見出し画像

【黒歴史晒す】平成一桁ガチBBAが、オタク全盛期だったころの話をする

じつはこのnoteは、2年前ぐらいに勢いだけで書いてそのまま放置していたものです。だって黒歴史晒すのって恥ずかしいジャン。

オタクによっては「これはオタクとは呼べなくね?」という人もいると思うので、どうしようかな〜と考えあぐね、公開できなかったのですが、読み返してみると何だか自分の半生が詰まっているようで、それはそれで愛しいのではと思えたので公開することにしました。

noteを書いたきっかけは、こちらのポストです。

これを見て、「そうか…わたしが古のオタクであることは世界の理だと思っていたが違うのか…」と衝撃を受けました。

冷静に考えると、自分から「オタクです」と申告することってほとんどないし、noteやXでバチバチにアピールするでもないし、知らん人も多いよな。

…というわけで今日は、どこに需要があるかはわかりませんが(ない)、わたしのオタクヒストリーをお話します。しがない平成のヲタクの話を聞いてください。

いらっしゃい。あなたは10473991番目のアリスよ。(黙)

っていうか、アニメしか観せてもらえない家だった

小学生のころ、20時就寝がデフォだったので、いわゆるドラマやバラエティをほとんど観られない家庭で育ちました。

なので、学校で話題になっていた「ハネトビ」とか、「学校に行こう」とか、「水10」とか、本当に観たことがないので番組名すら曖昧なんだけど、とにかくほとんど観たことがないの!!!(笑)

そんなわたしが唯一観ていたのが、言わずもがなアニメでした。

月曜日はコナンとブラックジャックの日。木曜日はポケモンの日。みたいな感じで、曜日をアニメで覚えていました。そんで、土曜日と日曜日は早起きしてずーっと朝アニメを観るルーティン。

おジャ魔女をはじめ、おねがいマイメロディやふしぎ星のふたご姫、コメットさん、満月をさがして…などの女児アニメはもちろん、モンスターファーム、デジモンやロックマンやガッシュ、風のレジェンズ、平成ライダーや戦隊モノまで観てました。ゴーゴーファイブとタイムレンジャーが推し。

母がよく昔のアニメをレンタルしてきたので、「ジャングル大帝」「アルプスの少女ハイジ」「小さなバイキングビッケ」「みなしごハッチ」「銀河鉄道999」をごはんを食べながら観ていました。今思えばオタクの英才教育だったのか…⁉︎

当時よく祖母宅に預けられていたので、アニマックスとキッズステーションをひたすら観て、世界名作劇場から、高橋留美子先生やあだち充先生、CLAMP先生の作品や、絶対に小学生が観ちゃいけないような「あぁっ!女神さまっ」「ふしぎ遊戯」「キャッツアイ」までいろいろ浴びてしまい、その後の創作活動で発揮される運びとなりました。(後述)

あと、叔父がサブカルだったので、書斎にあった「寄生獣」「最終兵器彼女」「みゆき」「ぼのぼの」「ブラックジャック」あたりをこっそり拝読させてもろてました。なんかいけないものを見ているようで背徳感エグかったな。

漫画に関しては、月に一度「ちゃお」を買うことは許されていたので、中2までずっとちゃおを買いつづけ、その後「少コミ(萌えカレ!)」「花とゆめ(フルバ!)」「ASUKA(D・N・ANGEL!)」に順調にステップアップしていきます。ちゃお読者としては、Dr.リンやプリンセスver.1、エンジェルハントやきらレボの世代ですよ。ハオユンライラ☆

そんなわたしの趣味は絵を描くこと。小学校高学年からはバンバン漫画を生み出しており、ガチで「漫画家になりてぇ〜」と思っていました。

当時描いていた作品がこちらになります。すんげぇ分厚いです。

中原杏先生の影響を受けすぎている

類は友を呼ぶとはよく言ったもので、当時の親友(今も20年来の親友)とプリキュアのEDで替え歌作って遊んでたし、漫画を一緒に描いてたし、学校のカラオケ大会で「明日のナージャ」のED「けせら・せら」を披露していたので、日常茶飯事すぎて「アニメ好き」という認識もありませんでした。

