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アメリカ世:1946年9月2日(月)

首里高校、糸満高校真和志分校統合
宮古島:
インチキ薬品検挙・孤児、八重山より帰る・与儀町長辞意

首里高校、糸満高等学校真和志分校を合併

(首里高校「学校要覧」より)

https://www.shuri-h.open.ed.jp/a58c388db7e6897a0f788b62721fee2bb2415e1d.pdf

復興の槌音

(「目で見る養秀百十年 : 創立百十周年記念出版写真集」養秀同窓会 編、養秀同窓会、1990、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13137838/1/20?keyword=首里高校 1946年

首里高校

糸満高校

(沖縄大百科事典より)

(1946年9月2日、宮古タイムスより)
インチキ薬品一斉に捜査押収
最近不正薬品が売買されているのを探知した宮古署では三十日、町内の売薬商を虱つぶしの不意打一斉捜査を行った結果、インチキ薬品十余件を押収した。
押収された薬品中にはレッテルは立派な熱さましや、下刺止め、腹薬等となっているが中味はうどん粉又は澱粉等のインチキ甚しいものがあり、このまがいものの横行は悪疫流行の現今由々しき問題で宮古署では今後かかる不正薬品の防止に厳重取締る事になった。
孤児帰る
八重山在住の宮古孤児救済に出張中の池村一男属は昨日の銀安丸で孤児三名をつれて帰郷した。八重山に於ける弧児達は殆ど八重山に救われ引とられて居り、結局三名が帰ったものである。池村属は語る。
最初路頭に迷っていた孤児たちは八重山の篤志家の情で養育され今は幸福に生活している。宮古へひきとるべく交渉したが却って八重山に居たいという孤児たちの気持もくんで結局三名ひきとって来たわけである。

与儀町長辞表提出
与儀達敏町長は昨日遂に辞表を提出した。
然して町議側と当局との懇談会は昨日午後三時半より開かれ、町長より
「自分の不徳と政治的才能乏しきため、町政運用に支障を来した事は町長としてその職に堪えず、よき人材を得て町政の一大飛やくを図らん事をお願いする」
と辞意のある所以を披瀝した。
之に関し、参会した十八名の町議連は、重要問題の山積せる今日に辞めたら、返って町政を混乱に陥れる。ある時期まではがんばって貰いたい。
と意見一致。町長の辞意を翻し、極力引止めるため、交渉委員をあげて折衝することになった。交渉委員は平良進、兼島方茂、砂川恵一、座喜味朝奉、伊志嶺玄良の五氏である。

(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9770038/1/307

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