美作古事記 第4章|素戔嗚と八岐大蛇
素戔嗚と八岐大蛇——旭川(簸川)の伝説地をたどる旅
天岩戸に隠れた天照大御神を引き出した後、素戔嗚命(すさのおのみこと)は高天原を追放されます。古事記はこう記します。
「出雲の国の肥の河の上、名は鳥髪という地に降り立ちたまひき」
「肥の河」は旭川(簸川)、「鳥髪」は現在の津山市吉見にある「鳥山(とりやま)」——第1章で確認した「東備郡村志」の記述を手がかりに、素戔嗚の足跡を美作の地にたどってみましょう。
降臨地——鳥上山(津山市吉見)
旭川(簸川)の上流域、津山市吉見に「鳥山(とりやま)」と呼ばれる地があります。古事記の「鳥髪(とりかみ)」の比定地として伝わる場所です。
「鳥髪」→「鳥上山(とりがみやま)」→「鳥山(とりやま)」という音韻変化で、旭川の源流域に素戔嗚が最初に降り立ったとされています。
高天原(那岐山系)の稜線から南へ——旭川(簸川)の流れに沿って降りてきた素戔嗚が、まず足を踏み入れた地がここだったのかもしれません。
「スサ」の地名が語るもの
素戔嗚(スサノオ)の「スサ」と同じ音をもつ地名が、旭川・吉井川沿いに点在しています。
岡山県久米郡美咲町の柵原地区に「周佐(すさ)」、赤磐市に「周匝(すさい)」という地名があります。「周佐」は「スサ」そのもの、「周匝(すさい)」は「スサ+ヰ(居場所)」の転訛とも読め、「素戔嗚が居した地」を意味するとされます。
高天原から降り立った素戔嗚が旭川を南下しながら残した足跡が、地名として今も刻まれているのです。
八神——八岐大蛇の棲処
美咲町に「八神(やかみ・ねりがみ)」という地名があります(〒708-1547 久米郡美咲町八神)。
「八(やつ)の神(かみ)」=八岐大蛇(頭が八つの大蛇)の棲処として語り継がれてきた地名です。旭川とその支流が複雑に分岐するこの地の地形が、八つの頭をもつ大蛇の姿として神話化されたと考えられます。
毎年繰り返される旭川の洪水——その恐怖が「八岐大蛇」という物語として結晶したのではないでしょうか。「東備郡村志」が「氷の川上にて八跂の大蛇を斬り給ひ」と記したその舞台が、この地だったのです。
二上山・八頭大明神——封じられた大蛇の霊
素戔嗚が退治した八岐大蛇の霊は、どこへ行ったのでしょうか。
第2章でご紹介した二上神社(美咲町両山寺383)の境内には、「八頭大明神(はっとうだいみょうじん)」が祀られています。退治された八岐大蛇の霊を鎮めるために設けられた社です。
国生みの親神(伊邪那岐・伊邪那美)の山に、大蛇の鎮魂社が同居する——。大蛇の霊が旭川を遡り、国生みの二神が鎮まる二上山に封じられた、という神話的な因果としてこの構造を読むことができます。
錦織神社——素戔嗚と稲田姫が鎮まる郷
八岐大蛇を退治した素戔嗚は、救い出した稲田姫(くしなだひめ)と結ばれ、こう歌います。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
日本最古の和歌とされるこの歌を詠んだ後、素戔嗚と稲田姫が鎮まったとされるのが「錦織神社(にしごりじんじゃ)」(〒709-3701 久米郡美咲町錦織1431)です。
御祭神は素戔嗚尊と櫛稲田姫命。旭川(簸川)沿いの「錦織郷(にしごりごう)」に降り立ち、この地を守護する神となりました。
「錦織(にしごり)」という地名は律令期の「錦織郷」に由来し、大正時代まで「倭文(にしごり)村」として存続していたことが「岡山縣久米郡祭神考証」(NDL963331)に記録されています。錦織部(にしごりべ)が旭川の水を使って絹・錦を織ったこの地に、機織りの守護神として素戔嗚と稲田姫が鎮まっている——神話と産業が重なる美しい構図です。
石上布都御魂神社——十握剣の霊が宿る地
素戔嗚が八岐大蛇を斬った剣「十握剣(とつかのつるぎ)」の神霊・布都御魂(ふつみたま)を祀るのが、赤磐市の「石上布都御魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)」(〒701-2445 赤磐市石上1448)です。
この剣の霊威は後に神武東征の際に大和へ送られ、奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)に祀られます。つまり美作・吉備の地が「神武東征を支えた剣の故郷」であるとも言えるのです。
同じ赤磐市是里には「血洗いの滝」(〒701-2525)と「宗像神社」(〒701-2525 赤磐市是里3235)があります。血洗いの滝は素戔嗚が大蛇を斬った剣の血を洗い清めた場所として伝わり、宗像神社には天照と素戔嗚の「誓約(うけい)」によって生まれた宗像三女神が祀られています。
石上布都御魂神社(剣の霊)→血洗いの滝(血を洗う)→宗像神社(誓約の神)という一連の場所が赤磐市に集中していることは、素戔嗚神話の「終章」がこの地で完結していることを示しています。
高天原から鳥山へ降臨し、旭川(簸川)を南下しながら「スサ」の地名を残し、八神で八岐大蛇を退治し、錦織郷で稲田姫と結ばれ、赤磐で剣の霊を封じた素戔嗚。
その壮大な旅の全行程が、美作・吉備の地形に刻まれています。
次章では、素戔嗚の子孫たちが引き継いだ国作りの物語——大国主命と葦原中国(美作・久米郡)へと進みます。
参考文献・資料
太安万侶 撰(712年)『古事記』上巻
松本亮 著「東備郡村志」吉備群書集成所収(備前藩士)
久米郡神職会 編(大正10年・1921年)「岡山縣久米郡祭神考証」国立国会図書館デジタルコレクション NDL963331
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◀ 第3章「天照と天岩戸——那岐山の太陽神」 https://note.com/mimasaka_kojiki/n/n1e19e6cf4022
▶ 第5章「錦織郷と倭文神」
https://note.com/mimasaka_kojiki/n/nba46109d1af2
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