また、当時マイメロが好きすぎて、マイメロのヘアピンをつけて中学に行き、生徒手帳のなかにマイメロの切り抜きを挟んでいました。今思えばこれが最初の推し活じゃね? 隣のクラスの子には「マイメロちゃん」と呼ばれていました。

マイメロのモノマネが異常にうまかったのと、国語の授業での音読が好きすぎて、「声優」という仕事を知ったのもこの頃。

オタクの自覚は一切ありません。これがわたしの日常でした。

突然の渡米。女児アニメのキャラソンで乗り切る

そんな最中、中2でアメリカに行くことに。

ショックを受けたわたしは、「BLEACH」と「あひるの空」を全巻大人買いし、TSUTAYAで「ぴちぴちピッチ」のキャラクターソングCDと、「ドラゴンボールZ」のサントラ、幽白のOPED集を借りてCDにダビングして渡米。

「あんまり物を持っていかないでね」と言われていたので、比較的巻数の少ない「うえきの法則」だけをダンボールに詰めて持っていきました。(BLEACHとあひ空はその後父に手持ちで持ってきてもらった)

渡米初期、ひとりぼっちだったわたしを支えてくれたのはぴちぴちピッチの劇中歌「KIZUNA」です。ほんまにありがとう。無敵のKIZUNA感じてる。

しかし、やはり類は友を呼ぶのでアメリカでもオタ友ができ、一緒にちゃおを読んだり、漫画を描いたり、「きら⭐︎レボ」について熱く語ったりしてました。また、当時好きな人がいたので、「ツバサ」を貸したり、モコナの絵を描いてプレゼントしてました。オタク特有のアプローチすぎてキモい。

このあたりでYouTubeを知り、「えっ、過去のアニメのOPEDが全部観れるの⁉︎」と衝撃を受けて、父のパソコンでずーーーっと漁ってました。とにかくアニソンが大好きで、アニソンの歌詞をプリントアウトしてファイリングしていた。

ファイリングしてどうすんねんという話だけど、自分が歌える歌のレパートリーのひとつに加わる感じがしたんよな。何も荷物がないだだっ広い部屋で、よく歌ってました。

パソコンを買い与えられ、厨二が爆誕

ところが、わたしは渡米して早々、別の都市に移り住むことになり、せっかくのオタ友ともお別れをすることに。「またイチからスタートか…」と絶望していたわたしに買い与えられたもの、それがパソコンでございます。

年頃の娘にパソコンを与えるとどうなるのか。

例に漏れず、インターネッツの住民になります。

当時は(今もだが)英語がさっぱりわからず、現地の人とさっぱりコミュニケーションが取れないこともあって、学校は地獄のようでした。唯一、イラストだけは描けたので、現地の人々の「このキャラ描いて!」というリクエストに応えることで交友関係を築いていました。これぞオタコミュニケーション

学校では授業中に暗黒ポエムを生み出し、ゴシックなイラストを描き、放課後は家に直帰して、授業中に生成したポエムをブログにせっせと転載し、キャスフィに連載小説を投稿し、アバターコミュニティ「みなくる」に入り浸るという典型的な厨二が爆誕します。

みなくるホームは青春

なお、当時毎日のように綴っていたポエムは、未だにアメブロにすべて残っています。

タイトル「闇の唄」by厨二のワイ

何がやばいって、こんな感じのポエムが100個ぐらい今もネット上に残ってるんですよ。タイトルも「堕天使」とか「赤と黒」とか、典型的な厨二病で大変よろしい。でもわたし的には何度も推敲し、会心の出来のものだけ厳選して載せてるわけ。ドヤ顔なわけよ。

ライターになってから「赤裸々に何でも公開できるのすごいですね!」とよく言われるんですが、わたしにしてみればこのポエム以上にヤバいものはないので、そりゃ何でも公開できます。

当時ハマっていたのは種村有菜作品と、「ぴたテン」「D・N・ANGEL」「D.Gray-man」「ローゼンメイデン」「BLOOD+」なので、ガッツリ影響を受けているのが伺えます。ALI PROJECT(アリプロ)にハマったのもこのあたり。順当に厨二ロードを歩んでいますね。種村有菜作品に関しては、モノローグをそらんじて言えるぐらい大好きです。平成女児ならみんな言えるよねそうだよね。

特に「D・N・ANGEL」の世界観が大好きで、漫画に限らず、ドラマCDを集めたり、ラジオを聴いたり、ヤフオクでグッズを落としたり、ノベライズを読んだりしてました。部屋の一角にグッズを並べて神棚を作っていた。

