母の入院準備の日、父は変わることなく父だった
母の入院準備のために、実家へ帰省した。
足りないものを確認して、必要なものを買って。
母は、メンタル落ち落ちの時特有の「こだわり」が強くなる。
自分で決めないと納得しないから、一緒に連れて行かなきゃ。
そうして、やることをひとつずつ片づける。
そういう日になるはずだった。
でも、母は、買い物には行けなかった。
体がきついから行きたくないという。
それ以上に、何を買えばいいのか、何が必要なのか。
小さな判断が、もうできていなかった。
わかるのは「得体の知れない不安」に囚われていることだけ。
その不安を浴び続けていると、こちらの余裕も削れていく。
必要なものを書きだしながら、つい語気が強くなった。
「お母さん!その心配はさ、その時が来てからにして!!」
母が悪いわけじゃないのに……。
こうなると、今度はわたしが自分を責めたくなる。
買い出しには、折り合いの悪い父と二人で行くことになった。
その「地獄の車内」の中で、父がふいに言った。
母が入院する前に、実家に連れていきたかった、と。
母の兄である伯父に会わせたかった、と。
入院前だから、会わせてあげたいのか?
父も、自分の弟の余命がわかったときは 、
何度となく会いに行っていたから。
90歳を前に、ちょっとは人間らしくなったかと。
やっとこの人にも……最初はそう思った。
でも、そんなことがあるはずがないのだ。
「あの人たちは、お母さんがいい時の姿しか知らない!」
「悪くなった時どんなに大変か、見てもらわないと」
(ああ……)
わたしの中で、なにかが凍りついた。
母を兄に会わせたい、ではなく。
母の弱った姿を、見せたい。
それは母のためではなくて。
自分がどれだけ大変かを、わからせるためだったとは……。
悪い時はこんな風になるんだ。
自分はこんなに大変なんだ。
アンタたちは言いたいことだけ言って、何も知らないだろう!
そう伝えるための材料みたいに、母を扱っているように見えた。
さすが、祖母と揃って、母に意地悪をしてきた人だ。
母は、ずっと父を信じようとしてきた人だった。
何度も傷ついて、何度も泣いて、一度は実家に帰って。
それでも祖父に連れられて戻ってきた。
わたしたち3人の子どもを育てるために、
その道を選ぶしかなかったのだろう。
家の中で女の子は、わたしひとり。
だからいつの間にか「わたしが母の味方でいなきゃ」と思っていた。
父に言い返せない母の代わりに、わたしが食ってかかる。
なにも力のない娘なのに、
家庭内の小さな防波堤みたいな顔をして。
今日も、スイッチが入りそうになった。
お父さん、自分が何を言っているか、わかってる?
いったいいくつなの?いい加減にしてよ!
一度でいいから、真正面から言ってみたい。
でも、言わなかった。
言えなかった、のではなくて。
もう、心底残念で、怒る気力すらなかった。
父は、変わらない人だ。
誰かに「俺が一番大変なんだ!」ということをわかってほしくて。
その伝え方がいつも誰かの心を削る。
母を削り、家族を削り、
わたしの中に残っている「なにか」も削っていく。
怒らなかったのは、許したからじゃない。
納得したからでも、大人になったからでもない。
そして、言葉を失ったわけでもなかった。
心底、疲れていた……。
母の入院準備は、荷物をそろえるだけでは終わらなかった。
母の不安を受け止めること。
父の言葉に飲み込まれないこと。
言いたかった言葉を、喉の奥にしまうこと。
全部まとめて「準備」だったんだ。
しんどかった……。
でも「しんどかった」と書けるだけ、まだマシなんだろう。
本当にどうしようもなくなったら、また床に穴をあけるかもしれない。
だから、今日はここまででよしとしよう。
床に穴をあけるほど気がふれそうになった日のことを書いた記事はこちら👇
母の入院が決まった日のことを書いた記事はこちら👇
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頑張り過ぎず、抱え込み過ぎず……共に進みましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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