【第3回】自分の現実は自分で創っている件について③───2026年8月1日
きょうはね、
ちょっと“良い事”があったんだよ?
昨日のnoteでは話題にしなかったけれど、
昨日は月末だったから、
YouTubeに新曲をあげた。
そしたら?
ほんとうに久しぶりに
アップロードから24時間以内に
視聴回数100回いきましたー✨✨✨
⬇⬇⬇上・京・物・語⬇⬇⬇
2026年(=今年)の春先くらいからかな?
YouTubeで音楽といえばAI音楽、
という雰囲気になってしまって。
『人間の』歌い手が
ただ歌ってるだけのコンテンツなんて
ほとんど相手にされないのが
当たり前になってしまって。
数年前から知っている、
チャンネル登録1000名前後の歌い手さんたちも、足並み揃えて『聴いてもらえなく』なってきて、新曲を出しても視聴回数100回にさえもなかなか到達できないのが、ふつうになってしまったからね。
(※数字に注意、チャンネル登録千名でも視聴回数の百回が難しいのです)
それで、
あたしとしては、
『自分で聴いた分しか』
どぅせ視聴回数は増えない、
という前提で、
どれくらい聴いてもらえるのか、とか
聴いてくれる人はそもそもいるのか、
じゃなくて、
ただ淡々と、
『自分で自分に課した義務を果たす』
だけの気持ちで、
毎月新作をアップロードしていたのですが。
そしたら本日、
ほんとうに久しぶりに、
『出したばかりのコンテンツが』
小規模ながらも、
YouTubeのおすすめに載った模様。
なんか、
最近は時間の流れが速すぎて、流行り廃りというやつもとんでもなく速くてですね。音楽といえばAI生成音楽、という風潮もさっそくもぅ終わってしまったようで。
いまは、1周まわって『人間の歌声を聴きたい』という状況なのかもしれないですね。
しっっかし、
それにしてもあたしはあたし、
『この性格で』ほんとうによかったね!
つい最近、
『あたしもAI生成音楽にはまってしまって』
『自分で自分の歌声を聴く時間が大幅に減ってしまいました』
という記事を書いたばかりだったのに。
おもしろいことに、
『状況が変化したとしても』
あたしは、
まったく気にせず、
いつもどおりに行動する性格ですから!
いつもどおりに、
『月末になったので』
録音してあった歌声をアップロードしたら、
まったく期待していなかったのに、
なんか、
ものすごく久しぶりに、
YouTubeがあたしの歌声を拡散してくれましたー✨✨✨
なんていうか、
風向きが変わったというのか、
“吉兆”と呼べばいいのか。
理屈はどぅぁれ、
良い事がありましたー💕💕💕
♡♡
♡♡
♡♡
♡♡
では、
きょうは、
このまえの話しのつづきです。
⬇⬇⬇これが第1話です✨✨✨⬇
そして、
タイトルには入っていないけれど、
これが第2話だったことにします。
⬇⬇⬇これが第2話です✨✨✨⬇
第1話第2話を要約すると、
【その1】
引き寄せの法則や、それに類する願望実現法では『自分の現実は自分で創っている』と教えられるが、じっさいにそのように実感するのは難しい。
【その2】
あたしの場合は、生まれ落ちた境遇があまりにも悲惨だったので『親ガチャ大失敗』だと本気で思っていた。
【その3】
ところがつい最近(※2026年7月末に)急転回が起こり、どのような悲惨な境遇であっても、それを創造したのは自分自身であることをついに認めた。すなわち、毒親に虐待される境遇を創造したのはあたし自身だ!と。
そぅして、
きょうはそのつづきを語ります。
【その4】
あまりにも悲惨すぎて『自分で創造した』とは到底認められないような出来事を、ついに『これを創造したのは自分自身だ!』と明言できるようになると、、、、
【その5】
おめでとうございます✨✨✨
これにて“ゲームクリア”です💕💕💕
はい!
