牛ノ戸焼ばかりだった
気づけば、スマホのアルバムが、
牛ノ戸焼の写真ばかりになっていた。
民藝の記事や、器の写真。目に留まるたびに「いいな」と残していたら、あとから見返したとき、同じ窯の器ばかりが並んでいた。
ターコイズブルーを思わせる緑。
素朴でありながら、どこか芯のある黒。
焼きものについて詳しく語れるほどの知識はないけれど、一瞬目に入っただけで、「あ、これは牛ノ戸焼だ」と直感することがある。
土地の土や釉薬、窯の歴史の中で育まれてきた色や形。
初代から受け継がれる梅紋も含めて、その重なり合う表情に、何度見ても目が留まる。
それぞれの色だけでも美しいけれど、掛け分けになると、すっとしていながらやわらかい。
その心地よさに、つい見返したくなる。
実は、まだ一度も手にしたことはない。
憧れの存在でもある。
それゆえに、アルバムの中だけが少しずつ賑やかになっていく。気づけば、また牛ノ戸焼だった。
そのたびに、自分の目は思っていた以上に正直なのだと思う。
海で拾ったタイルを台所の棚に貼ったことがある。
深く考えずに並べていたのに、眺めると、緑と黒が隣り合っていた。

牛ノ戸焼で惹かれる色と、どこか重なる。
このときも、自分はこの色の並びが好きなのだと、行動のあとから知った。
あの色に惹かれる理由はわからない。でも、その「好き」が一番はっきり形になっているのが、私にとっては牛ノ戸焼なのだと思う。
一方で、手元にある器を見渡すと、萩焼がいくつかある。使うたびに目に入るのは、表面に少しずつ現れた貫入。
細かなひび模様の中に時間が流れ、器が暮らしと一緒に育っているように感じる。
その景色にも惹かれてしまう。
民藝が好きだから貫入が好きなのか。
貫入が好きだから民藝が好きなのか。
牛ノ戸焼に惹かれたから、民藝へ目が向いたのか。
民藝を好きになったから、牛ノ戸焼に惹かれたのか。
海で拾ったタイルを並べたときも、同じだった。
緑と黒を選んだから好きになったのか。
好きだったから、その色を選んだのか。
そんな「鶏が先か、卵が先か」のようなことを、ときどき考える。
何に惹かれるのかは、理由より先に、行動の中へ現れているのかもしれない。
惹かれる理由を考えると難しい。
でも、身体のほうはもうちゃんと知っている。
アルバムは、ときどき自分より先に、自分の好きを教えてくれる。
▽ 暮らしの中で、知らず知らず選んでいたものについては、こちらにも
