アメリカ世:1946年8月1日(木)
沖縄帰還者受け入れ体制整う
熊本から沖縄へ密航
宮古島、パナマ帽会社誕生・食料価格暴落
軍政本部はマ司令部の指示により引揚帰還者の受入体勢を整える

(「沖縄大観」沖縄朝日新聞社編、日本通信社、1953、国会図書館より)
沖縄民政府
軍民連絡会議(午前9時〜)
軍政府(ウィルソン中佐):
二年半予算につき協議のためマニラに行った。
膨大と云って居た。
此の予算はスタイヤー中将からマッカーサー司令部へそれより米国政府まで行く。而しスタイヤー中将が沖縄に関心を有って居るから大丈夫通過すると思ふ。
志喜屋知事:
日本から帰還者が来るが食糧は軍直接か又は商務から渡すか。
軍政府:
キャンプに居る間は軍政府、各地区に帰へったら商務の方からと思ふ。
志喜屋知事:
國場幸太郎氏が宮崎に在る木材を沖縄建設に使用したいと云って居るが。
國場氏が大島から帰へって来て居るとの話もあるが若し帰へって来て居るなら中佐に会はしたいとの考を有って居るが。
◎国頭方面は蚊張がなくてマラリヤがあるが、よろしく願ひます。

(沖縄県公文書館より)
【参考】沖縄への密航:吉田嗣延氏
たまたま国場幸太郎氏(現在那覇商工会議所会頭)が沖縄に密航するという話を聞き込んだ。熊本事務所長の呉我春信氏とはかり、沖縄に潜入することにした。海軍帰りの瑞慶村智啓青年(その後東京で小学校長)と国場氏の同行者二人と、十四トンのボロ船で七月二十七日熊本日奈久を出た。
三十一日早朝伊平屋島着。夜沖縄本島に向かい、八月一日未明国頭村の鏡地にたどりついた。
(中略)
ワラを積んだトラックの荷台にひそんで石川市に乗り込んだ。金網にかこい込まれた石川の収容所入り口でトラックを降りると、杖をつきつき歩いてくる池宮城秀意氏とばったり出会わした。
ビックリして「おお吉田」と言うのに、唇に手をあて、密航してきたと話し、黙っていてくれと頼んだ。
志喜屋知事はただ驚いた。又吉康和副知事もともに好意的ではなかった。


(「私の戦後史 第3集」沖縄タイムス社編、沖縄タイムス社、1980、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12258362/1/50?
【八重山の部】公立八重山農学校に林科を併設し校名を八重山農林学校と改称
(沖縄県公文書館「行政記録」より)
(1946年8月1日、みやこ新報より)
同胞三千百名帰る
日本々土在住同胞の消息は音信不通の為不明であった。最近に至り電報その他により少々の音信があり稍々安堵の胸を撫で下すという状況であったが、今度軍政府宛宮古向け引揚者が帰る旨朗電があった。
それによると八月二十二日九〇〇名、九月十九日九〇〇名、十月三日千三百名、計三千百余名の引揚者が帰るがその中には命令による帰還者、希望による帰還者が含まれており、軍政府ではこれが受入の為天幕を代与する等準備をすすめている。
パナマ帽子会社誕生
郡内に豊富に産出する阿日葉は現在草履の原料として使用してい
るが(中略)西原雅一、石田幸夫、与儀達敏、原田英次郎、池村恒正、高江洲良明、奥平玄信、友利恵良、新城恵序の諸氏は今度パナマ帽子株式会社を設立することに話合を決め郡内から広く株を募集することになっている。
食糧配給、分割配給も考慮
食糧配給所では平良町内二か月分の配給を去る二十九日より元下地産組倉庫で開始しているがその量が多いため配給にも時間を要しているので、池村所長以下各職員は日没まで居残り配給事務に敢闘を続けている。
市場物価暴落!
食糧品の二か月分配給という支庁の打ったヒットは各方面に大きな影響をはぼく(ママ)一般消費者の安心感は勿論統制価格問題で甲論乙駁した形成価格を尻目に市場価格一袋九百円の米価は半額以下の四百円台に落ち雑穀も一升十円、甘蓄十斤八円に暴落し物資の裏付による低物価策は自然の動きとしては日一日下落する傾向にある。



(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9770038/1/302
『旬報』を『八重山タイムス』(後に『南琉タイムス』)と改題
(石垣市「八重山近・現代史略年表」より)

(沖縄大百科事典より)
