みかんの手触り【風まかせ文芸部 / みかん】
「じいちゃんが、首吊った!」
母が慌てて玄関口でそう声をかけたとき、ぼくは小学校四年生だった。ちょうどそのころ、家で友達のキー坊とゲームをして遊んでいた。
兄と母は一緒に、農小屋でそのじいちゃんを目にしたという。その光景がどういうものであったのか、ぼくは何度か興味本位で聞いてみた。けれど、ふたりはとうとう教えてくれることはなかった。
じいちゃんは、意識を失っていて病院に運び込まれたらしい。眠ったまま、ずっと起きないというような説明をされた。
ばあちゃんの愛の力で目を覚ますのかもしれない。そんなことを考えたが、たぶん難しいだろうなと思った。じいちゃんが家にいると、ばあちゃんはいつも忙しそうだったし、ばあちゃんがなにか言い返すと、じいちゃんの声は急に大きくなって、ぼくはそのたびにテレビの音を上げていた。
ぼくは「死」がどういうものか、よくわかっていなかった気がする。
後日、担任の先生に、おじいさんはどうなったのか、と尋ねられた。
「首を吊って目を覚まさない」と正直に答えた。
周りの生徒の声にならない声のあと、たくさんの目がこちらを向いていた。まずいことを言った自覚は別にない。先生が聞いたのだから、答えて当然。なにが悪いのだろう。
家族で、じいちゃんに会いにいくという話になった。ぼくは会っても特に話すことはなかったので、面倒だと思った。そもそも、話したり一緒にでかけたりした記憶も、ほとんどない。
でも、学研の「3年の科学」の雑誌についてきた「カブトエビの飼育キット」をじいちゃんに捨てられた記憶は忘れていない。未だにうらんでいる。外に置いておいたキットは汚れたごみに見えたのかもしれないが、あの泥の中には、孵る命があったのに。
しかし、病院のじいちゃんは寝ていた。わざわざ給食当番みたいな服を着て、家族で顔を見に部屋に入ったが、ずっと目を覚まさない状態のまま、なにも変わっていなかったのだ。
「どうせ寝てるのに、なんで今日きたの?」
ぼくがそう聞くと、母は気まずそうに笑っていたと思う。
しばらくして、じいちゃんはそのまま亡くなった。
通夜だか葬儀だか、ぼくはわかっていなかった。とにかく親戚の人たちがたくさんきていた。退屈で、兄ちゃんと一緒に暴れて怒られた気がする。和室では棺に入れられたじいちゃんが寝ていて、顔を見に近づいたとき、「こんな顔だったかな」と思った。
兄ちゃんが隣にいる横で、ぼくはじいちゃんの額を触った。
ひんやりしていた。めちゃくちゃ、冷たい。
人間なのに、触ると冷たい。その人生初の体験に、ぼくはなぜだかおかしくて、兄と一緒に声を殺して笑っていた。笑ってはいけない場面ということがわかる年齢なだけに、こみ上げる笑いを押し殺すのに苦労したのをよく覚えている。
そして、そのすぐあとにじいちゃんの葬儀だか法事だかの予定があると聞かされた。くしくもその日は学校の遠足の日で、「みかん狩り」が予定されていた。
法事があるんだ。では、ぼくもそれに参加して遠足は休むことになるのかな? とおぼろ気に考えていた。でも別にいい。みかんを含め、果物全般が好きではないし、バスに酔わなくていいのは幸いだ。
ただ、キー坊と遠足のお菓子を一緒に「矢田屋」まで買いにいく約束をしていたのはどうしようかな。遠足に行かない場合、お菓子三百円分はお母さんは出してくれるのだろうか。
そんな、つまらないことばかり考えていたと思う。しかし、母からは「あんたはその日、みかん狩りに行ったらいいから」と、じいちゃんの法事への参加は免除となった。ぼくはそれを聞いて、センパアが要るな、と思った。
みかん狩りの日は、きれいに晴れた。正直、じいちゃんのことは忘れていた。
当日は、バスで酔わないかどうかの方に心を乱されていたと思うし、当日の遠足よりも矢田屋でお菓子を選んでいた時間の方が楽しかった。
ぼくは草が生えて坂になった部分を転ばないように走り抜けたり、木にいっぱいみかんが成っている中、キー坊と替え歌を歌ったりした。
みかんにあまり興味はなかったけれど、そこで吹く風が運んでいる、ほんのりと酸っぱい空気は嫌じゃなかった。
一応、持ち帰るためのみかんも取った。成っているみかんに触れたとき、とても温かかったのを覚えている。お正月にこたつで食べるみかんは、触るとひんやりしていた気がするので、新鮮だった。
持ち帰ったみかんは、ぜんぶ母に渡した。母は、喜んでいた。
「ありがとう。おじいちゃんに、お供えしたら喜ぶよ。」
そう言っていたが、ぼくは内心「おじいちゃんはもう食べられないんだから、他のみんなで食べようよ」と思っていた。
でも、言わなかった。
みかんを触ったときの温度を、なんとなく思い出していた。
※以下の企画に参加させていただきました。
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