これはまさしく、あたし自身がいま体験している出来事であるので、
これを実感とともに語ることができます。
順番に説明してゆくとすると、
まず、
親ガチャ、
という表現を使っている、
ということは、
『そこに偶然性を認めている』
ということであり。
あまりにも毒々しいその夫婦が、よもや自分の両親だったことに関して。それは偶然の産物であり、そのような人物があたしの両親を務めるように仕向けたのはあたし自身であるはずがない、
というふうに、
『自分の現実は自分で創造している』
という“真実が存在する”ことを、
まだ否認していることになります。
これは容易なことではないのは、
あたし自身も、
実感としてよくわかる。
けれども、
激烈なトラウマを伴うような、
ものすごく嫌な出来事、嫌な境遇が
『まるで城壁のように』
自分の前に立ちはだかるのを、
理由なんてどぅだってぃぃから、
『これを創造したのは自分自身だ!』
と、ほんとうに認めることができたなら、
“城壁”は勝手に溶けてしまって、
この世という“檻”から抜け出す──というか
“檻”そのものが勝手に消えてしまうので、
ありとあらゆる“障壁”が
勝手に消えて、
あなたは、
“自由の身”になることができます。
そぅぃぅゎけなので、
『親ガチャ大失敗』を信じていた
数日前のあたしと、
『それを創造したのは自分自身である』と
はっきり認めた
現在のあたしとでは、
ほんの数日しか経っていないのに、
『別の世界線に生きる』
『別の存在』であると、
はっきり実感できます。
この現象を、
まさしく、あたしは、
いま体験したばかりだから。
まもなく“同じ現象”を
体験するかもしれない
あなたのために、
貴重な情報を、
ここに書き残しておくことができます。
ほんとうのほんとうに、
文字どおりの“実感”として、
『壁が溶ける』
んですよ💥💥💥
『親ガチャ大失敗』を信じていた時代のあたしにとっては、毒親もカルト宗教もたしかに実在している存在であり。
よりによって、
そのような境遇に生まれ落ちて、
あのような卑劣で愚昧な者どもに“捕らえられて”しまったばかりに、
ほんとうに悲惨な境遇に陥ることになってしまった。
この認識こそが、
ほんの子どもだった、
物心ついたばかりの頃から、
およそ30年もの長きにわたって、
あたしにとっての“常識”であり。
ということは、
あたしの世界観には、
『敵』が存在しており、
『理不尽』が存在しており、
この世はまったく安全な場所ではない。
だってこれって、
『子どもだからといって』
『オトナに庇護してもらえることはない』
ということですからね!!!
ところがですね、
生まれながらにカルト宗教に洗脳されていたり、理不尽きわまりない両親から過酷な虐待を受けていたことは事実でも、
『その境遇を創造したのは自分自身だ!』
という“事実を認めた”瞬間にですね、
なぜか知らんが、
毒親もカルト宗教も、
『溶けて消えて無くなって』
しまうのですよ??
これはね?
わたしがいてあなたがいる、
という“通常の視点”からは
離脱しているからこそ、起こる現象。
つまりね?
あたしがいて、
あたしとは別に、
毒親がいてカルト教団があって、、、、
という“認識の仕方”をしているうちは、
どぅしたって、
『なんでこんな理不尽なものが存在しているのか??』
ということになってしまい。
その視点から、
『なんでよりによってあたしはこんな理不尽な目に遭わなくてはならないのか??』
ということを
どれだけ思考しても、
“答え”は絶対に出てきません。
まぁね?
“魂の成長説”を本気で信じられるなら、
『魂を成長させるために』
あえて理不尽な環境を選んで生まれてきた、
という言い方が成り立ちますけど。
あたしはあたし、
その見方が、
心の底から大嫌いなので。
魂の成長説に対して
“絶対的なアンチ”である、
あたくし板谷ミミィの視点から、
これについて補強するなら、
つまりね、
『自分がいて』
『それとは別に毒親やカルト宗教が存在する』
という見方をしているうちは、
理不尽だ、
という答えにしか、
絶対にならないのだけれど。
あのね?
