バレーと私、ずっとすれ違い
バレーボールと言えば、私にとっては『アタックNo.1』だ。
子どもの頃、夕方の再放送で観て以来、
機会があれば今でも観てしまう。
つとむくんが亡くなる前後の回だけは、
悲しすぎて直視できないけれど。
バレーボールにまつわる最初の記憶は、6歳か7歳のとき。
北九州総合体育館で行われた男子バレーの試合を、
母と2人で観に行った。
試合後、体育館の外には出待ちの女性ファンでいっぱいで、
規制線のロープが張られていた。
母が「見ておいで」と言うので、
1人でお姉さんたちをかき分けてロープの前に立った。
選手たちがぞろぞろ出てきて、じっと見ていると、
1人が私の前で立ち止まった。
頭を撫でながら「かわいいね」と言って、去って行った。
え? 私が? かわいい?
呆然としながら母のところへ戻り、報告した。
母も驚いた。えー、誰が? 知らない……。
2人で顔を見合わせながら、体育館を後にした。
その後も、バレーボールは私のそばにあり続けた。
学生時代にバレーをやっていた母の影響で、
自然と好きになっていた。
でも視力が悪くメガネをかけていたので、
ボールが顔面に当たると危ないからと、
習わせてもらえなかった。
中学でバレー部に入ろうかと父に話すと、
「成績も悪いのに運動部に入ったら
疲れてバタンキューで勉強しないだろう」と言われた。
父の言うことは絶対だったので、帰宅部になった。
それでも縁は続いた。
中学のバレーボールのクラスマッチに参加したとき、
なんとなく前衛に立っていた私は、
誰もスパイクを打たない場面でフェイントをするようになった。
ネットそばでストンとボールを撃ち落とすアレだ。
それを見ていたバレー部の顧問が、
それ以来会うたびに
「バレー部に入らないか」
と声をかけてくるようになった。
なぜそんなに誘うのか不思議で部員に聞いたら、
「背が高い人がいないからじゃない?」とのことだった。
当時の私は162cmほどで、
そんなに戦力になるとも思えなかったが、
顧問は最後にこう言った。
「おまえにはバレーの才能がある」。
……言い過ぎじゃないですか、先生。
でも父に運動部を禁じられていたので断った。
勧誘はそれきり止まった。
高校でも担任がバレー部の顧問で、
もう一度やってみようかと入部を聞きに行った。
でも
「中学で運動をやっていない者は基礎体力がないから、
体づくりから始めることになる」と言われ、また諦めた。
結局、文化部に入った。高校にも演劇部はなかった。
正直に言えば、ずっとバレーをやりたかった。
でも振り返ると、バレーができなかった時間に、
私は別のことをしていた。帰宅部だったから、
放課後に友人と2時間立ち話ができた。
時代劇と特撮が好きな友人と、
立ったままとりとめのない話をし続けた。
塾もそれなりに楽しかった。
あの頃の「何もしていない時間」が、
今の自分につながっている気がする。
バレーをやっていたら、今ごろどうなっていただろう。
少しだけ考えて、
やっぱりこの道を選んでいたんだろうな、と思う。
根拠はないけれど。
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