他力本願とお守り
さっきまでNetflixのドラマ「災」の第2話を途中までみていた。
まだ1話しか見ておらず、どういう方向に進むドラマか不明だが、楽しい内容ではないとは思う。
その2話目の主人公は過去にアルコール中毒でもありトラックドライバーで人身事故を起こし、今は運転はできないが運送会社で働いている、みたい。
たまたま、トラックのミラーにお守りが何個も何個も、それこそ10個くらいはぶら下げてあるところがクローズアップするシーンがあったところで、用事があるため見るのを中断した。
わたしは愛犬がいる間は必要だったため車を所有していたが、今はもう処分しており、たまに人の車を代わって運転したり、レンタカーを借りることを除き、運転はしていない。
19歳くらいからほぼ毎日運転していたが、大きな事故は過去に起こしていないし人身事故も幸いなかった。
「他力本願」という言葉がある。
この言葉は「自分では努力せずに人任せにする」というような意味で俗に使われるが、本来の「他力本願」は浄土真宗をはじめとした仏教思想にルーツをもつ言葉であり、阿弥陀仏の「他力」──すなわち自力では到達できない悟りに導いてもらう力を指し、「仏の力にすがって救いを得る」という考え方に基づいている。
とのこと。
この「他力本願」はちょっとネットでいろいろ検索したが、仏教がらみで奥が深すぎてわたしも意味をちゃんと理解したかと言えばちょっと怪しい。
しかし、わたしが思ったのは、ドラマのトラックの「たくさんのお守り」に込められた願い。
そもそもわたしは「神仏あがめて頼まず」的姿勢を意地を張って貫いてきたが、それは「自分の力でなんとかする」というやせ我慢でもあった。
が、最近は、やはりどうしようもないことや、理不尽なこと、予想できないことなどが世の中にたくさん存在することがしみじみわかってきて。
わたしだってどうせ死ぬんだが、どうせなら思わぬ災いや事故に巻き込まれたくはない。
そのなかで日常的に避けようもない災いは、
交通事故(対人事故、単独事故)
転倒などの単独事故
病気(自分、身内、ペットなど)
天災
などであろうか。
実際これらはどんなに気をつけてもどうしようもないだろう。
お守りは、そういった避けようもない災いというものがなるべく近寄ってこないように、という願いを補強するためのものだ。
わたし自身はお守りを持ち歩いてはいないが、なんとなくしきたりとして毎年お正月には破魔矢と干支の人形を神社で買ってくる。
たまに神社にもお参りに行く。
たくさん神様にお参りをする、お布施をする、お賽銭するなどすれば災いが避けられるのであればそういう功徳を積んでいないわたしは災いが降りかかっても助けてくれるものはあまりいないのかもしれない。
それでも日本だけではなく、「お守り」というものは効果があるかどうかは不明だとしても世界に普遍的に存在する。
それだけ「災い」を避けたい、愛する人に災いが降りかかってほしくないという思いはいずこもおなじ。
わたしもあさってはヘルニア注射治療にてガラにもなく入院してしまうが、まあ、何があるかはわからないから、入院の朝は近所の神社にお参りに行こうと思う。
ちなみに、神社ではなく、本来浄土真宗のお寺には「お守り」がない、と。
お守りにあるような、「合格祈願」や「心願成就」という個人の利益や目先の良し悪しを願うことは、
ひとときの安心を得られるかも知れませんが、かえって苦しみの原因である仏教用語でいう「煩悩」を煽るものになりかねません。
仏教、深い!そしてすごい!「祈願」が煩悩を煽るのか・・・
だけど、やはりわたしは普通の人間。
煩悩からは逃れず、人間らしく生きて行こうと思う。
たまには「お守り」に頼りながら。
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