『あたしの現実はすべてあたしが創造した』
という“事実を認めた”ときに
起こる現象はですね、
それじたいが、
『次元の階層が違っている』ため、
“世界が溶ける”体験が起こる。
どぅぃぅことかとぃぅと、
『あたしがいて毒親がいて』
という認識では、
あたしと毒親は、
同じ次元、同じ“物理的現実”にいる。
それに対して、
『あたしの現実は』
『あたしが創造した』
というとき、
あたしが生きている現実、に対して、
真上にある“上の次元”の自分が想定され、
『上の次元にいるあたしが』
現実を創造し、
『下の次元にいるあたしが』
じっさいにそれを生きている、
という“構図”が立ち現われることになるため
『上の次元にいる』
現実を創造したあたしは、
『下の次元にいる』
毒親やらカルト教団なんかよりも、
明確に“上の存在”であり、
“上の次元の存在”を
自分自身の認識のなかに組み込むことが
ほんとうにできてしまうと、
──上の次元の自分こそがほんとうの自分なので──
下の次元の“現実感”が、
急速に“溶けて”しまうのですね。
ええ!
ですから、
『自分の現実は自分で創造している』
と、心底から認めることは、
『現実を創造することのできる』
上の次元の自分自身を、
いまの現実のなかに
“呼び込む”行為であり、
これこそが、
現代人にも利用可能な、
本物の“召喚術”なのではないかな??
♡♡
まだほんの子どもだった、
幼少期のあたしには、
すでに成人している毒親夫婦や、
そいつらを含めたカルト教団という
“組織ぐるみで”囲い込まれたら、
まったくもって、勝ち目が無い。
まったくもって、為す術もなく、
一方的に洗脳され虐待されるしかない。
ところがですね、
この見方では、
『わたしは』ひとりの人間で、
『毒親やカルト宗教の面々』も
それぞれ人間ですから、
そもそも人数でも勝てないし、
年齢も加味したら、
あたしは一方的な被害者、
ということにしか、
なりようがないのですが。
ここで、
あえてこのような、
『理不尽きわまりない』境遇全体を、
『それを創造したのは自分自身である!』
と認めることで、
なんと、
あたしを取り巻く現実全体を
“自力で創造”できる、
『上の次元の自分自身』が、
とつぜん物語のなかに入り込んでくることになるので。
その途端に、
物語の全体像が変わってしまって。
『上の次元のあたしがほんとうのあたしなのだから』
下の次元での登場人物にすぎない、
毒親だのカルト教団だのは、
存在そのものが、
“溶けて消えてしまう”ことになるのです。
わかりますか?
いままで、
わたしという人間と、
毒親やカルト教団の面々は、
『同じ人間である』
という視点から見ていたわけです。
そしてその視点にいるかぎりは。
起こった出来事は理不尽きわまりない。
ところがですね、
『それを創造したのは自分自身である!』
と認めたことで、
『現実を創造できる自分』
すなわち、
『上の次元にいるあたし』が
物語のなかに登場することになり。
『上の次元にいるあたし』からすれば、
毒親だろうと、カルト教団だろうと、
単なる“被造物”にすぎず、
ストーリーテリングの一部分にすぎない。
物語の語り手である
『上の次元のあたし』と
語られた物語に登場しただけの
『下の次元の登場人物たち』では、
次元の階層が
はっきりと違っているので。
上の次元にいるあたしからすれば、
下の次元の登場人物たちは、
ストーリー進行上、どれだけリアリティを持って登場していたとしても、
それらは単なる“語られた物語”にすぎず、
それを語っているあたしが、
語るのをやめてしまえば、
それだけで溶けて消えてしまう─────。
このような仕組みになっていたのです。
一筋縄ではいかないことは分かります。
カルト宗教に洗脳され、毒親に虐待されるような『異常な境遇』を好き好んで創造したのはあたし自身である、
という“事実を認める”ことには、
あたしだって、
ものすごく大きな抵抗がありました。
だからそれはまったく容易ではないのですが。
それはそぅなのですが。
それでも。
もしもあなたが、
どんな理不尽な出来事に対してさえも、
『それを創造したのは自分自身である!』
と、本心から言えるのなら。
その瞬間あなたは、
『上の次元の自分』を呼び出したことになり。
『上の次元の自分』からすれば、
この世の現実なんて
ただの“被造物”にすぎないので、
その視点から観るこの世界は、
まったく平穏で、
まったく何の困難もない場所です。
したがって、
あなたは“無敵”になります。
自分の現実は自分で創っている、
“という事実を認める”ことは、
屈辱に耐えるためのものではなく。
じつは、
『上の次元の自分を呼び出す』
ことだったのです──────。
【無敵の“召喚術”をあなたも💥💥💥】
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お金もらうのも大好き💕💕💕💕