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アメリカ世:1946年4月10日(水)

沖縄に14のアマチュア無線局
米軍による交通事故件数
B円、沖縄に到着ずみ
八重山婦人会結成に関する件

(4/10/1946、デイリー・オキナワンより)

沖縄の「ハム」無線 兵士たちに故郷のニュース届ける
おそらく最も聞き慣れず、しかも最も興味深い趣味のひとつが、アマチュア無線局―いわゆる「ハム(ham)」無線愛好家の活動である。
配線、真空管、ダイヤルに囲まれた小柄な男たちが、まるで裏庭の柵越しに天気の話をするミセス・マーフィーのように、世界中へ声を投げ交わす巨大な存在となって、電波の世界に現れる。
こうしたアマチュア無線家、つまり「ハム」たちは独自の仲間社会を作っており、その中では互いをアル、ピート、ガスなどの名前と、自分専用の無線局のコールサインで呼び合う。
その無線局は、自動車の後部や古い小屋の中に設置されていることもある。
昼も夜も彼らは電波空間を果てしない会話で満たしている。
アメリカ本土、アラスカ、中国、フランス、ドイツなど各地と交信しながら、この国際的な卓上通信網を通じて、兵士たちの家族から死亡、出産、そして一般の家庭ニュースなどを太平洋を越えて沖縄駐留兵士へ届けるため、多くの時間を費やしている。
郵便では数週間かかることも、ハム無線なら比較的短時間で可能になる。
時には人から人への直接会話も実現し、それは電話のように機能する。
ただし、この場合だけは5セント硬貨(公衆電話料金)は不要である。
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兵士のために伝言を運ぶ義務はないが、沖縄の無線操作者たちは喜んでそれを引き受けている。
とくに病気、死去、出産といった重要案件ではなおさらである。
もし「やあ、恋人(Hello Sweetheart)」と言いたいだけなら、最寄りの短波ハム無線家に連絡してほしい。
(これらの一覧は明日の号に掲載予定)

沖縄には14局の認可アマチュア無線局がある。
法律により28.0〜29.7メガサイクル(MHz)で運用することが義務づけられている。
通常これらの局は米連邦通信委員会(FCC)の免許を受けるが、沖縄の運用者たちはAFWESPAC司令部の許可によって活動している。
この許可は、OBASCOM(沖縄基地司令部)特別サービス担当官ジョン・H・マカリア大佐の尽力で得られた。
当地でよく知られている局のひとつに、W6NFL-J5 がある。
これは「グレン(Glenn)」こと、136AAAグループ通信担当官グレン・デューク大尉によって運営されている。
多くのハム無線家同様、デューク大尉は交信した局の記録帳をつけており、そこには考えられるほとんどすべての国が含まれている。
さらに、今後連絡を取る予定の相手を記した詳細な予定表も保持しており、その予定は厳格に守られている。
『デイリー・オキナワン』の記者がデューク大尉の局を訪れたとき、奇妙な配線と真空管の集まり―まるでピンボール機械のように光る装置―を囲んで静かな男たちの一団がいた。
一人の少佐が床を歩き回りながら、まるでタバコ競売人のように唱えていた。
「W6NFL、W6NFL、W6NFL、W6-Norway-France-London calling W6PGB San Francisco as per schedule and standing by.」
(予定どおりサンフランシスコのW6PGBを呼び出し待機中)
彼は話すのをやめ、スピーカーを入れる。
男たちは椅子を動かす。
少佐は再び床を歩き回る。
するとスピーカーから雑音が吐き出され、やがて鐘のように明瞭な声が聞こえる。
「W6PGB, W6PGB, W6PGB calling W6NFL on Okinawa as per schedule. Come in Glenn!」
(予定どおり沖縄のW6NFLを呼んでいる。グレン、応答せよ!)
マイクを持つ男はつぶやく。
「どうも私を拾えてないようだな。」
そして再びマイクを切る。
少佐はタバコに火をつけ、休みなく床を歩き続けながら、また同じコールサインの反復を始める。
やがて、スピーカー上では各局の呼出符号が次々と切り替わっていく。
囲み記事
通常のアマチュア無線免許試験を実施する計画が進行中だが、現時点では詳細は未定である。