時を同じくして、大天使・田村ゆかりさんと出会い、王国民の仲間入り。YouTubeでライブ映像をひたすら観て、「わたしもゆかりんみたいになりたい!」「いつかライブに行きたい!」と願うようになりました。

当時はお風呂でゆかりんの曲を流して熱唱しながら、「キノの旅」と「なんて素敵にジャパネスク」を音読するのが毎日のルーティンでしたね。

さて、そんなわたしが中3になったころ、別の転機が訪れます。オタクの日本人が転校してきたのです。(革命)

彼女はジャンプオタク&ニコ動の住民だったので、一気にわたしのなかにニコ動文化が流れ込んできました。

交換日記ではD灰の夢小説の話をして、放課後はREBORNのトチ狂ったキャラソン「クフフのフ〜僕と契約〜」「ひとりぼっちの運命」を聴きながら彼女の家に向かい、ひぐらしの「You」をピアノ演奏して歌ったり、ニコニコ組曲や流星群をパート分けして歌って録音したり、お菓子をボリボリ食べながら、銀魂やシャナ、コードギアスを一緒に観てました。

シャーリーの例のシーンはわたしにとっては衝撃だったものの、夢女子だった彼女が隣でクッソ喜んでいたのは一生忘れません。

わたしは田村ゆかりさん好きなこともあり、ひぐらしにどハマりして、ひぐらしMADを永遠に見てました。ウッディ!!!!!噂の事件簿ABC!!!

彼女は本当に守備範囲が広くて、ボカロにハマったり、電波ソングにハマったり、エロゲーにハマったり、いろいろシェアしてくれるので、わたしの知見もどんどこ深まっていきました。KOTOKOとか、撲殺天使ドクロちゃんとか、東方とか、naoさんボーカルの初期fripsideとかを聴いてたのもこの頃。

とくにボカロは全盛期だったので、ずーっとボカロチャート見てたよね。

当時できた初彼も立派なガノタ(ガンダムオタク)だったので、誕生日にガンダムSEEDのコンプリートソングベストアルバムや、ストライクフリーダムのフィギュアをあげていました。わたしはわたしでキャラクターソングCDにハマり、「スーツCD」と呼ばれるキャラソンとドラマCDが一体化したものを全員分コンプリートしてました。ハマり方がなんかおかしい。

あと、ハロウィンにD灰のアレンのコスがしたいって言うから、顔に「ち」って描いてあげました。わたしの人生に青春が存在しているとしたら、間違いなくここですね。海外にいたはずなのに、現地の記憶がほとんどないよ。

「JUMP EXPO」を経て、なぜか突然腐る

さて、中3になると、毎年夏休みに家族で日本に一時帰国するようになります。ここで満を持してのアニメイトデビューやで!!!!

ちょうどそのころ、週刊少年ジャンプ40周年を記念して、鎌倉エリアでスタンプラリーを開催していたので、小学生のときの例の親友と参戦。2日間かけてコンプリートし、くじ引きで岸本斉史先生のサイン色紙を当てました。

パチモンかと思った

「NARUTO」がなぜか「NARTO」表記なので偽物を疑われました。本家が間違えるとかあんのか。一周まわってプレミアじゃね???

カラオケのフリータイムに味を占め、元町中華街のカラ鉄で「遥かなる時空の中で」のOP「遥か、君のもとへ…」をモノマネしながら歌ったり、ヴァンパイア騎士の「ふたつの鼓動と赤い罪」をデュエットしていたのは記憶に新しいです。携帯の目覚ましボイスを「ひーつーがーやー隊長だっ!」にしているという話で盛り上がっていました。

さらにこの夏、「ねぇ、腐女子って知ってる?女のヲタクのことなんだって」と親友に間違った知識を植え付けられたのち、アメリカのロサンゼルスにあるBOOK OFFで「純情ロマンチカ」と運命的な出会いをしてしまったのを機に腐りはじめます。

それもあって、わたしはBLは二次創作よりも公式派です。覚えておいてくれ。公式しか認めない。

なお、時を同じくして友人は「ヒカルの碁」の二次創作を機に腐海へと足を踏み入れたので、うちらは運命共同体。友人が見つけた二次創作漫画があまりに小畑健すぎて、「ねぇ、わたし知らなかったんだけど、ヒカルとアキラくんってデキてたっぽい…」と錯乱していました。

