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アメリカ世:1946年8月6日(火)

沖縄人捕虜、ハワイから帰還
海産物などの最高価格決定
読谷村に居住許可

ハワイより沖縄人捕虜四三〇人帰還
海産物、缶詰、菓子、印鑑等の最高価格を決定

(「沖縄大観」沖縄朝日新聞社編、日本通信社、1953、国会図書館より)


読谷村に居住許可

米軍、字波平、字高志保地区への共住許可発布

(「激動 : 読谷村民戦後の歩み」読谷村、1993、国会図書館より)

居住許可(1946)から強制立ち退き(1948)へ
戦後読谷村への最初の居住許可は1946年8月6日に出された。村では建設隊を組織して住民の移動に備え、同年11月住民移動が開始された。しかし許可地域は高志保、波平の一部に限られ、儀間の住民を含め高志保以北の住民は高志保地区への居住を割り当てられた。儀間区住民の戦後復興はこの地から始めなければならなかった。
1947年10月、住民待望の儀間集落への居住許可がおりた。高志保から生まれ故郷の儀間への移動も着々と進み、道路、用水、池、井戸の復旧、家屋の建築と、全区民がほとんど移動を完了しようとする1948年5月12日、米軍から強制立ち退きの通告を受けた。
当時の資料によれば同月20日までに立ち退きを完了し、行き先はそれまで居住していた高志保地区で、立ち退き家屋は103棟だと記されている。
読谷村史編集室より)

https://imin-visual.yomitan-sengoshi.jp/pdfjs-2.11.338-legacy-dist/Mappdf/Gima-2.pdf


(8/6/1946、宮古タイムスより)
中元の贈物廃止
盆祭用酒から各戸配給実施

(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)

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