表示できません【創作】
日本で見たSNSの投稿。
その投稿者の男性は、数年前から一家で海外で生活していた。インターナショナルスクールで学ぶ息子と一緒に、夏になると日本へ帰ってくるらしい。
「息子のテスト。漢字ができなくて困る」
その人は、小学校高学年の息子の、漢字テストの結果を画像でアップしていた。低学年レベルの漢字以外、読み書きできないという。
それを見て、俺は眉をひそめる。
海外での生活を経験させることは、その子の人生の幅を広めるための選択としておかしいものではない。その分、日本で学べるものが減ってしまうのだって仕方がない。
気になったのは、テストの氏名欄に、ぼかしも入っていなかったことだ。
「その子が漢字ができない事実」を実名付きで晒していることに対する、大きな違和感。この投稿者が何歳か知らないが、ネットリテラシーをどこかの時代に置き去りにしてきたのか。
しかも、それに対して、コメントでも違和感を感じている声は思いのほか少なかった。ネットへの顔写真や実名公表について、SNSの発展で、知らないうちにみんなの感覚が薄くなっているのかもしれない。
ひとつ、自分の意見に近いコメントを見かけた。
「全世界に実名付きで公開するのは、酷だと思います。お子さんのために、やめてあげてください。」
その投稿した男性は、コメントに対して煽るような返信をしていた。
「は? お前はこの名前だけで、俺の子だって特定できんの?」
息子が今高学年で、数年前から一家で海外で生活している。同じ人の投稿に、国名まで記載があった。これだけの情報でも、かなり絞り込めそうだった。
特に、反論やコメントはしようとは思わなかった。
ただ日本において、漢字を扱うことの重みについて考えたとき、ふと昔のことを思い出した。
学生時代、留学していたころの話だ。
ニュージーランド・オークランドの領事館での体験。
首都じゃないからか、大使館ではなく領事館。「ああ、要するに派出所みたいなもんか」と当時思った記憶がある。
とにかくその日、手続きのために、領事館に行かなければならなかった。
授業に影響が出ないよう、学校の昼休憩時間に行った。しかし、お昼休み、ということでその時間に対応してくれる人はいなかった。
担当窓口は日本人だったが、休み時間まで仕事に追われているような日本人を、海外でまで見たくはなかったし……昼休みなら、まあ仕方ない。
問題だったのはそのあと。待たされたあと、戻ってきて対応してもらったときだ。
公式な手続きにおける書類で、俺の苗字の漢字が間違っていた。確かに、今でも、間違えられやすい漢字ではあった。会社で使っている名刺にわざわざルビを振っている程度には、珍しい三文字熟語だ。
「あ、漢字が違っています。」
当然指摘する。そのときは、気づけてよかったというくらいの気持ちだった。しかしその担当者の態度は、現地の風くらい軽かった。
「ああ……まあ、これくらい気にしませんけどね。」
は? と思った。こいつ本当に日本人なのか、と。
海外旅行のとき、パスポートの氏名が一文字違ってるだけでさんざん待たされる、みたいなことがある。下手をすれば出国不可にすらなりかねないと聞いていた。
そのくらい、身分証や名前の表記というものは大事なはずだ。
気にしない、は相手からすればそれはそうだろう。もしかすると、海外住みが長いと、その感覚が自然になってしまうのかもしれない。
読みが同じならいい。手続きが進むなら問題ない。
違くないか。
名前は単なる識別記号かもしれない。だからこそ、漢字一文字で、その人じゃなくなる。日本では漢字氏名は、その人そのものじゃないだろうか。
あの職員も、今日見た父親も、漢字を軽く扱った。でも、本当に軽く扱われているものが、たぶん別にある。
スマホの画面をスクロールする。SNSの、さっきの投稿をもう一度見にいこうと思った。閲覧履歴をたどり、確認する。
あの投稿は、消えていた。
自身で消したからか、通報されたためか、その理由はわからない。
ただ、親が「息子に申し訳なかった、間違ったことをしてしまった」と思って消したとは思えない。
指先を止めた。画面には「この投稿は表示できません」の文字だけが表示されている。
けれど、ひとりの人間の名前が確かに一度、世界に放り投げられた。その事実だけが、消えずにそのまま残されていた。
いいなと思ったら応援しよう!
書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。