当時アメリカのBOOKOFFには、誰が売り捌いたんだかわからんが、必ずBLコーナーがあったので、親の目を盗んでコソコソと入り浸るようになりました。

…そんな努力もむなしく、普通に親にBL読まれました。中学生に人権はない。ゆえに、中3から家族にしっかりバレております。家族公認の腐です。

アートの授業にて、石田彰さんの絵を描く

さて、高校生になると、声優にドチャクソハマりまして、石田彰さん、遊佐浩二さん、保志総一朗さんあたりにズブッズブになり、こと石田彰さんにかける情熱はエグかったです。

まず、石田彰さんが出演されている、というだけで過去作を見漁る。吹き替えを担当された外画を見る。登壇されたイベント映像を漁る。キャラソンを集める。声優アワード受賞当時の声優グランプリを取り寄せる。耳元で保志総一朗さんとともに羊をひたすら数えてくださる「羊でおやすみシリーズ 僕らの声で…」をポチる。個人名義で出されていた歌のCD「KNIGHT OF MIDNIGHT」をヤフオクで落とす。

かくなるうえは、もはや石田さんの存在自体が尊いと思うようになり、iPodのなかに石田さんの写真を大量に入れ、数少ない石田さんのキャラソンを聴きながら眺めてました。 

かくなるうえは、アートのクラスで「尊敬している人を描きましょう」というお題が出たので、迷わず石田彰さんを描きました。末期症状やで。

その甲斐あって、「スレイヤーズ」や「りりかSOS」、「最遊記」「お金がないっ!」など、さまざまな良作に出会えました。特に「りりかSOS」は展開が残酷すぎてとてもじゃないが女児にはお見せできないので見てほしい。「最遊記」で峰倉かずや先生にどハマりし、画集を買い漁ってうっとりしていました。ゼロサム繋がりで「LOVELESS」にも性癖を狂わされた。

共演者もどんどん気になっていくので、あっという間にさまざまな声優さんに詳しくなり、アニメを観ても「これは◯◯さんやな」と耳で声優を識別できるようになっていきました。友だちには気持ち悪がられました。

声優ラジオにハマり、授業中に「週刊ラジオSEED」「嗚呼、クラスター学園!」「有限会社チェリーベル」「こむちゃっとカウントダウン」「おい!寺尾」などを聞いていましたね。

声優にハマると耳からのインプットが異常に増えるので、ずーっとイヤホンを突っ込んでいた記憶があります。家族旅行で行ったラスベガスでは、ラジオSEEDのキラアス共演回を聴いていたし、ヨセミテではBLCDを聞いて「アンタなんでニヤニヤしてんの?」と母に突っ込まれていました。

我ながら、アメリカにいる利点をすべて打ち消すほどのヲタクでしたね。

当時のiTunes。アニソンかラジオかBLCDしか聴いてなかった。
「アニソンの女王」と呼ばれていた。

ペンタブを入手。創作に拍車がかかる

そういえば、一度サンディエゴで山火事が起きたことがあるのですが、涼宮ハルヒシリーズのスニーカー文庫を全巻トランクに詰めて避難したこともあったな。絶対持ち出すものそれじゃないだろ。買い直せ。

当時の京アニの無双感はすごかったですね。ハルヒとらき⭐︎すたは革命だった。キャラソン全部歌えるぐらい聴き込んでた。柊かがみ(CV:加藤英美里)の『100%?ナイナイナイ』がめちゃめちゃ好きだった。

さて、例のオタ友が日本に帰国してしまってからは、ひとり寂しくオタ活をする日々を送っていたのですが、ここに来て新しいタイプのふたりのオタクと出会います。生み出すタイプのオタクです。

趣味嗜好が厨二

これまで細々とコピックで1枚絵を描く程度だったわたしですが、そのふたりはガッツリ漫画を描いていました。しかもクッソうまかった。ふたりは個人サイトというものを持っており、フツーにHTMLやらCSSやらをいじっていて衝撃を受けました。

早速、ふたりに倣って親にペンタブをねだり、FC2で個人サイトを立ち上げて、イラストをアップするようになりました。意気揚々とフリー素材を漁ってね。かわいいカウンターとか見つけてきたりしてね。懐かしいな。

厨二を引きずってるので猫耳は必須だよ!

