【序章】家族の影とわたしの心の再生
今日は、癌治療で来週から入院予定の父親に会いに行く日だ。
わたしは東京に住んでおり、往路の新幹線で実家方面に向かいながらこの文章を書いている。
2023年12月に父が肺がんと診断され、それをきっかけに自分の中で今まで蓋をしていたものが溢れ出て、目を背けてきたたくさんのものと嫌でも向き合わざるを得なくなった。
幼少期から目にしてきた父親から母親への暴力、
わたしを味方につけたかった母親から日常的に吹き込まれる父親への悪口を聞く日々、
ぴりぴりした家庭の雰囲気と、またあの暴力が始まるのではないかと不安を感じながら両親の様子をうかがっている幼くて無力だったあの日々。
両親はわたしが中学生の頃に離婚しているが、離婚で全てが終わることはなく、20代半ば過ぎまで色んなことがあって、わたしはそれに振り回され、時に大きくショックを受け、大人になった今まさにトラウマと化していた。
臭いものに蓋とばかりに忘れたふりをしても、目を背けていても、耳を塞いでいても、いつもそれはわたしを大きく傷つけた。
こんなことを書くと、両親のことを憎んでいるんじゃないかと思われるかもしれないが、そんなことはない。
なぜならわたしは両親に愛されていたからだ。
父が母を殴るのを見ていただけ、
殴られるかもしれないことをわかっているのに口喧嘩の末父親を煽るような言葉を使って応戦していた母親を見ていただけ、
父と母の間に挟まれ何もできずに泣いていただけ、
両親と二人を取り巻く大人たちで交わされる言葉から感じ取った事態の深刻さを不安でいっぱいの気持ちで見ているしかなかっただけ。
わたしが殴られたわけじゃない。両親はいろんな場面でちゃんと親の役目を果たしてくれたし、愛を与えてくれた。
それでも上記の体験は、今のわたしの人格形成や人生にとても大きな影響を与える強烈なものだった。
癌発覚から様々な思いが溢れ出し、当時の幼いわたしが向けられなかった怒りを父にも母にも撒き散らし、
「あのときなんであんなことになっていたのか?」
「なぜあんなことをしたのか?」
「わたしが親の立場だったらあんなことは絶対にしない」
なんて言葉を母にぶつけては毎日泣いて、疎遠になっていた父親を大晦日に問い詰めた。
どん底の日々を2年以上送り、わたしの人生は停滞し、このまま消えてしまえたらいいのにとも思っていた。
そんなわたしだけど、今この瞬間は怒りの感情もやるせない気持ちも、あの頃の両親の過ちも昇華している。
過去のことはもういいのだ。
わたしは35歳だけど、母は今の私と同い年で父親と離婚した。
わたしが遊び呆けていた20代からこれまでを思えば、自分は充分子供だった。同じ年齢の頃の両親が未熟であったことは理解できるし仕方ないことだと思える。人間は完璧じゃないから。
父はわたしに優しく甘い。母も激務で食事を作る暇も食べる暇もないわたしを心配し、東京まで来て生活の世話をしてくれたりするような人だ。
DVにフォーカスすればとんでもないひとたちのように思えるが、それ以外はごく普通の両親だ。
だからわたしは両親を愛し感謝をしている。今まで怒りを覚えたことは多々あれど、憎んだことも恨んだこともない。どちらかといえばいつも二人を心配していた。
「両親を愛している」、それで終われば良いのだけど、先ほども記載したように、幼少期から大人にかけての強烈な体験は現在のわたしにも大きく影響を及ぼしていて、わたしは今そんな自分をなんとかしなければならないと思っている。
このnoteは自分を内観し、本来の自分を取り戻して、しあわせになるために書いていこうと思う。
詳細は別記事で書こうと思っているが、わたしは鈍らせた喜怒哀楽の感情を取り戻さなければならない。こころの再生だ。
わたしにとってあれらの体験は極めて生々しく現実的で、幼少期から大人になるまで長い間、心が切り裂かれるのを必死に耐えなければならなかった。
両親に対する思いは整理し昇華できても、自分のことをまだ昇華させられてない。
だからこのnoteは感情の動きという面ではリアルタイムなものになる。泣きながら記事を書いている、なんてこともあるかもしれない。(今だって泣きそうだ。なぜだろう。それがわからない。わたしはいつも涙が出てきたときにその原因がなぜなのかわからなかったりする)
それでも過去を振り返りながら、現在自分が向き合う現実に直面しながら(父の闘病もまたわたしに大きな影響を与えることになるだろうから)、自分を見つめ直し取り戻したいと思う。
昨日、叔父から「父の癌が大きくなっており、治療をしていくが、生存は平均9ヶ月らしい」という報告を受けた。
癌と診断されてから経過が良好だったこともあり、少し楽観視をしていたけど、いよいよ余命を意識する言葉が出てきて、昼間仕事をしながら少し泣いた。
新幹線が到着して、ローカル線に乗り待ち合わせの駅に行けば、来週から入院する父が車で待っていていっしょにランチを食べる。
これまで何度か治療のために入院しているが、病院のご飯がまずくて食べる気にならない!と文句を言ってる父親のために、品川駅で美味しそうなシュウマイとシャインマスカットのショートケーキ、そしてモンブランを買った。
入院する日まで少しくらい美味しいものを堪能してほしい。そして辛い治療を乗り切って元気になって少しでも長く楽しく生きてほしい。
文章にすると感情が整理できる。
昔から本を読むことが好きで、小説を書いたりすることも好きだったわたしには、こういうかたちで自分に向き合うのが向いているのかもしれない。
あくまで内観が目的なので、同じような体験をした人のために…とかそんなことは考えてない。(これを意図した記事を書くことがとても無意味なことだとわたしはよく理解しているし何より烏滸がましい)
ひとはそれぞれ違う人生を歩み、思いを抱いているので、似たような体験をしていても本当の意味で理解し合えるなんて思ってもいない。
もしわたしの記事に目を止めてくださる方がいるのだとしたら、両親の存在が子供に与える影響の大きさを心の片隅にとどめていただけたらそれだけで充分ありがたいことだ。
わたしだってこの年齢になるまで過去の出来事がこんなにも自分に根深く根強く沁み込んでいるなんて思いもしなかった。
良いことも悪いことも、わたしという人間の、おそらく潜在意識にまで強く強くこびりついて離れないのだから。
