魂を、ひとすくい【創作】
昔好きだったアーティストが、新曲を出していた。最近はチェックすることもなくなっていた。迷いながらも、購入し再生する。
どこか懐かしい旋律に、変わらない歌声が乗っている。けれど、若い頃に聞いたときほど、胸は躍らない。
その理由はおそらく、自分も曲を作る方に回ったから……ではない。
このふたり組のユニットは、当時と作風がだいぶ変わっていた。低く跳ねるようなベースの音と、掠れた高音の歌声が彼らの魅力だった。
その片割れ、掠れた高音の方に熱愛報道が出てから、甘ったるい曲が増えた気がする。それまでの飢えた獣のような歌詞と、歌詞にそぐわない牧歌的なメロディーがよかったのに。
今では、おもちゃのような軽いシンセの音が、耳の周りを飛び回っている。なにかに挑戦するという内容の歌詞も、どこかありふれたものに感じた。
俺だって、音楽を語れるほど詳しいわけじゃない。楽器は昔ベースを少し。なんだかんだ、キーボードはずっと触っているが。
声は入れず、歌詞なしの曲を作るのが楽しかった。クラシックやゲームミュージックから、音楽というものに魅了されたクチだ。流行りの曲や歌詞有りの曲ももちろん、人並み程度には聴く。ただ、理解と分析のために聞いていて、楽しんでいる自分はそこにはいない気がしている。
そんな中で、さっきのふたり組は特別だったのに。
惰性で続けるくらいなら、あのころに引退してくれた方がよかった……そう思ってしまう自分がいた。そうすれば俺の中では、より伝説的な存在として心の奥底にしまっておくことができたのに。
俺は苦笑して、浴室へ向かう。シャワーを浴びて頭を冷やしたかった。浴室内の鏡からは、無精ひげを生やした男が、拗ねたような目でこちらを睨んでいた。
* * *
頭にバスタオルを被せて、浴室から出る。足裏がひたひたと湿気たフローリングに張りつくような音を立てた。
ベッドに腰を掛けて身体を沈める。
昔から自分には、良いものだと思って触れたものの中に「明らかな手抜き」を見つけると冷めてしまう節があった。
例えば。一番で引き込まれる熱量の歌詞と勢いがあったのに、二番で急にラップになってそれまでの展開を茶番にしてしまったり。一番と二番の歌詞の対応関係があやふやで、曲を通して全体のテーマが伝わってこなかったり。
「途中でいいものを作るのを諦めてしまった」ような惰性を感じる曲は、ずっと苦手だった。表現者にとって、最後にふりかける調味料は魂じゃないのか、と自分勝手に憤っていた。
俺はアマチュアだったが、サイトでサンプルを公開し有料ダウンロードコンテンツとして販売したり、ときには友人に依頼されて動画に挿入する曲を作ることもあった。
しかし、素人の売る楽曲なんて注目されないし、ダウンロード数なんて一曲当たり月に二桁にも届かない。友人からの依頼には格安で受けていたが、それすらも今はなくなった。
「最近は、AIに作ってもらってるから」。
その一言で、終わりだった。無言で通話を切るなんて、ダサい抵抗だったなと今でも思う。
依頼されていたり、期限が定められていたりすると、ひりついてなんとか形にできる。だが、作りたい、表現したいと思うほど、良いものが浮かばない。そのたび「プロじゃないんだから仕方ねえ」とふて寝していたけど、やりたいことがやりたいようにできない事実に、イライラが日増しに募っていった。
自由に思ったことを表現できるのが、アマチュアの強みじゃなかったのか。
イライラの根源は、認めない世間や去っていった友人ではなく、いつまでも中途半端な自分自身だった。それがわかっているからこそ、余計に許せなかった。
* * *
その日の寝る前、ふっと頭に一小節が湧いた。
悪くない。
そう思った俺は、すぐに飛び起きて、PCのアプリを立ち上げて楽譜に打ち込む。ベースラインをあわせ、展開を作り始める。
前後の小節の音を打ち込むも、乗らない。接続させるメロディーが浮かばない。出ても、ありきたりなラインに接続すると冷めてしまう。
気づけば見覚えのある和音が連続し、以前に作曲したものと似たような音符と休符の組み合わせが譜面に残る。
連続で同じ小節を再生していたループ再生を停止する。マウスをクリックするカチッ、という音を最後に、部屋には長い静寂が落ちた。
これでは、俺が嫌いな惰性のままだ。新しい視点がなければ、譜面全体の風通しは悪いまま、音が濁って死んでしまう。
こんなとき、大抵俺は往年の名曲を引っ張り出してきて、聞いた。イントロ前、一拍だけ空く無音や、サビ前のドラムが一度だけ抜ける瞬間を。
ただ最近は、かつて好きだった曲も素直に楽しめなくなってきていた。例のふたり組ユニット以外の曲でもだ。正直、作り手側に回るために研究しすぎて、そこに残っている魂ごと、全部取り込んでしまったような気になっていた。
今では、創作物を生み出せるのは、生きた人間だけではなくなっている。聞いたり見たりして楽しむ分にはいい。けれど、出力するだけの者に「表現者」というラインを越えさせたくはなかった。
最後の一音までこだわって、音を置く。「俺が作った」と言えるように。腰かけたベッドの上で、両足に力がこもる。ふくらはぎがきゅっとそのかたちを変え、足の指先は白くなった。
そういう意味では、迷った挙句、最後の最後で人の手によってラップになったり、絞り出した結果ちぐはぐな歌詞がついたのだとすれば、苦手だった曲にも「魂がこもっていた」と言えるのかもしれない。
あの曲。
今聞くべきなのはあちらかもしれない。気づけば、PCの音楽プレイヤーのアプリをあらためて立ち上げていた。
俺は曲のリストから、タイトルを探し始めた。クリックする前、カーソルが少しだけ止まった。
この前聞いた新曲と、テーマが近いことに今気づいた。
あの日は聞き流してしまった二番。それを今日は、ちゃんと最後まで聞いてみようと思った。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。