【自己紹介】板谷ミミィっていいます、よろしくね💕💕💕───2026年6月29日
きょうは記念日なのです。
しかもふたつあるのでダブル記念日です。
ひとつは、
2020年6月29日から始まった、
noteの連続投稿記録が、
本日で6年になりましたー✨✨✨

(⬆6月29日だけは7回あるのでプラス1)
もぅひとつはですね、
板谷ミミィという名前は、
戸籍とは連動していない、
わたしが自分で名付けた名前だということは
たびたび話題にしてきましたが。
命名した日は、
2018年6月29日なので、
きょうで8周年ですね、
板谷ミミィ:8歳です💕💕💕
見方によれば、
意外と短いですね。
親と縁を切ると決めてから、
実現するまで20年かかった。
西洋占星術の勉強を始めてから
ことしで15年。
工事現場の警備の仕事に就いてから、
昨年秋で10年経過。
そぅした話を幾度となく述べているのに、
板谷ミミィは命名からせいぜい8年です。
ただし、
ひとたびこの名を得たなら、
『戸籍上の本名を強制された場合以外は』
かならず板谷ミミィと名乗るルールにしてしまったのでね、単なる“芸名”という以上に、この名がずいぶんと板についてきた感じです。
♡♡
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♡♡
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名前、というものについて。
わたしは苦々しい、けれど人生の根幹を貫くような価値の高い体験をいくつも重ねてきました。
ほんの子供の時分に、
『両親と縁を切ることを』決意してた、
という極端な人間ですので。
彼らが勝手に名付けた(下の)名前、
彼らと同じ苗字を名乗ることに、
あたしは強い嫌悪感があり。
それで、
学校教育や医療機関などの
『本名を強制される』場面以外では、
私的に、
自分で自分の名前を用意する、
ということを、
かなり若い時分からやっていました。
はい!未成年のときから
あたしはそんな感じでした。
♡♡
やってみてわかるのは、
思いつきで付けた名前を定着させるのは、
思いのほか難しい、
ということです。
まふまふ君は、
思いつきで付けた名前が、
歌い手界隈のビッグネームになってしまったという例ですが、
(※米津玄師みたいに本名がカッコよくて、それをそのまま名乗れるのが理想的だったと言ってましたね→まふまふ君の本名は非公開)
そんなふうに展開することは、
多くは無くて。
たとえばあたしが、
唐突に、
『わたしは山田花子です💖』
と言い出したとしても、
この名前が自分の名前である、
という根拠がまったく無い状態で、
その名前を『自分の名前』として確立させることは、じつは、思いのほか難しいのですよね。
山田花子でなくても、
どんな名前でも同じことです。
芸能人や芸能事務所の人達は、
このテーマにじっさいに直面させられているのではないかな??
♡♡
日本には戸籍というものがあって。
出生届によって、
戸籍に記載された名前が本名である、
という“社会通念”が
我が国においては、
すっかり確立されておりますから。
逆に言えば、
どんな奇妙な名前であっても、
戸籍に記載されてしまえば、
それが本名である、
ということにもなりますが。
つーか、
このテーマ、
『親がバカすぎて』
子供に奇矯な名前を付けてしまい、
就職などで子供自身が苦労させられる、
という“社会問題”も、あったりしますよね?
そぅなると、
親に無条件に命名権を与えるのはどぅなのか??
ということにもなりますが。
いずれにせよ、
戸籍に記載された名前イコール本名、
という“社会通念”はですね、
みんながそれを信じているから、
それはそのとおりになっているのです。
これは、
『お金にはなぜ価値があるのか?』
『それは、お金には価値があると、皆が信じているからです』
というのと同じで、
たしか、社会学の用語だったかな?
これを『共同幻想』と呼んでいます。
『共同幻想』とは、
とても便利なものであり、
また、あまりにもそれは深く普及してしまっているため、それが一種の“幻想”にすぎないことを理解できない人もたくさんいるのですが。
そぅした
『共同幻想』というレールに乗ることなく、
自分で自分の名前を定めようとすると、
それが思いのほか難しくてですね。
ですから、
この誌面には登場することのない、
短命に終わった“わたしの名前”が、
じつはいくつもあるのですよ。
最終的に、
名前には“由緒”というものが必要だ、
ということになり。
板谷、という姓は、
実在の地名から取りました。
山形県の最南端にその場所があります。
上杉鷹山公の物語では、
鷹山が江戸を出て米沢入りした、
最初の宿場が板谷宿で、
米沢藩はあまりにも荒廃してしまったため、
板谷宿は廃墟のようだった、
という記述があります。
上杉鷹山とは別の時代ですが、
板谷、という名前の付いたその土地に住んでいたことがあり──それはもちろん過去生の話ですが──その当時、わたしは事実上その土地を治めている一族郎党(のひとり)だったのですね。
といっても、
大名というよりは山賊でしたが。
記憶にある“地球上の”過去生のなかでは、
ダンドツたのしい人生だったので。
山の民しか入り込めない秘境の地、
“板谷峠”に愛を込めて、
苗字は、板谷、ということにしました。
板谷、
という苗字だけなら、
だいぶ前から使用していました。
板谷ミミィ、というフルネームでは、
本日:命名8周年、
ということになるのですが。
なんというか、
この、板谷という苗字はですね、
カルト教団のなかにいて、
しかもそこでは、親孝行と先祖供養が人間にとってもっとも大切であると教えているのに、あたしは何がなんでも両親と同じ苗字が嫌だったのです。ネーミングの語感が嫌だとかじゃなくて、ズバリ、彼らと絶縁したいという意思表示をするために用意した“別の苗字”ですよ??
