくよく考えて、自分が正しくないと判断すれば、たとえ相手が賤者であろうとも、われは、一歩も進むことはできない。しかし、よくよく考えて、自分が正しいと判断すれば、たとえ相手が千万人であろうとも、われは、突き進む。)何事においても、我(が)を通す猫ではない。強い猫と強情な猫とは違う。強い猫は、倒れたら直ちに起き上がる猫で、強情な猫は、倒れたら倒れたままで頑張り通そうとする猫のこと。どちらもぶれていないけれども、質は真逆。真に強い猫は、本当の優しさをも有(も)っている猫である。」と、身体を張って、集団のみんなを守ろうとしたり、恐がる子猫たちを安心させたり、そんなボス猫の姿に、真に強い猫を視て、ボス猫と出会えたことに幸せを感じていた。
つづく

【筆者コメント】
 平成23年5月1日から5月5日まで、私は、友人3名とともに、現地にて、東日本大震災ボランティア活動に参加して、避難所における風呂、トイレ、フロアーや被災者の部屋の清掃、水の運搬の手伝い、土嚢、瓦礫や泥まみれで濡れている畳の撤去と運搬、加工工場から流れ出た秋刀魚の清掃等を行いました。そのとき、被災地の陸前高田の残酷な姿を見て、多くの時を必要とするだろうが、きっと人に優しい風景が戻ってくると信じました。初日の活動を終えて、岩手県遠野市総合福祉センター(遠野まごころネット)に帰ろうとしたとき、地元の氷上太鼓(和太鼓)の演奏が始まるというので、演奏を聴くことにしました。この和太鼓の感動は、今も鮮明に覚えています。このボランティア活動の体験は、私の生涯の財産です。

遠野まごころネット


 「自ら反みて縮からずんば、褐寛博と雖も、吾往かざらん。自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。」は、孔子が弟子の曾参(そうしん)に言ったこと。(孟子・公孫丑章句上)

仁平作品「褐寛博と千万人」

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