ちゃんといたね【せりふ三題噺 / 宇宙スープ虫よけ】
この植物園は彼女のおすすめということで、先月初めて訪れた。職場では毎日のように顔を合わせている彼女と、休日にプライベートで一緒に出かけたのもまた、その日が初めてだった。
彼女が気に入っているという温室は規模がささやかで、その季節、植物園の目玉となるネモフィラも、広範囲にわたって一面咲いていたというわけではなかった。けれど、肩ひじをはらずに見れるそのゆるさは、かえって居心地がよかった。
小雨が降り始め、展示ブースを見ることになったとき、彼女は言った。
「雨なら、長靴にすればよかったかな。」
彼女の今の格好にそぐわないと思ったので、自分は少し笑って返した。
「すぐ止むみたいだよ。それに、ずっと雨の予報なら、今日は別の場所に出かけていたと思うし。」
「でも、私のおすすめだから。やっぱり、ここに一緒に来たと思う。」
そんなことを言っていた。そうかもしれないな、と思った。職場でも感じるが、彼女と自分とでは色々な部分で感覚が違う。うまく言えないが、彼女は論理でなく直感で物事を処理する。そしてそれが、仕事帰りに一緒に食事をとるようになってからも、自分たちがまだ恋人同士になれない理由なのかもしれなかった。
「あっ。」
彼女がある展示に気づいて指を差す。昆虫や小動物の骨格標本だった。近づいて、眺める。
「ねえ。骨って、星座みたいじゃない?」
「どうして?」
「だって、線でつなぐとかたちになるから。」
そうかな、と思った。自分としては、順序が逆で、無理やりつないでかたちにしたのが星座なんじゃないかと感じていた。
でも、不思議と、彼女の言葉にはいつも説得力があった。あまり自分では考えもしない発想だったとしても、なるほど、という言葉が一瞬頭を漂う。それは自分が、彼女に好意を持っている所以だったのだろうか。
* * *
六月下旬ころにその話は出た。まさか、先月行った場所にすぐまた来ることになるとは思わなかった。
蛍ナイターは、閉園後の植物園で特別に行われるイベントらしい。こちらも彼女のおすすめだった。数日のみの期間限定イベントであり、ここ数年は開催されず今年久々にやるということで、ぜひ一緒に行こうと話はまとまった。
この日も彼女は少し待ち合わせの時間に遅れており、自分は待つ間、帰りのバスの時間を調べていた。
事前に読んだ植物園のサイトには、「天候によっては蛍がほとんど見られない場合もある」とあった。昔から、そういう一文が妙に気になる。
「ごめん、お待たせ。」
無事合流できたあと、入園前の列に並んでいると、彼女は思い出したようにかばんをごそごそやりだした。
「虫よけ、忘れてた。」
小さいスプレー缶を取り出し、控えめにシュッと手首足首に塗布する。ここでやるんだ、と思いながら苦笑して見つめていると、「いる?」と彼女は声をかけた。
もう済ませてあったので断ったが、そのあとすぐ「もらってもよかったかも」と後悔した。ほんの少しアルコールっぽい匂いがして、そのあと彼女のシャンプーの匂いが混ざる。
「あれ?」
そのとき、人の流れの中に見覚えのある頭のかたちを見つけた。
「……部長じゃない? お子さん連れてる。」
「ほんとだ。そうかも。」
部長は、奥さんらしき人と、男女の子どもひとりずつを連れていた。そこには、仕事中の厳めしい顔つきから想像できないような、柔和な笑顔が浮かんでいる。
自分はなんとなく、見つからない方がいいかも、と思った。職場は、恋愛禁止というわけではない。ただ、同じ部署に恋人同士がいると片方が異動させられるという不文律があった。
* * *
暗くなるまで、園内を見て回る。前に来てから一か月なので、雰囲気は劇的には変わらない。けれど、今日は遅い時間まで見て回れるという気持ちのゆとりがあった。
休憩がてらベンチで座っていたとき、また遠くの方で部長一家を見かけた。なんとなく、姿勢をただす。彼らは、園内のキッチンカーで買ったであろう紙カップのスープを飲んでいた。暗い中で、湯気だけが白く見える。
彼女の方は、部長のことは気にも留めていないようだった。
しかし思えば、見つかったとて問題はない。まだ、自分たちは付き合っていない。そう思った瞬間、胸の奥が妙に空いた。けれど同時に、胸がつかえるようでもあった。
部長は相変わらず、子どもや奥さんらと一緒に笑っていた。
そうしているうちに園内はすっかり暗くなり、遊歩道のあたりに人が集まり始めた。見ると、結構な数の人であふれている。前回来たときは、そこまで混雑していなかったのに。
やはり都会で蛍を鑑賞するイベントは、特別ということなのだろう。明かりを点けるのは禁止されていて、暗闇の中、人々は蛍を探して静かに目を凝らしていた。
しばらくして、あっちで光った、こっちで光ったと、さわさわと声が上がりはじめていた。
「ほんとにいたんだって!」
声をあげる小さい男の子。それに、妹らしき女の子の泣きそうな声が続く。
「え~見えない、どこ?」
部長の子どもたちだった。暗さでお互い視認できないだろうと思いつつも、つい目がいってしまう。自分たちの方も、水辺の方を見て待機していたが、なかなか目当ての光にお目にかかることはできなかった。
少し歩き、場所を変えてから少しあとのこと。
「見て、光ってる。」
彼女が指を差した。目が慣れたからだろうか、暗い中でも、隣にいる彼女のことはよく見えた。
光。
自分はこの年になるまで、蛍というものをみたことがなかった。
彼女から蛍ナイターの話を聞いたとき、実際興味はあった。でも、ただの光る虫だろうとも思っていた。小さく光るだけだと、他の光と見間違えるのではないかという妙な懸念もあった。
でも、そのとき見た光はきっと蛍だった。
ひとつ。またひとつ。
一度見つかると、続けて見ることができた。
あちらからこちらへ光りながら移動し、消えたと思うとまた、別の場所で光る。星も見えない地元の空を思えば、その光は宇宙に浮かぶ星よりも、幻想的で、現実的だった。
こちらの都合なんておかまいなしに、気まぐれに明滅する姿が、愛おしくもあり憎らしくもあった。
自分もこのとき、部長のことは頭から抜けていた。
ほんの少しの間だったけれど、自分の感覚が、彼女にぴったり寄り添っているような、そんな気がしていた。
* * *
終わりの時間が近付き、自分たちは植物園をあとにした。
バスの時間は、彼女は見ていなかった。こちらで控えておいてよかった。少し並んで、乗り込む。
腰を下ろし、先ほど胸に刻んだ光景を思い返していた。閉園後なのでお土産を買えるわけもなく、暗かったので写真も残っていない。持ち帰れたのは、思い出と、少しの虫さされ。でも、きっとそれ以外にも。
「ね、ちゃんといたね。」
帰りのバスの車内で、彼女は笑顔で言った。自分はうなずきながら、ふと、スープを飲む部長一家の姿を思い浮かべていた。
彼女が言ったのは、きっと蛍のことだろう。バスの窓に映る彼女の横顔の向こうで、暗い植物園の灯りが遠ざかっていった。
※以下の企画に参加させていただきました。
※以下の企画にも参加させていただきました。(任意締切後投稿)
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