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神様のことを知るために。 〜士師記(ギデオンの羊の毛)〜

ギデオンは、イスラエルをミディアン人から救うために神様から召命されました。

そして、いよいよその戦いが始まろうとしている時のことです。

(アマレク人とは、エサウの息子エリパズが、そばめのティムナによってもうけた子から出た部族。)

 ミディアン人、アマレク人、東方の諸民族が皆結束して川を渡って来て、イズレエルの平野に陣を敷いた。主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まって来た。彼がマナセの隅々にまで使者を送ると、そこの人々もまた彼に従って集まって来た。アシェル、ゼブルン、ナフタリにも使者を遣わすと、彼らも上って来て合流した。
 ギデオンは神にこう言った。「もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます。」
 すると、そのようになった。翌朝早く起き、彼が羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。ギデオンはまた神に言った。「どうかお怒りにならず、もう一度言わせてください。もう一度だけ羊の毛で試すのを許し、羊の毛だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください。」その夜、神はそのようにされた。羊の毛だけは乾いており、土には一面露が置かれていた。

旧約聖書 士師記6.33-40 新共同訳

ギデオンは神様が、自分を使ってイスラエルを救おうとなさっていることを納得するため、神様にある「しるし」求めます。

「羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。」

すると、そのようになりました。

ギデオンは神様を再び「試す」ことへの許しを請い、もう一度神様に「しるし」を求めます。

「羊の毛だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください。」

その夜、神様はそのようにされました。

ギデオンは、自分が使命を受けたことについて神様に二度確かめ、それに対し神様が寸分の狂いもなく応じられたこと、これらの記述から、皆様は何を感じられたでしょうか。

このことは、神様が神様であることの証明と、ギデオンが使命者であることの証明だと受け取ることができます。

さらに、神様の行われた「不思議」と「奇跡」によって、まさに「神秘」が感じられます。

そして、神様へ求めれば、神様は必ず応えてくださるのだという「信仰」も強くされます。


主に報告し、主と相談してこそ、奇跡としるしが起こる。


義人にとっての不思議なしるしと奇跡とは、神様が私たちの願いを全て分かって叶えてくださることであり、悪人にとっての不思議なしるしと奇跡とは、神様が彼らの行いを全て分かって裁かれることだ。


主の力が臨み、不思議なしるしと奇跡を起こすためには、先ず自分の実力・能力を100%引き出すことが条件だ。100%引き出してこそ、主が臨んだときに200%、300%の力を発揮し、神業を行うことができる。

 エルバアル、つまりギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ、と。」こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った。主はギデオンに言われた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだとわたしが告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない。」彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた。「犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい。」水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。主はギデオンに言われた。「手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分のところに帰しなさい。」

旧約聖書 士師記7.1-7 新共同訳


ギデオンが陣を敷いていざ出陣という時に神様は、ギデオンの率いる民が多すぎることに言及されました。

このままギデオン率いるイスラエルの民が、ミディアン軍に勝利したならば、イスラエルは神様に向かって心がおごり、自分たちの手で救いを勝ち取ったと言うだろう、と人間の「罪深さ」を見越していらっしゃったのでした。

この神様の懸念に、神様の仰る通りだと感じ入りますし、自分の心の中にある「おごり」という罪を見透かされたようで「ドキッ」としました。

と同時に、このような神様の「智慧」の深さに驚き、敬服するばかりです。

さらに神様が指示された、イスラエルの民の数をより分ける手法にも、神様の「理知」が感じられます。


神様は理に合うことを言い、サタンは理に合わないことを言うから、私たちは理知を身につけなければならない。


きちんと罪を悔い改めず、心を清めなければ、いずれ御言葉を聞いても悟れなくなり、何が真理か分からなくなって、頭も体も疲弊し、人生が衰退していく。

自分の罪は自分にとっては当たり前でも、周囲からは異常と見られることがあるし、その罪によって足元をすくわれることがある。だから自分の基準ではなく、神様の基準で罪を悔い改めなさい。


 その夜、主は彼に言われた。「起きて敵陣に下って行け。わたしは彼らをあなたの手に渡す。もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣の中に下って行くことができる。」彼は従者プラを連れて、敵陣の武装兵のいる前線に下って行った。ミディアン人、アマレク人、東方の諸民族は、いなごのように数多く、平野に横たわっていた。らくだも海辺の砂のように数多く、数えきれなかった。ギデオンが来てみると、一人の男が仲間に夢の話をしていた。「わたしは夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込んみ、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった。」仲間は答えた。「それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ。」
 ギデオンは、その夢の話と解釈を聞いてひれ伏し、イスラエルの陣営に帰って、言った。「立て。主はミディアン人の陣営をあなたたちの手に渡してくださった。」

旧約聖書 士師記7.9-15 新共同訳


神様は、ギデオンに敵陣に下って行くようお命じになられました。

そこで、もしギデオンが下って行くのが恐ろしいなら、「従者プラを連れて敵陣に下り、彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣の中に下って行くことができる。」と仰られました。

ここに、ギデオンに対する神様の細やかな優しさと、愛が感じられます。

ギデオンは、敵の男の夢の話と解釈を聞くことによって、神様が確かにミディアン人とその陣営を、すべてギデオンの手に渡してくださったことを悟ることができたのです。

ギデオンは神様の心遣い、優しさ、愛…その他たくさんのことを感じ、勇気付けられ、神様への信頼と愛を一層強固にしたのではないでしょうか。


神様が私たちを心から愛してくださっている以上、私たちも心から神様を愛してこそ、神様との愛の関係が成立する。


愛とは、相手が望んでいることをその都度その都度察知して行うことだ。神様は常にそのような愛で私たちを愛してきて下さったから、私たちも神様をそのような愛で愛さなければならない。


信仰とは、神様の愛と力を疑わずに信じることであり、祈ったことは全て叶えられると信じることであり、神様が約束したことは全て実現すると信じることだ。


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