アメリカ世:1946年7月3日(水)
再建進む沖縄
独立記念日の準備
太平劇場開館へ(平良市)
緑茶の生産

セメント工場

屋根瓦を作る(与那原町)

名護に残っている唯一の養蚕業者

海軍による12カ月間の指導で、沖縄の産業、商業、教育、医療・講習衛生施設は大きく改善した。
ムーレー海軍大佐の話を聞く

爆撃を受けた日本海軍士官学校(上之山国民学校、那覇)

(沖縄県公文書館より)
沖縄民政府
経済会議(午前9時〜)
軍政府 ローレンス少佐、其後任のウイルソン中佐
比嘉部長:
耕作はするが農民は賃銀がないから生活に困る。
生産物は六ケ月後でなければ出来ない。賃金があれば農耕能率も挙る。
軍政府(ウイルソン中佐):
一家族に若し二人の働手が居れば二〇〇円の金が要るか。
志喜屋知事
然うなります。
志喜屋知事:
農民は生産物を卸で村店に出し之を小売値で買って食べる。
故に農民は不平して生産意欲を殺ぐから其卸値と小売値の開き高を与へる。
卸値と小売値との開きは平均二割である。
安谷屋部長:
工業部復興計画案を説明す。
帽子原料蒐集。
蒐集に要する人員毎日三八〇人。
漂白して原料になれば毎日四、〇〇〇人。
軍政府:
材料は如何するか。
安谷屋部長:
営業者に売却す。
軍政府:
帽子は沖縄内で売却するか。
安谷屋部長:
米人の土産品や貿易の出来る時は米国に輸出す。
廃品蒐集計画を説明す。
梯梧の植林。


(沖縄県公文書館より)
【参考】アダン葉帽子・パナマ帽子(アメリカ世:1946年6月26日)
https://note.com/minamihanashima/n/ncdeb19b0cfe9
アメリカ独立記念日記念祭行事参加者の件
一九四六年七月三日
官房長 島袋全發
各部長殿
記念祭行事参加者ノ件
明七月四日米国独立記念祭行事ニ當リ民政府ヨリ祝賀ノタメ花○壹(いち)台を出場セシムルコトミ相成候間各部ヨリ女子職員壹名宛乗車参加セシムルヤウ御取計ヒ相成度依命通牒ニ及ビ候也
追テ服装ハ琉球政府時代ノ若衆家ノ服製ニ近カラシムルウ各自持合セノ和服ニテ可然御取計ヒ相成度参加者氏名ハ本日午后四時マデニ文化都長へ御報告相成度申添へ候也
参加者集合場所及日時
七月四日午前八時文化部事務所へ遅レザルヤウ集合ノコト

(沖縄県公文書館「沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書1946年諮詢委員会から沖縄民政府まで文書及びメモ」より)
https://www2.archives.pref.okinawa.jp/opa/OPA600_RESULT_BUNSYO.aspx?cont_cd=R00000456B&src_keyword=R00000456B&keyword_hit=R00000456B
(1946年7月3日、みやこ新報より)
太平劇場近く開演
新劇場名の決定を見た太平劇場では建築も殆ど完成したので来る十日頃から華々しく開演、民衆に芸術味豊かな健全娯楽を提供することになり関係者一同大いに張切って準備をすすめているが、同劇場は九百人以上の収容力を持ち娯楽に飢えている民衆を十分満足させることが出来るものと期待されている。
栄町内会独立
東町内会は戸数二七〇戸の多きに及び下部組織運営上支障を尠(すくなか)らさる点あるに鑑み、去る一七七回町会の承認を得てアツママ御嶽より北部を分割独立、栄町内会として独歩な運営を期し下部組織として活発な活動を開始することになり、内会長に砂川恵治氏が就任した。

(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)
【参考】太平劇場
☆開館:1946年7月
★閉館:1957年以降('56年12月に公演が行われている)
◎場所:宮古島市(当時・平良市「大見謝支店南隣」)
◎収容人数:900人
◎経営者:糸数一郎(互映商会)
露天なのか有蓋なのかは不明だが、戦後間もない頃なので露天の劇場であろう。
いずれにせよ、現在、我々が把握できている沖縄映画興行史では、沖縄で戦後最初に誕生した劇場になる。
(キネマ探偵団「沖縄映画興行伝説」より)
アツママ御嶽
「香炉」密閉、あきらかに アツママ御嶽 90年間、使用されず
(8/11/2025、宮古新報より)
https://miyakoshinpo.com/2025/08/11/「香炉」密閉、あきらかに%E3%80%80アツママ御嶽%E3%80%8090年間/
