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「早くして」と急かされて育った私が、「待っているよ」と言えるようになるまで

「いつまでかかるの?
 私、待っているの大嫌いなんだから!」

「ごめんね、お母さん」

母には、よくこの言葉をかけられた。

私は、もともと行動が遅いタイプではなかった。
それでも、母のペースに合わなければ怒られた。

何度も急かされるうちに、私はいつしか、

人とペースが合わないことは、悪いこと。

そんなふうに思うようになっていた。

自分のペースで動くのは、悪いことだと思っていた

「早くして」

子どもの頃、母からよく急かされていた。
母が望む速さで動けなければ、「遅い」と言われる。

母を待たせてはいけない。
もっと早く動かなければ。

「ごめん、すぐやるね」

そのうちに、自分のペースで動くことまで、悪いことのように感じるようになった。

気づけば、私は焦りやすくなっていた。

予定外のことが起きると動転する。
慣れない場では、気づかないうちに早口になる。

本当は、ゆっくり過ごしたい。

それなのに親になった私は、今度は子どもに言うようになった。

「早くして。まだ?」

「えー、ちょっと待ってー」

かつて自分が言われて嫌だった言葉を、今度は私が子どもに向けていた。

正しいペースの持ち主が、変わっただけだった

母のペースが正しくて、私のペースは間違っている。
ずっと、そう思っていた。

子どもが大人のペースに合わせるのは当然。
親になった私は、どこかで思っていたのかもしれない。

子どもには、子どものペースがある。
頭ではわかっていたはずなのに。

「今やるのが普通でしょう」
「どうして、すぐできないの?」

いざ待たされると、そんな思いが出てきた。

私の中にはまだ、「この速さで動くのが普通」という基準が残っていた。

何度も「早くして」と言っているうちに、子どもの様子も変わっていった。

何も言っていないのに、子ども自身が焦るようになった。
その姿を見ているのが、つらかった。

「私が言い続けたから……」

母から受け取った焦りを、私はそのまま子どもへ渡していたのかもしれない。

「早くして」を「待っているよ」に変えた

それから、子どもを急かしたくなったとき、

「大丈夫、待っているよ」

と伝えるようにした。

初めのうちは、子どもは焦っていた。
何も言われていなくても。

それでも、
「待っているよ」、と伝え続けた。

次第に、焦ることが減っていった。
その姿を見て、自分自身のことも考えるようになった。

母のペースに合わなかった私が、悪かったわけではない。
そして、私のペースに合わない子どもも、悪くない。

誰かと時間を合わせなければならないときはある。
それでも、いつも誰かのペースを「正しい」にしなくてもいい。

私には、私のペースがある。
子どもには、子どものペースがある。

「早くして」

その言葉が出そうになったとき、今も思い出す。

「大丈夫。待っているよ」

もしかしたら私は、子どもに伝えると同時に、自分にも同じ言葉を伝えているのかもしれない。


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