両親と同じ苗字を絶対に名乗ろうとしないのだから、まぁ問題児も問題児ですよね。それでわたしに説教をしにきたオトナには、もちろんケンカ腰で来た相手とは、こちらも怒り狂って怒鳴り散らすだけですが、その人が親身だった場合には、いきなり養子にしてくれと真顔で懇願するのですから、いま思い出すとずいぶんシュールな教団生活でしたね。
うーん?
いま振り返ると、
どいつもこいつもバカばっかり、
という“事実”──悪口ではなく正確に把握すべき重要事項──にそれとなく触れる機会を作れたのは、この問題のおかげかもしれません。
あたしのいた教団では、
親孝行と先祖供養がもっとも大切、と教えていて、家系や苗字それじたいが信仰の対象になっていました。
そのような教義の下にあって、
『自分の本名を絶対に名乗らない』
というのは、かなり重大な決断なのですが。
そのことを理解できる者が、
じつに、教団内に、
ひとりもいない。
親と別の苗字を意図的に名乗る、
ということじたいが、
はっきりと、
『この者らを親とは認めない』
『この者らの家系にわたしは属したくない』
というメッセージなのですが。
そのような“政治的な意味”が、
まるで理解できないバカばっかりだ、
オトナになっても、
役職がついていても、
どいつもこいつもバカばっかりなのだ、
という“この世の実相”に
触れる機会ができたのは、
あとあと振り返れば、
大きな収穫だったかもしれません。
親孝行と先祖供養が何よりも大切であると教えている、家系や苗字そのものを信仰の対象としている宗教団体に所属していて、
よりによって、
自分の本名を絶対に名乗りたくない。
両親と同じ苗字であることを、
全面的に拒否している。
このような態度をとることは、
両親に対して、
『おまえらを親とは認めない』
『おまえらと同じ家系には属したくない』
という、
このうえなく明白なメッセージであるのに、
このていどの
“政治的な意図”さえも、
彼らの知力では理解できないものらしく。
わたしは彼らに対して、
『おまえらとは縁を切る』という
このうえなく明確なメッセージを送っていたというのに、
いまにして振り返れば、
彼らは、
最終的にわたしに縁を切られる運命であることを、最後まで理解していなかったらしい。
この件以外でも、
何度も思い知らされることになりました。
こんなふうに
『政治的な意図をこめたメッセージ』を
理解できる人間は、
この世にはほとんどいないのだ、
ということを。
なのでね、
『万国の労働者よ団結せよ』でも、
『アーリア民族だけが優等種族』でも、
具体的なフレーズは何でもいいですが。
ある種のイデオロギーを掲げた団体を組織して、大量の構成員を確保したとしても、そいつらはそのイデオロギーを正しく理解して、それに殉ずる行動をするための能力をそもそも持ち合わせてはいないのだ。
そんなことを、
未成年の頃からの実体験をつうじて、
たくさん勉強させられました、、、、。
♡♡
ここで、
きちんと申し添えておくべき事実が、
ひとつだけあります。
あたしは両親から手酷い虐待を受けていた。
これは事実としてそのとおりなのだけれど、
ただし、
虐待、と聞いて思い浮かぶような、
『一方的に加害されている』ような状況ではまったくなくてですね。
あたしはあたしで、
彼らの理不尽に対して、
『できる範囲で』反撃していました。
とくに、
名前の件に関しては、
彼らと同じ苗字を名乗ることを拒み、
彼らが名付けた(下の)名前を拒絶する、
ということを、
『彼らが見ている場所でも』
堂々とやっていました。
これは、
『縁を切ることを望んでいる』
あるいは、
『あなたがたを血縁者とは認めない』
という明確なメッセージになると、
あたし自身は、
そのようにしか、
思えないのですが。
家系や苗字を信仰の対象とする宗教団体に所属していて、なおかつ両親の見ている前で、
『戸籍上の本名を名乗ることを拒否する』
というのは、
どこからどぅ見ても、
『おまぇらとは縁を切る』
というメッセージにしか、
なりようがないとわたしは思うのですが。
わたしとしては、
完全にそのつもりでいたのですが。
後から振り返ると、
彼らはそれを、
まったく理解していなかった、
という事実が透けて見えてきて。
ぃゃぁ、
バカって怖いねぇ💥💥💥
しかし、
どぅなんでしょうか??
こぅして文章にしてみるとね、
両親に対して、
『おまぇらと同じ苗字は名乗らない』
『おまぇらの付けた名前は名乗らない』
って、
こーゆー“闘争”を
まったく平然と展開するあたしのほうが、
むしろ、
読者のあなたから見て、
“おそろしい人物”に見えてくる、
のではないですかね??
知らんけど💥💥💥
【触らぬ神に祟りなし、】
【子供に見えても甘く見んなよ】
【触らぬ神に祟りなし💥💥💥】
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡
予想外の方向に話が進んでしまい、自分でも驚いています。明日に続きます。たぶん。
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