【辞める人たちシリーズ】第6話(最終話) 揺れる現場、変わる社長 、 そして小さな一歩
■前回までのあらすじ
佐川さんは限界を迎え、退職を決意した。
社長への不信、積み重なる負担、気分で変わる指示。
小さな歪みが何年も積み重なり、静かに彼を追い詰めていた。
みらい建設は、崩れそうなぎりぎりのバランスの上にあった。
朝のミーティングが終わると同時に、佐川さんは静かに立ち上がり、社長室へ向かった。
扉を軽くノックする。
「社長、お話があります」その一言で、空気が変わった。
社長は不思議そうに顔を上げた。「どうした、佐川?」
佐川さんは深く頭を下げるようにして、言った。
「……辞めさせてください」
社長は目を見開いたまま、固まった。
沈黙が流れたあと、社長はかすれた声で言った。
「……俺が悪かったのか?」
佐川さんは困ったように、小さく笑った。
「悪いとかじゃなくて、構造の問題なんです。現場も、段取りも、職人さんとの調整も、全部が俺に集まる仕組みになってる。これじゃあ、誰がやっても、同じように潰れます」
社長はゆっくりと、机に手を置いた。
「俺、お前に頼りすぎてたんだな……」その声には、言い訳も怒りもなかった。
社長は深く息を吸い、言った。
「辞める前に、一回だけ、話を聞かせてくれ。どうしたら、この会社は良くなると思う?」
佐川さんは驚いたように目を見開いた。
「社長、そんなこと、初めて言いましたね」
社長は苦笑し、肩を落とした。
「俺も、もう限界なんだよ。誰が辞めてもおかしくない。このままじゃ会社がもたない。……だから、教えてほしい」
佐川さんはゆっくりと座り直し、初めて自分の気持ちを言葉にし始めた。
「まず、現場の声が、社長まで届いてないんです」
社長がわずかに顔を上げる。
「それから、指示が、その時の思いつきみたいに変わる。だから毎日、どこかで誰かが混乱してるんです」
一度視線を落とし、続けた。
「新人のフォローも、仕組みがない。できる人がやる形になってしまってて。結局、誰も続かない」
膝の上で組んだ手が、ほんの少しだけ震えた。
「相談できる人もいません。気づいたら……責任は全部、俺に集まってて」
佐川さんはずっと抱えてきた思いを、ひとつずつ丁寧に話した。
社長は、遮らず、否定せず、ただ聞いた。それは、みらい建設では「初めて」の光景だった。
長い沈黙のあと、社長は静かに言った。
「佐川、辞めるのは止めない。でも、もう少しだけ、一緒にやってくれないか?仕組みを作る、変わる努力をする。そのために、お前の力が必要なんだ」
佐川さんはしばらく黙り、窓の外を見た。冬の光が淡く差し込んでいた。
「わかりました。ただし、昔のままなら、すぐ辞めますからね」
佐川さんは少し間を置いて、続けた。
「中村のこともあるし。この会社、嫌いじゃないんで」
その言葉は小さく、でも確かだった。
社長は深くうなずいた。「約束する。変わる」
その表情には、言い訳の影がなかった。
その日を境に、みらい建設の空気は少しずつ変わり始めた。
翌週、私はいつものようにみらい建設を訪れた。
事務所のホワイトボードに「今週の予定と担当者」が書かれていた。
田島さんが丁寧に書き込んだ文字が、まっすぐ並んでいる。
「社長が、毎朝これを確認してから指示を出すようになったんです」
田島さんは少し嬉しそうに笑った。
新人フォローは佐川さん任せではなく、三人で支え合うチーム制に変わった。朝の指示は、現場の全員へ同じ言葉で共有されるようになった。
その日その日で変わる場当たりの指示も、社長が自ら「やめよう」と決めた。
現場で中村さんに声をかけると、彼は少し照れたように答えた。
「最近、誰かが必ず『今日はどう?』って聞いてくれるんです。それだけで、全然違うんですよ」
中村さんは少し照れながらそう話した。
業務の流れは整理され、誰が何を担当するのかがはっきりした。
社長は、マネジメントを学ぶことを習慣にし始めた。
中村さんの表情も明るくなり、田島さんは見える化された業務で余裕が生まれ、佐川さんはようやく「一息つく時間」を取り戻した。それだけのことなのに、会社の空気は確かに変わった。
数週間後、みらい建設を訪れたとき、現場から戻ってきた佐川さんが、私に会釈した。その表情は、以前よりほんの少しだけ、軽く見えた。
「変わりましたね」
私がそう言うと、佐川さんは少し照れたように笑った。
「まだ分からないですけどね。でも、まあ、やってみます」
その言葉には、静かな希望が混じっていた。
■おわりに
人が辞める職場には理由がある。
そして、辞めずに踏みとどまる理由にも、必ず誰かの努力がある。
佐川さんの決断は、みらい建設にとって痛みであり、
同時に、小さな希望でもあった。
会社は、変わることができる。
人は、気づいた瞬間に変わり始める。
みらい建設の職場づくりは、これからが本番だ。
私はそっと、事務所をあとにした。
冬の陽が少し高くなり、駐車場に柔らかい光が差し込んでいた。
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