アメリカ世:1946年9月3日(火)
軍国・皇民化教育の象徴「奉安殿」撤去通達
志喜屋知事、奉安殿の撤去通達
奉安殿は天皇・皇后の御真影と教育勅語を保管した建物です。児童生徒はその前を通るたびに最敬礼をするよう教育されました。また、職員は御真影を厳重に保管する義務があるとされており、破損や盗難があると懲戒処分されることもありました。
1930年代、政府は御真影保管を徹底させるため、全国に奉安殿の設置を奨励しました。
この奉安殿は、1935年前後に美里尋常小学校敷地内に建立されたものです。各祭事の際には全校生徒と村の関係者は奉安殿前に整列し、村長が御真影と教育勅語を取り出して、教育勅語を読み上げる間、参列者は頭を下げて聞き入っていたそうです。
太平洋戦争後の1945年12月15日、GHQが「神道指令」を発令し、日本全土の奉安殿は解体されていきました。沖縄は「神道指令」は発令されませんでしたが、1946年9月3日、志喜屋民政府知事が沖縄本島の各市町村長に対して奉安殿を撤去するように通達し、沖縄本島各地の奉安殿は破壊されていきました。
戦後この一帯は、アメリカ軍がキャンプ・ヘーグとして利用しており、奉安殿を撤去することがなかったため、ほぼ建立当初の状態で残っていました。奉安殿内部には、英字が書かれていて、アメリカ軍が倉庫等として使っていたと思われる形跡もあります。外壁には戦時中に受けたと思われる銃痕が残っており、現在も確認することができます。
1977年の基地返還後は、忠魂碑と共に撤去する動きがあったそうですが、歴史をしめす資料として撤去されず保存されました。
現在の沖縄県に残っている奉安殿は沖縄市を含め4カ所です。
忠魂碑と共に現存している事例は沖縄市だけとなっています。
戦前・戦時中・戦後それぞれの社会状況をうかがうことのできる貴重な文化財です。
(沖縄市知花の史跡「奉安殿」案内板より)
【参考】奉安殿

(「上勢頭誌 中巻 通史編 2」上勢頭誌編集委員会編、旧字上勢頭郷友会、1993、国会図書館より)
米兵の沖縄在住祖父母消息調査依頼
米国赤十字社現地本部
1946年9月3日
宛:軍政府総務部長レイトン大佐
発:現地部長マリオン・デーバー
(名前黒塗り)曹長とその祖父母(名前黒塗り)(沖縄ザマ在)に関する件
上記米兵の祖父母の所在調査の手がかりに関し去る7月19日御紹介致置○○現在何等かの消息を得ば幸甚に御○○何分の御協力相煩○候
現地部長マリオン・デーバー


(沖縄県公文書館「対米国民政府往復文書 1946年発送文書」より)
(1946年9月3日、みやこ新報より)
LS Tよりの食糧在庫品
LST六一八号よりの食糧品は先般配給されその残有量も本紙既報の通りであるが、支庁では高等学校女子部在庫品中の飯米・豆を九月二十五日より十月二十四日までの一ヶ月分として繰り上げ配給することになり各町村へ左記の通り割当られた。(以下略)

(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)