事故減少の鍵は慎重運転
「中尉、島内の交通事故の最も一般的な原因は何だと思いますか?」
『デイリー・オキナワン』の記者が、OBASCOM(沖縄基地司令部)の憲兵司令部交通担当官に尋ねた。
交通担当官は、少しもためらうことなく答えた。
「事故の最大の原因は、まちがいなく、たいてい毎回ハンドルを握っている“どこかネジのゆるんだ奴(loose nut)”だね。
わかるだろう――走行中にハンドルから手を離してタバコに火をつけるような連中のことさ。しかも時速40マイルか50マイル(約64~80キロ)でカーブを曲がりながらね。
少し大げさかもしれないが、私はそれが事故の大半の原因だと思っているよ。」
中尉が“ハンドルの後ろのネジのゆるんだ運転手”の例をさらにいくつか挙げていたとき、交通係のデスクにいた憲兵軍曹が週末の事故報告書を何枚かめくっていた。
その中のひとつを見つけると、他と分けて、用紙の下部に書かれた記述を声に出して読んだ。
「この事故は運転手の不注意によるものではない。」
彼はその報告書を元の山に戻した。
「みんなそう言うんだよ。」
彼は、いかにも憲兵らしい調子でそう叫んだ。
憲兵司令部によれば、3月中の陸軍関係事故は37件あった。
幸い死亡事故はなかったが、軍関係者30名と沖縄住民2名が負傷した。
4月最初の8日間では、“死神(Grim Reaper)”が1人の命を奪い、さらに4人を襲った。
そのうち2人は軽傷で済んだが、GI(米兵)1名と日本人捕虜1名は、より重い負傷を負った。
最初の8日間だけで事故件数は8件に達した。
https://mickmc.tripod.com/books.html

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沖縄諮詢会
経済小委員会(午前9時〜)
(予算、通貨交換)
軍政府:
各部の予算を二週間程で作製の予定であったが如何なったか。
護得久委員:
現金が来た為め(紙幣の交換)忙しくて中止したが又早くやります。
軍政府:
本日午后の会合で各部予算は護得久委員に提出すべく全委員に伝へられたい。

軍政府:
財務部の銀行運営のための車は何台か。
護得久委員:
現金交換のためジープ三台、トラック三台を今月中貸して貰いたい。
軍政府:
必要なら永久に貸す。

護得久委員:
銀行と銀行との電話が欲しい。
比嘉委員:
七月頃から精米機が必要であるから、日本から取寄せて貰いたい。
軍政府:
日本と沖縄との貿易が禁じられて居るから望薄ひ。

護得久委員:
久米島の仲里・具志川両村長の陳情につき。
具志川村長の話によると、軍政府が当地を引揚げる時残した物品を売上げて七万円を得之を以て役場吏員、教員、巡査の給料に当てたが残り少くなったが四月から如何にして村費を維持するか。
仲里村長の話、具志川村と同様に昨年十一月以降軍政府の与へた物品を売上げ十三万円を得、之を教員、吏員、巡査三十四名の俸給に充当三月迄で凡そ八万円支払ひ(八万円の中一万円は学校建物費及び雑品購入)残金は五万円程で之を四月に繰入れて行く。
五万円は六ケ月の予定である。
俸給は戦前の俸給額である。
従来の通り課税もしたいが如何ですかと。
私(護得久委員)としては私一人の問題ではない、農務、商務、労務の関係もあるが、之等の事が安定しない限り課税は出来ないだらう其部とも相談したら如何ですかと云って置いた。
軍政府:
護得久委員の意見は当を得て居る。離島を本島と区別するか又は同一にするか。
護得久委員:
本島と同一にやって其後の事は方法を考へる事がよくはないか。
生活困難者は救済をやって貰いたい。
軍政府:
市町村の予算に仲里、具志川両村も入れる。
護得久委員:
私の意見の通り仲里、具志川も本島と同一に行ってよいか。
軍政府:
五月一日から賃銀制にしてよい。

(沖縄県公文書館より)

【参考】B円
B円は、沖縄における通貨経済の再開、すなわち、1946年4月以降実質的に流通の中心をなしていた。しかし、当時,米軍政府は、日本円の流通をも認めていた。このことが、激しいインフレ化にあった本土と、相対的に安定していた沖縄との間で密貿易が行われるととにより日本円が流入することとなった。また、本土からの引場者による規定以上の日本円も持ち込まれた。
これらのことは、沖縄において、予期せざる通貨量を増大させることとなり、結果としては、本土の激しいインフレが沖縄に持ち込まれることとなった。
米軍政府におけるB円を唯一法定通貨とする措置はこのような状況のもとに決定された。
これは、沖縄で流通する通貨量をコントロールしようとする意志が働いていたことを意味する。

(会計検査資料 1990年7月号」建設物価調査会、1990、国会図書館より)

B円導入の準備(アメリカ世:1946323
https://note.com/minamihanashima/n/nbbc61c09cded

八重山婦人会結成について
八重山支庁長
各町村長・各町内会連合会長・各字部落会長殿
婦人会結成に関する件
(以下略)

(「琉球史料 : 自一九四五年至一九五五年 第3集」琉球政府文教局教育研究課編、1988、国会図書館より)

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