アメリカ世:1946年8月29日(木)
宮古島:沖縄文教学校(琉球大学)の合格者
民政府、日本との輸出入議論
(1946年8月29日、みやこ新報より)
文教学校への合格者昨日発
宮古青年の燃ゆるが如き向学心を発揮して文教学校入学試験は外語部三名師範部男子三名女子三名の採用に対し受験者は何れも四倍乃至八倍の激烈な競争を見せ一昨日署武道場に於て施行されたが合格の栄冠をかち得た者は次の通り昨日午前十時発表になった。
外語部:山内朝林 平良寛吉 伊志嶺恵典
補欠:平良龍造 本永寛昭
文教部:上里忠正 富永元進 池間信男 上里恵美子 池村ヨシ 下地喜美子
右合格者は最近便にて上沖の予定につき卒業証明書並に最終学年学業成績證明書を準備し、出発の支度をしておくようにとの事である。
(1946年9月1日、みやこ新報より)
外語部合格者二名増
軍政府の斡旋により文教学校外語部への本郡入学者は三名より五名に増員になったので既報補久の平良龍造、本永寛昭も繰上げ合格となった。

水産会で造船場を経営
本郡産業の王位を占むる水産業の発展向上は本郡経済に影響する所大なるものあり。之が基礎をなす漁船の修理、新造等に関し水産会に於ては自衛自在の立場から造船場の経営を考究中でしたが、久津輪造船場主との折衝なり愈々右造船場を水産会が経営することになり昨日午後二時開催された理事会に於て協議決定、水産業の進展に処する一貫した体制を整へることになった。
沖縄へ鰹節一万五千庁出荷
沖縄民政府の要請により本郡か
ら沖縄向け鰹節一万五千庁を出荷する事になった。

(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9770038/1/240
石垣島、沖縄開洋(海洋)高校に2人選抜
(石垣市「八重山近・現代史略年表」より)
【参考】沖縄開洋(海洋)高等学校(本部町、現沖縄水産高校)
1946年9月1日開校。航海科・漁撈科・造船科・水産製造科を設置。
(ウィキペディアより)
沖縄民政府
軍民連絡会議(午前9時〜)
軍政府:
具志川製材所の電柱を切って持出して居る。方々に電柱があるが大事なものである。米国から電柱は来ない。
警察と町村長とに通知を発して、斯る電柱があったら軍政府に届出づる様にさせよ。電柱の長さ、本数。
軍政府:
日本との輸出入の関係につきて。
大東島の燐鉱は日本が取り其代りに沖縄の必要な品物を輸入す。
宮古、大島、日本とのバーターすべき品物を考へて居る。
帽子、漆器、紬、真珠等を日本に輸出す。
沖縄全体(宮古・八重山・大島を含む)を一組として日本に何かを輸出することを考へて居る。貿易委員会を設ける。
大島、両先島、沖縄の別々としては認めない。沖縄全体を一組として貿易する。
(沖縄県公文書館より)
