現実の表現者 ジャン=ミッシェル・フォロン
名古屋市美術館で開催中の美術展に行った。若い人、男性も比較的多かった。アニメーション作品の上映もあり目を楽しませてくれた。漫画のような雰囲気もあり気負わずに鑑賞できる。2025年3月23日まで。
『ザ・ニューヨーカー』『タイムズ』といった一流紙に掲載され、アムネスティといった世界的な団体が依頼したフォロンの作品は、本展示の「空想旅行案内人」から想像されがちなファンタジーとは趣を異にする。たくさんの作品群の中で、私が特に衝撃を受けたのは『世界人権宣言』第15条(どこの国がいい?)のための挿絵原画であった。

黒は戦争という闇夜と悲しみ、赤は敵の爆撃による炎、流される血、怒りを想起させる。しかし白く塗り残す帽子と体からは、沈んでしまってはいけない人間の命の熱を感じる。フォロンもこれを描くために多くの資料にあたったことだろう。単純な線は、単純に世界を見ることで生まれるものではない。フォロンが見た果てしなく残酷な世界、それを描くための千本の線から選びとった一本の線、そして色彩なのである。
プロポーションを自在に変化させ、象徴を用いて、脅迫、恐怖、不平等、非人道性、そして権利の不在といったテーマを、たった数本の線で効果的に描き出すことで、フォロンは、宣言が尊重されず、死を避けることもできないという、耐え難いほど重い事実が存在することを伝えようとしたのだ。・・・こうしたイメージは、パウル・クレーが1901年の日記に記した「私は美の敵を描くことによって、美に奉仕するのだ」という言葉と呼応するかのようだ。
この一枚の絵に、私がこれまで映画や写真を通して見てきたベトナム戦争のイメージが見えた。ピューリッツァー賞を受けて有名となった「ナパーム弾の少女」や「安全への逃避」。『プラトーン』『フォレスト・ガンプ』で描かれた森林の爆撃、ことに時折思い浮かんでは私の心を締め付ける名作『グッドモーニング・ベトナム』に登場する、アオザイ(ベトナムの民族衣装)の少女、トリン・・・。なお、この絵にベトナム戦争という説明はない。しかし受け手はその時代を知らなくとも、歴史の知識以上に先人が遺してきた作品によって理解することができる。
創作にできる支援とは、社会貢献とは何かをずっと考えているが、浅川真紀氏(あべのハルカス美術館上席学芸員)は述べる。
雑誌の挿絵によって世に見出され、さらには600点を超える世界中のポスターの仕事に取り組んだフォロンは、メディアにこそ果たせる役割というものを熟知していた。大切なことを一人でも多くの人に、一時に語りかけることができる、その可能性を信じていた。
社会の不正義に声を上げるため、デモに参加するという手もある。率直な怒りの言葉を発信するという方法もある。作品という形で送り出すこともできる。何より重要なのは伝えるということだ。フォロンの遺してくれた作品群は、我々に創作の可能性と希望を教えてくれている。
