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【最終回】沖縄戦:1945年9月7日(金)

沖縄の日本軍、無条件降伏
沖縄戦、公式に終了
久米島住民虐殺の鹿山も投降
(住民は虐殺の恐怖からようやく解放された)

(9月7日付シカゴ・トリビューンには沖縄関連の記事なし)

【9/8/1945,The Argus(Melbourne)より】
琉球列島の日本軍、スティルウェルに降伏
調印式 10分で終了

(ジェームズ・オコナー特派員)
沖縄:
昨日、沖縄の第10軍司令部においてスティルウェル将軍が日本軍指揮官と会見、琉球列島全島にわたる10万5千人以上の日本陸海軍将兵が降伏した。日本はその「帝国」のまた一つの肢を失った。
簡素な式典はわずか10分間で終了した。宮古島の陸海軍を代表する納見敏郎中尉が降伏文書に署名した。

式典開始前、スティルウェル将軍は冬服を着用した9人の日本側代表団を華氏110度(摂氏約43度)の炎天下に15分間立たせたままにした。その間、陸軍バンドは「The Old Grey Mare」、「Roll Out the Barrel」、「リリー・マルレーン」を演奏した。

式典は、血みどろの沖縄戦で米国国旗が初めて掲げられた窪地で行われた。日本側代表団は40台のシャーマン戦車を前にし、頭上では数百機の爆撃機や戦闘機が轟音を響かせていた。
後方には、ガダルカナルから太平洋を戦い抜いて沖縄に至った第1海兵師団の将兵が立った。彼らは1943年初頭からの9カ月間、メルボルンのクリケット場に駐屯していた。

沖縄戦、公式に終結

降伏調印文書

1945年9月7日の無条件降伏調印文書

9月2日の東京湾のミズーリ号艦上において行なわれた日本との降伏調印を受けて、沖縄でも嘉手納基地内の米第10軍司令部にて降伏調印式が行われました。
日本軍は、第32軍司令官牛島満中将が自決したため、守備軍を代表して先島群島司令官納見敏郎中将、奄美群島陸軍司令官高田利貞少将および海軍司令官加藤唯雄少将が署名し、米軍を代表して第10軍司令官J・W・スティルウェル陸軍大将が受託しました。
沖縄戦における組織的な戦闘は6月下旬に終了していましたが、9月7日のこの降伏調印により、沖縄戦は正式に終結しました
(沖縄県公文書館より)
(調印式が行われた場所は、現在、米空軍嘉手納基地内にある。「ピースガーデン」という公園になっているが、米軍の許可がないと入れない)

【沖縄戦日録】
・先島群島司令官納見敏郎中将・奄美群島
司令官加藤唯男海軍少将および高田利貞陸軍少将、嘉手納の米琉球兵団(第10軍の後身)司令部で南西諸島の全日本軍を代表し、米軍司令官スティルウェル大将との間で無条件降伏文書に調印し、沖縄戦は公式に終結する。
(「総史沖縄戦」より)

・現在の沖縄市で日米軍の降伏調印式があった。牛島満司令官の自決から2カ月半、沖縄での戦闘が正式に終了する。しかし、嘉手苅義男さんは「山の中は戦争だった」と証言。10月に父を米兵に殺された。故郷が基地となり帰れぬ人も。沖縄の苦悩は現在に続く。   琉球列島の降伏は、1945年9月7日11時30分に沖縄で行われた式典で、第10陸軍総司令官ジョセフ・W・スティルウェル大将への日本軍代表団の降伏によりなされた。降伏文書にサインする先島陸海軍総司令官の納見敏郎中将。左はハワイ出身の通訳ロバート・M・オダ4等技術兵、ジョセフ・W・スティルウェル大将。納見中将の右は参謀長F・D・メリル少将、左は参謀第2部のT・H・ベスーン大佐(県公文書館所蔵)  
・「平和の礎」刻銘:この日が命日の方は89人。(2022年調査・判明分)  
(琉球新報「きょうの沖縄戦1945」より)


・9/7 米軍米第一部十軍司令部(越来村森根)で降伏調印式。
戦闘としての沖縄戦は終わったが、島々や本島の民間人収容地区では飢えとマラリアによる被害は続いていた。また多くの住民が郷里に帰ることのできないままでいた)
(「沖縄県史 各論編6 沖縄戦」より)

・越来。日本軍と米軍が降伏調印式を行い、沖縄戦はここに正式に終了した。いまの嘉手納基地内にあたる集落。強い日差しの下、野外に置かれた椅子に座り、日本代表はペンをとる。「左に署名する日本軍司令官は、左記領域の琉球諸島を無条件に引き渡す」。濃い影が机に落ちた。
(9/7/2017、朝日新聞記者・谷津憲郎記者ツイートより)

・南西諸島の日本軍、降伏文書に調印。正式に沖縄戦が終結。
沖縄、奄美は米軍の直接統治下に。
(9/7/2010、琉球朝日放送

日本守備軍が降伏
宮古・奄美の司令官調印
沖縄戦、公式に終了
南西諸島全域で米軍政
・琉球降伏、米紙も報道。「司令官のショー」
(9/7/2005、琉球新報「沖縄戦新聞」より)

Surrender Day on Okinawa:
7 September 1945

久米島住民虐殺の鹿山も降伏
9月7日、身を潜めていたはずの鹿山隊30余人が銃を肩に掛け、仲地の集落を堂々と行進していた。目指すは米軍が待つ広場。降伏式に向かうところだった。鹿山は顔見知りの住民を見掛けると、「元気か?」と声を掛けて余裕を見せた。...鹿山が米軍幹部に銃を渡し、その部下たちも次々に武装を解除した。沖縄戦の組織的戦闘の終結から2カ月。久米島の住民は虐殺の恐怖からようやく解放されたのだった。
(「流の彼方へ 戦後70年沖縄秘史」(島袋貞治、琉球新報社

1946年9月、ウィルソン米海軍少佐(前列左)に軍刀を手渡す鹿山正兵曹長。後方で眼鏡をかけている米兵(左から3人目)がシンエイ・ギマ
Photo: Courtesy of Shinye Gima

(6/22/2019、クーリエ・ジャポンより)

降伏調印


(沖縄大百科事典より)

【お知らせ】
「米紙が伝えた沖縄戦〜シカゴ・トリビューンより」は今回で終わります。
1945年9月8日以降の出来事については
「アメリカ世 ウチナーンチュの戦後」に掲載します。
(「世」は「ユー」と読みます)

連載にあたり以下の資料を参照しました。
ありがとうございます。
・シカゴ・トリビューン
・ライフ
・タイム
・沖縄県公文書館
・「総史沖縄戦」(岩波書店、1982)
・琉球新報「きょうの沖縄戦1945


・沖縄タイムス「奪われ続ける尊厳と命 性暴力事件一覧」(12/23/2024付)
・「沖縄県史 各論編6 沖縄戦」(沖縄県)
・朝日新聞記者・谷津憲郎記者ツイート
・ひめゆり平和祈念資料館
・琉球朝日放送「65年前のきょうは」(2010年)
・「鉄の暴風」(沖縄タイムス、1980年第9版)
・「沖縄戦新聞」(琉球新報、2005)
・中国新聞
・「沖縄 陸・海・空の血戦」(サンケイ新聞社出版局、)
・「Pacific War Diary 1942-1945 The Secret Diary of an American Sailor」(2003)
・沖縄戦関連の新聞記事、同書籍など



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