沖縄戦:1945年9月3日(月)
本部・今帰仁で住民殺しを繰り返してきた日本軍降伏
「皇軍は蝗軍(イナゴの軍)」
(9月3日付シカゴ・トリビューンより)
沖縄戦における艦隊の損害
グアム、8月18日【遅延】(ニューヨーク・タイムズ、シカゴ・トリビューン):
334隻のアメリカ軍艦、商船、その他の海軍艦船が、3カ月と5日間にわたる沖縄作戦中に沈没または損傷した。そのうち35隻が沈没し、299隻が損傷した。
戦争が終結したため公開されたこれらの数字は、アメリカ艦隊が第10軍を沖縄の海岸に上陸させ、勝利が確実になるまでそこに留めるために受けた恐ろしい打撃を物語っている。

これまで海軍は艦隊への損害について断片的な情報しか公開していなかった。リストアップされた損傷船の大部分はすでに戦線に復帰している。3月17日に始まった沖縄での戦闘は、海軍史上最も高くついたものだったと言える。
沖縄で対日戦勝記念式

本部・今帰仁で住民殺し・食料強奪を繰り返してきた日本軍魚雷艇部隊(白石隊長)降伏




山から降り武装解除される日本軍敗残兵




(いずれも沖縄県公文書館より)
【9/3/1945、LIFEより】
日本軍降伏使節団を迎える伊江島飛行場
爆撃で破壊された島々から初めて平和的に出てきた日本人が、1945年8月19日午後12時44分、沖縄に隣接する小さな伊江島に降り立った。彼らが搭乗した二機の三菱一式陸上攻撃機(ベティー爆撃機)は、マッカーサー元帥の指示に従い、緑の十字が描かれた白色に塗装されていた。伊江島のバーチ飛行場には二つの白い十字印が描かれていた。
使節団は、頑固そうな顔をした小柄な河边虎四郎中将を団長とする16名の陰鬱な面々であった。米兵たちは、12名の乗員により強い関心を示した。日本人パイロットは、ハリウッド映画で描かれるような典型的な風貌——無表情で鋭い眼光の、詰め物入りの服と羊皮の帽子に身を包んだ、意志の強そうな小柄な男たち——であった。

伊江島での一切は冷たい形式通りに進められた。日本人は彼らをマニラへ運ぶ米軍輸送機に乗り換えた。雲の下を意図的に低空飛行する機内で、日本人は窓に駆け寄り、沖縄の米軍の驚異的な展開を呆然と見つめた。彼らは弁当を食べ、パイナップルジュースのお代わりを求め、米兵に日本製の葉巻とUSドルでの心付けを差し出したが、どちらも丁寧に断られた。
マニラでは、使節団は威儀を正したチャールズ・A・ウィロビー少将とその副官たちにより、礼儀正しくも冷たく迎えられた。カタカタと響くサーベルと背の高いアメリカ人に小柄な日本人がニコルス飛行場を棒のように堅く歩く様子を見て、一部の米兵は「バンザイ!バンザイ!」と叫んだ。日本人は、この皮肉な叫びを聞こえなかったふりをした。
到着から3時間後、河边は使節団の信任状をマッカーサーの参謀長であるリチャード・K・サザーランド中将に提出した。19時間後、日本人は、降伏と占領に関する命令で頭とブリーフケースをいっぱいにして出発した。彼らは将来の支配者であるマッカーサーの姿すら一目見ることはなかった。マッカーサーの常としている超然とした態度は、今や日本の統治者としての彼の立場において明らかな強みとなっていた。
米軍輸送機で伊江島に戻された日本人は、速やかに自分たちのベティー機に乗り換えた。一機目のベティーは優雅に離陸した。しかし、二機目は不名誉にも溝に突っ込んでしまった。負傷者は出なかった。乗員は腹を切ることもせず、戦争に負けた日本の航空兵は、今やメンツを失うことも気にしないようだった。


【沖縄戦日録】
親泊大佐の自決
大本営陸軍報道部の親泊朝省大佐(41)が、妻子3人を手にかけ自決。14歳で沖縄を離れ、陸軍士官学校を卒業。戦況の不利を知りながら戦意高揚に当たった。終戦について「天皇、皇太后ら全く意気地なし」と義兄に伝えたとされる。(澤地久枝「自決 こころの法廷」)
・平和の礎」刻銘:この日が命日の方は93人。(2022年調査・判明分)
(琉球新報「きょうの沖縄戦1945」より)
・本部半島の魚雷艇部隊が投降、降伏式行う。
(9/3/2010、琉球朝日放送)
・本部・今帰仁における日本軍の住民虐殺
(目取真俊氏「海鳴りの島から」より)
・大本営陸軍報道部部長・親泊朝省大佐(大宜味生まれ)、家族とともに自決。41歳。
遺書で南京大虐殺に言及。
「外征軍、特に支那に於いて昭和12~13年頃の暴状は遺憾乍ら世界各国環視の下に日本軍の不信を示したといえる。即ち無辜の民に対する殺戮、同民族支那人に対する蔑視感、強姦、掠奪等の結果は、畏れ多き事ながら或る高貴な方をして軍を蝗軍(コウグン゠イナゴの軍)と呼ばしめ奉るに至ったのである。
(琉文21より

・小禄。敗戦を信じない海軍の東江芳隆氏らに、米軍の宣撫班は、終戦の詔書を嘉手納から取り寄せ、読んで聞かせた。皆泣いた。「この詔書は偽のものではない。本当に日本は負けたのだ」。屋嘉収容所を米軍に案内された者も戻ってきた。「完全に負けている」。投降を決めた。
(9/3/2017、朝日新聞記者・谷津憲郎記者ツイートより)
