アメリカ世:1946年8月27日(火)
連載論文「統合における二、三の問題」最終回
宮古高校、開洋科分離へ
(1946年8月27日、みやこ新報より)
「統合における二、三の問題」
民主党執行委員長 下地敏之
(1946年7月3日〜8月27日18回連載 うち10、11、13、14の4回分欠)
1、まえがき
南西諸島全体を統合すべしとの声は軍政府施行以来の与論であって吾等は三月二日の郡民大会により決議し一日も早くこれらの実現を期したのであった。これは主観的条件のみならず客観的条件もホ然りであって、且その上に将来の琉球人の往くべき道を指針としての結言でもあった。はからずも今回急速に統合の下準備をすることになって吾等の希望は遂げられんとしつつある。(以下略)
2、行政上の問題
行政上の問題としては旧時代の如く絶対中央集権主義に基ずいて事を運行すべきかどうかは考うべ
きことである。(以下略)
3、経済問題
自治の観念と相俟ってそしてその下部基礎としての経済問題は統合の諸種事業の中核をなすものであることは多言を要しない。自治態勢の確立といっても結局は経済を中心として整備せらるべきものをもつ。(以下略)
7、徹底的民主化
米国の参戦目的は世界に民主々義を徹底せしむるにあった。大西洋憲章と言いポツダム宣言と言い
凡て日独伊の独裁官僚政治の打破にあったのである。(中略)
我等は今米軍布告により言論、集会、結社の自由を持つ。我等は二十一才以上の男女による選挙を行う様示されている。凡てこれは宮古民主化への道程である。
住居を制限され言論をとざされ人民の声に触れざる寒頭政治は民主々義の敵ではなくて何であろうか。我等が本島地方に統合を期待する所は統合後に於ける我等の自由の制限であってはならないと同時に知って本島地方に我等の如き自由なる社会を建設したいのである。我等は奴隷ではない筈だ。行こう!手を携えて、自由の為に!
民主々義の為に……。
(おわり)





宮高校より分離、開洋科を独立
宮古高校男子部は現在普通科、農科、開洋科の三科に分れその組織の複雑さと教育効果及び施設の完□等より見てその充実を期し得ぬ憾があるので行政一元化を前にこの際英断以て独立せしむべしとの意見が多く学校当局としても独立への意向のようで近く支庁当局と折衝の末之が実現を期することになった。

(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9770038/1/46
【参考】下地敏之
平良市長(1948年3月17日〜1949年10月5日、罷免)

(「沖縄県人事録」沖縄朝日新聞社、1937、国会図書館より)
初の公選市長に下地敏之(1948年)



(「平良市史 第2巻 (通史編 2 戦後編)」平良市史編さん委員会編、平良市、1981、国会図書館より)
下地敏之・宮古民主党平良市政と宮古自由党 :
米軍政下の宮古群島における「自治」制度の整備と「政党政治」の展開
(黒柳保則氏)

(沖縄国際大学学術成果リポジトリより)
https://okiu1972.repo.nii.ac.jp/records/1524
