アメリカ世:1946年8月9日(金)
石川市で市町村長協議会
日本在住学生の救済
愛楽園・早田医師について
収容所新聞第15号
石川市において市町村長協議会を開催、配給の迅速化につき協議

(「沖縄大観」沖縄朝日新聞社編、日本通信社、1953、国会図書館より)
沖縄民政府
部長会議(午前9時〜)
又吉部長:
軍政府は移転するが、民政府も移転せよと云はんばかりである。民政府の移転は職員の住宅が困難と思ふ。
石川から東恩納まで通勤して居るから、知念に移ったら志喜屋、百名、新里方面からも通勤することで出来るだらうと云って居る。
大宜見部長:
移る間暫く此所に居て各部連絡を取って車の便を計ること。
護得久部長:
トラックを連絡車に願って定期の往復に使用す。
山城部長:
日本在住の学生に送金する方法を講ぜられたい。
護得久部長:
保護者を失って学資に困って居る学生について民政府としても考慮されたい。


軍民連絡会議(午後2時〜)
軍政府:
民政府移転につき、佐敷は如何。此所と如何。
志喜屋知事:
職員が多くて住宅の関係もあるが。
軍政府:
必要であれば住宅を新しく村を作り又部落の延長でもよい。
住宅につきてはテントが一二、〇〇〇程来つゝある。移動家族のものではあるが分与出来る。
志喜屋知事:
東恩納に在る現在の事務所等及び住宅用の建物は如何するか。
軍政府:
職員の住宅は新材で作る。斯るものは住民に使用させる。クレーグ大佐は考へて居る。
志喜屋知事:
水は不足なきや。
軍政府:
一人当五ガロン程度あったら如何。
志喜屋知事:
住宅の準備が出来たら早く移転したい。
志喜屋知事:
日本に在学する学生に送金の方法はないでせうか。
軍政府:
簡単には返事は出来ない。
志喜屋知事:
奨学金が鹿児島興銀に十四、五万円あったがそれを以て学生を救助する方法はないでせうか。
軍政府:
調査します。

(沖縄県公文書館より)
屋我地島癩療養所の件
首題 屋我地島療養所ノ件
1:屋我地島癩療養所、早田医師及其ノ管理方面ヲ軍政府ニ於イテ調査セントコロ下記ノ不法行為ヲ発見セリ。
a即チ一九四六年二月一一日同四月二九日、早田医師、職員、患者等東北ニ向イテ敬礼ヲナシ且ツ日本国歌ヲ歌ヒテ天皇陛下ニ敬意ヲ表セリ
b 早田医師、軍政府ニ依リ労務者トシテ登録サレタリト称スル四名ノ日本軍人ヲ深ク調査モセズ癩療養所に雇用セリ。
c 療養所ニ余分ノ配給ヲ取ル為早田医師ハ配給当局へ虚偽ノ報告ヲ提出セリ。之二関シテハ陳弁スルトコロアルモ、若シ早田ノ配給量不足ナラバ増配ノ為ニハ当該当局ト接衝スベキナリシナリ。
dピストル及日本刀各一丁屋我地愛楽園主任書記多田武一宅ニテ発見セリ。之ハ布告第二号第十一条ニ違反スルモノナリ。
2:貴官ハ療養所長早田晧ニ譴責状ヲ送リ以上ノ不法行為ニ関シ注意ヲ促且ツ琉球軍政府布告ニ反シ罪ヲ重ヌルニ於テハ是以上ノ厳罰ニ処セラルル旨警告スル様指令ス。
(以下略)


(「琉球史料 : 自一九四五年至一九五五年 第4集」琉球政府文教局教育研究課編、那覇出版社、1988、国会図書館より)
屋我地島療養所の件


(沖縄県公文書館「沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 1946年諮詢委員会から沖縄民政府まで文書及びメモ」より)
屋我地島のハンセン病療養所について
(Leprosarium on Yagachi Shima)1946年8月9日

(沖縄県公文書館「対米国民政府往復文書1946年受領文書」より)
【参考】沖縄愛楽園


屋我地島・屋我地村

(沖縄大百科事典より)
収容所新聞:1946年8月9日付沖縄新聞15号
總ての努力は盡(つく)した
も早や船を待つのみ
PW事務室クレーマー中尉
(中略)
それ故諸君は帰國した暁には戦争の犠牲がどんなものであるかを同胞に知らせてやらなければならない。
和歌:
「空をゆく巨体淋しくうつむけば 怪鳥の影の悠々と過ぐ」
「雨雲の低く垂れたる島かこみ リーフの波は白き弧を描く」
俳句:
「盂蘭盆や沖縄は募守る人のなく」
「夕立に煙る入江の破船かな」
「スコールや石貨か番人動かざる」


(「金武町史 第2巻 戦争・資料編」金武町史編さん委員会編、金武町教育委員会、2002、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9640040/1/228
