「お前のせいだ」と言われ続けたわたしが、母とレモンを収穫した日のこと ~22日は健康を振り返る日~
22日は「健康を振り返る日」にしている。
それは、2022年9月22日に開頭手術を受け、あきらめていたいろんなことにふたたび挑戦する機会をあたえてもらったから。
毎月このテーマで書いているけれど、今月は、母の挑戦について書き残したい。
誰もが「もう後退していくばかりだろう」と覚悟をきめたのに……
母は驚くことに「少しだけ進化」していた。
いろどりをうしなった庭
月に2〜3日、母のリハビリサポートのため、実家に帰る。
母は、週に3回デイケア施設に通所し、それ以外の3日は入浴介助を利用。
病院と家族以外のいろんな方にも支えられ、レビー小体型認知症と診断されても、おだやかな状態を保っている。
今できることを!と考えたわたしは、病院でもデイでもやらないリハビリ代わりになることを、母と一緒に取り組みながら過ごすことに決めた。
先日帰省した時、家に入る前に、少し庭を歩いた。
かつては、母の癒し場であり、唯一の「自由になる場所」だった庭。
色とりどりの花であふれ、植物に疎いわたしでも「ここを見れば季節の花がわかる」ような場所。
2021年の大晦日、更年期に発症してしまった双極性障害が、20年以上の時を経て再燃し、年が明けるとともに入院した。
かなりハードな治療を試して、それでも「人間らしい回復反応がみられなければ……」といったんは医者も言葉を濁すような状態。
そのショックからか、他人の病気に対してでさえ自分の思い通りにならない憤りからか、わからずやの頑固おやじである父が、母の所有物に八つ当たりを始めた。
「こんなものがあるから……あいつは心配ごとが絶えないんだ!」
そう言って、花壇の植物を全て引っこ抜き、防草シートで覆った。

奇跡的に回復し、ふたたび実家で暮らせるようになった母は、変わり果てた花壇の様子に呆然とした。
「どうしてこんなことに……」
とつぶやいた時の表情を、わたしは忘れられない。
「植物はもう育てない。なにかあった時に、お前以外誰も世話できないから。どうしても花が欲しいなら、小さな鉢植えだけにしてくれ!」
父が、自分の都合だけを考え、もっともらしく母に約束させた。
よく言うよ、自分は規格外の野菜を家庭菜園で作っては、親戚やご近所に配りまくるくせに!
声に出せない悪態を、心でつくしかない情けないわたし……。
父にとっては、植物でさえも「おいしく食べられて、誰かの役に立ち、喜んでもらえることこそが価値がある」のだ。
土いじりしながら心を整え、美しく咲いた姿を愛でるなど、何の意味もない。
生きのこった裏庭にあったもの
その日は、1月とは思えないほどあたたかかった。
(これはチャンスかも!)
意を決して、母を裏庭へ誘った。
先にリサーチしていたくせに
「あのさ、無農薬のレモンが欲しいんだ。前にレモンは冬が旬って言ってたでしょ?もう実はついてるかなぁって思って……」
とっても嘘くさい演出で、歯が浮きそうなセリフを口にする。
それでも、母は嬉しそうに
「レモンだけじゃないよ。もっと大きな実もあるよ!」
と微笑んだ。
娘より先に、リサーチ済だった……。
庭ではなく、お隣との境目の裏庭だからか?
それとも、彼らはうまく実れば「食べられる」し「人にあげられる」からか?
レモン、カボス、晩白柚(ばんぺいゆ)、金柑……そして、冬お馴染みの花、蠟梅。
派手さはないけれど、黄色とオレンジに彩られた季節はちゃんとそこにあった。


手しごとというリハビリ
この日は、母と一緒に台所に立った。
リハビリと言えるほど大げさなことではないけど、母が一番楽しみながら取り組んでくれるのが「料理の手しごと+リハビリ」だ。
包丁を持つ手を横で見守りながら、わたしはそれとなく別の作業をし、母は母のペースで手を動かす。
ただ、それだけの時間。
以前のようにスムーズには動かせなくなった手先を、たまにもどかしそうにしながら。
時には眉間に悔しさをにじませながら……。
昨年の秋ごろは、震えが出ることがあり、わたしももっと注意していた。
でも、不思議なことに、年末頃から落ち着いてきた。
真剣に取り組むがゆえにだんまりになりがちだったけど、今は手仕事をしている時のほうが、言葉が出てくる。

