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「好きは好きで完結する」を練習中です。

我が家の娘っ子は、すみっコぐらしが好きだ。

それを見ていて、自分の好きなものを考えてみた。すぐに思いついたのは、麻雀とスキズかなと思った。でも、すぐに「無課金だしな」が出てきた。

娘っ子には出てこない言葉である。

今まで、自分の「好きなもの」とか「心地よいもの」とか、そういったものにフォーカスを当てていなかったから、いざ聞かれると難しい。

最近になって気づいたのだけれど、私は「自分がどうしたいか」よりも、「相手がどうしたいか」を起点に物事を考えるのがクセになっているらしい。

ご飯一つとっても、「◯◯が食べたい!」より、「〇〇さんの食べたいものでいいよ」と言ってきた数の方が圧倒的に多い気がする。

でも、不思議なことに、それを我慢しているとか合わせているという感覚はあまりない。
むしろ、「我慢しているくらいなら、やらなければいいのに」と思うタイプだった。

ただ、子どもたちが対称的で面白い。
娘っ子は、好きなものは好き。
やりたいことはやりたい。
嫌なものは嫌。
が、とても自然だ。

一方で、息子氏は少し違う。
自分がどうしたいかよりも、周りがどうしたいかを見ていることがある。
そんな姿を見ていると、ああ、自分はこっち側だったのかもしれないと思う。

子どもたちを見ていると、どっちが良いとか悪いとかという話でないなと思う。

そして、相手起点の人は、案外、自分の「好き」が見えにくい。
誰かの「好き」や「食べたい」を大事にするのも、私の好きなことの一つなのだと思う。実際それで良かったこともあるし、嫌な気持ちになったこともある。

それならば、それと同じくらい、自分の「好き」も大事にしていいのかもしれない。

そして、今までそこに発想がなかったのだから、「好き初心者」を始めるのも面白そうだなと思う。

とはいえ、すぐに何かが見つかるわけではない。
それでも、毎日の中で少しずつ見つけて、少しずつ「好き」を見てみる。
あとからやってくる「意味」はおいておいて、「好きは好き」で完結する。
そんなことを考えるのは、案外楽しいのかもしれない。


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