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万里の長城から生還した父の背中。8月15日に思い出す父との会話


◆ 8月15日に思い出す、父の背中と弾痕の記憶

8月15日の「終戦の日」を迎えるたび、胸の奥から蘇ってくる記憶があります。それは、大正10年生まれだった亡き父が話してくれた、戦争の体験談です。

二十歳で徴兵された父が出征したのは、遠く離れた万里の長城付近でした。 父が話してくれたのは、映画のような格好良い物語ではありません。極寒の地で粗末な軍靴しか与えられなかった辛さ、食べるものがなく現地で調達せざるを得なかったこと、そして上官からの理不尽なしごき。語られるのは、勝てる見込みのない戦争に駆り出されたことへの強い憤りと、国への批判でした。

父は戦地で背中から撃たれたことがあります。幸いにも背負っていた背嚢(リュックサック)に弾が当たったおかげで一命を取り留め、傷病兵として日本へ帰ってきました。 後に知ったことですが、当時の万里の長城周辺はどこから狙われるかわからない泥沼の戦場だったそうです。怪我を負って帰国できたからこそ、その後のさらなる激戦やシベリア抑留を免れることができた——そう思うと、命の不確かさと運命の巡り合わせに言葉を失います。

◆ 「またその話か」と思っていたあの頃の私

正直に明かすと、私が子どもの頃は、父をはじめ周りに戦争を経験した大人がたくさんいました。集まるたびに繰り返される昔話に、当時の私は「またその話か…」と、真剣に耳を傾けていませんでした。

けれど、自分が親になり、そして市議会議員として政治に関わる立場になった今、当時の父の言葉がどれほど切実なものだったかが分かります。

当たり前に温かいご飯が食べられること。 子どもたちが公園で無邪気に遊べること。 夜、安心して眠りにつけること。

私たちが日々送っている「ちょっとした不満や願い」のある普通の暮らしは、平和という頑丈な土台があってこそ成り立っているのだと、痛感させられます。

◆ 記憶を手渡す。今日という日を未来への一歩に

悲惨な体験を語れる人がどんどん少なくなっている今だからこそ、聞いたことのある私たちが、その記憶を風化させずに手渡していかなければなりません。

いつもこの日には娘と戦争の話をします。戦争で父が出征したこと、親を亡くした子がその後どんな暮らしをしたかなど、今日も話しました。

大きな歴史を変えることは難しくても、身近な人と平和の価値を確かめ合い、思いやりのある地域を一つひとつ作っていくこと。それが、過酷な時代を生き抜き、私に命を繋いでくれた父への一番の報いだと信じています。

#ふじみ野市 #議員の仕事 #民部佳代

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