3人でイラスト交換日記をまわしたり、放課後集まってラジオを取ったり、漫画の貸し借りをしたり。

当時は「ヘタリア」「ホリミヤ」「あまつき」「夏目友人帳」あたりがホットだったので、その話題が多かったな。楽器ができる子だったので、単発でバンドを組んで、「曇天」とか歌ってました。初バンドがDOES。

高校生活最後の最後で乙女ゲー「VitaminX(名作)」にどハマりしてキャラソンをエンドレスリピートしたり、ここに来て電王に豪華声優たちが集結していたことに気付き、友だちとパート分けして「Climax Jump DEN-LINER form」を歌ったりしてました。全員まとめてClimaxだぜ!!!

アメリカには一応カラオケもあったので、お母さんにお願いして車を出してもらい、オタクたちで集結してカラオケしたのも楽しかったな。

余談ですが、オタクって幼少期よりアニソンを聴き、ボカロを通り、ひとカラで激ムズ曲にチャレンジしながら生きてきたので、昨今の「この曲、速いし高いし歌えないよね」というのも、「消失より全然遅いしイケるよ」「炉心融解ほどじゃないよ」とか言いがちじゃね?

耳も肥えてるし、まぁまぁ歌うまな人が多いんじゃないかと踏んでます。

余談ですが、中2で始めたブログは、このころには1600記事を超えていました。

ちゃんと永遠の17歳を貫いていてえらい
絵チャで友だちとくだらない絵を描くの、好きだったなぁ

オタク文化しか知らないまま大学へ

高校を卒業してからは満を辞して日本に帰るわけですが、二次元しか知らなかったので、それはそれはカルチャーショックがすごかったです。

歌うのが好きだったのでバンドサークルに入るも、アニソンしか通ってないわたしはどのバンドもチンプンカンプン。かろうじてRADWIMPSだけ知っていましたが、それは「有心論」が純情ロマンチカのMADに使われていたからです。あとタイアップしてるアーティストはわかる。(UVERとか)

日本に帰国して一番嬉しかったことは、田村ゆかりさんのライブに行けたこと。初めて見るゆかりんはキラキラしていて眩しくて、涙で前が見えなくなったなぁ。

そんなオタクが大学に入るとどうなるのか。不思議なことに、少しずつオタクを卒業していくのです。このころが人生で1番アニメを観ていなかった。ちゃんと観てたのはまどマギぐらいではないか…!? あっごめん巨人も観てたわ。でも、ここからゆるオタになったのはたしかですね。なんでだろう。日本には遊ぶところがたくさんあったからかなぁ。

ある意味でアメリカの「何もない」というところが、わたしのオタク魂を育んだのかもしれません。逆にアメリカで4年間も過ごしたことを微塵も感じさせない、日本のオタクの遜色ないレベルのキャッチアップ力もなかなかキモいけどな。

余談ですが、中2のときに立ち上げたブログのタイトルは、「好きなもんは好き。」でした。オタクだったわたしは、まわりの子たちがいつの間にかオタクじゃなくなっていくのが寂しくて、「せめてわたしぐらいは好きなものをずっと好きでいよう」と思って名付けたんですよね。

そんなわたしが、いつの間にかぬるっとオタ卒をしてしまいました。

いまのわたしは、Kindleで漫画を3000冊所持し、カラオケフリータイムでアニソン縛りをし、まどマギ新作映画に対して講釈を垂れるしがないオタクへと成り下がってしまいました。

でも、やっぱり根っからのオタクだから、なんか文章がオタク臭いし、喋りもオタク喋りだし、好きなもんはとことん好きになれるし、いっぱい研究しちゃう。(現在は二次元を経て、平成女児らしくハロプロにゾッコンなのですがそれはまた別のお話…)

わたしは平成オタクだったからこそ、いまこんな気持ち悪い文章が書けてるんだと思います。オタクだった自分に感謝☆

さて、そんなわたしはいつだって同志に巡り会いたいと思っているので、「この時代オタクだったわ!」という古のオタクたちはお気軽に米ください。ノシ

いいなと思ったら応援しよう!

いしかわゆき(ゆぴ) | ライター・エッセイスト サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