おもむろにはじまった「あの時」の話
とつとつと、母が話しはじめた。
それは「自分がぶっ壊れる前」の話。
父の前立腺がんが見つかった時のこと。
重粒子線治療が決まるも、命に関わるものではないと説明も受けた。
それでも「頭では理解できても、心は別!」だったようだ。
昔、治療を受けた人にかかった費用を聞いて知っていた。
今は健康保険の適用があり、高額療養費制度も使える。
生命保険だってかけ過ぎるくらいかけている世代だ。
なのに……こんな時に「保険」は心の支えにもなってくれない。
父の治療の支えにはなっても、母の中に金銭的な不安を呼び起こした。
また、亡くなった祖父も、前立腺がんから始まり、大腸がんへ転移を繰り返したことを思い出した。
一旦治っても、またすぐつらいことが待っているかもしれない、と。
「考えなくていいことまで、全部つながって見えたのよねぇ……」
そう言って、母は少し笑った。
見えない重責
さらに追い打ちをかけたのが、長くお稽古に通っていた「御詠歌」の団体での出来事だった。
檀家さんの中でどうしても折り合えない人がいる。
近所の奥様だったのでわたしも知ってはいたものの、その存在が想像以上に負担になっていたらしい。
持ち回りの役員を引き受けるも、すべてその奥様に否定され打ちのめされたこと。
それ以外にも「檀家」「ご近所」「女の集団」「年老いてもなお序列」「歌の実力」……うらめしい、という言葉がピッタリのいろんなことが繰り広げられていた。
そこまで話して、母は一度、言葉を切った。
出てこなかった話と、ずるいわたし
てっきりそうに違いない!と、家族のみなが決めつけていた
「義姉のバセドウ病」のことも
「私の頭は手術しないと完治しない」ということも
その時の話には出てこなかった。
じとっと汗ばむ手を、握ったりひろげたりしつつも、わたしは
「意地でも聞くもんか!」
と、一切、尋ねなかった。
それ以上……掘り下げる勇気が出なかった。
あとから、そんな自分を少し卑怯だと思って、凹んだ。
でも、手術が決まってから今のいままで
「お前のせいだ!」と言われ続け
「そうだ……きっとわたしのせいだ……」と思い続けたから。
せめてこれくらいのずるさは許してください。
だれに了解を得ているのかわからないまま、心の中で手を合わせ続けた。
おわりに
1月は、これまでずっと、しんどい記憶ばかりが先に浮かんできた。
母がぶっ壊れて入院したのも、1月。
「お前は帰ってくるな。お前のせいでお母さんがまたおかしくなる」
そう言われたのも、1月だった。
思い出したくないほどカオスで、お正月なんて本当は少しもおめでたくない。
ただ何事もないように、三賀日が過ぎてくれたらいい。
そんなふうに思うようになっていた。
でも……今年は違った。
母のことを、少しだけ客観的に見られるようになった。
見ると胸が詰まってしまう実家の庭を、母と、わんこと一緒に歩いた。
母が本調子でない時は、わんこも遠目から様子をうかがうようになっていた。
動物なりに、何か感じ取っていたようだ。

でも、今はちがう。
たわわに実った柑橘たちを、母とわたしが収穫するのを足元で見ている。
大袈裟だと言われるかもしれない。
それでも、私にとっては、奇跡のような時間だった。
母の健康と、わたしの健康。
病気から始まった戦いは、いま一時休戦中、といえるのかもしれない。
その日の「手仕事のようす」を投稿したXはこちら⇩
【朝活732日目】おはようございます!母のリハビリを兼ねて、家庭菜園の金柑を甘露煮に。震える手でひとつひとつヘタを取り、十字の目を入れる母を見守りながら、わたしも思わず力が入る。けれど、効率や成果を追い求める日常から離れ、この「ままならない過程」をともに過ごす時間こそが、今の私には… pic.twitter.com/VBIQtC5MhE
— みむら@チリツモチャレンジャー (@mimulabo11) January 17, 2026
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この記録は、苦しみ続けた過去のわたしのために残したものですが、同じように立ち止まっている誰かに届いたら、という気持ちで置いておきます。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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