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アメリカ世:1946年9月8日(日)

宮古島:
与儀達敏町長退陣の弁・甘藷創始の神、砂川親雲上の例祭

(1946年9月8日、宮古タイムスより)
与儀前町長退陣の弁

その日与儀達敏町長は浴衣がけで縁側に円くなったが、心身共にサッパリしたよと前置きして更に語を続け……昨年十二月就任したがその当時町政運用につき、政界の浄化を図り町民大衆の生活を何とか確立して行きたいという抱負のもとに、終戦後ひどかった民心の動揺を落ちつけ、希望を持たせて復興の気力を推進することに重点を置いて来た次第である。(中略)
就任早々から次から次へとぶつかった難問題、即ち疎開者帰還、町自主財政の予算編成、疎開帰還者の自活健康奨励、電気事業の町営化、天然痘の予防対策、食糧危機突破の食糧移入確保、さらに学校復旧工事の着手等も順調に進み、在任中思う存分に働かせていただいたことは感激に堪えない。ただ学校工事問題で暗礁に乗りあげたのは私の不明の致すところで(以下略)

道路愛護改修週間全郡一斉に実施
戦災並に復興期の交通量の増大に伴う郡内道路の損壊は著しきものがあり、予ねて軍政府では路上の清掃及び補修につき喧しく指導して来たが、宮古支庁ではこの程軍政府の指示により来る十一日から十七日までを道路愛護週間と定め全部的に一斉に道路改修作業を展開することになった。(以下略)
甘藷創始の神、今日砂川親雲上の例祭行う
今から三百年前の慶長八年宮古に始めて支那から甘藩苗を持ち来
り芋の創始をなした砂川旨屋親雲上の例祭は本日保里町内会長間立
御嶽で行われ故人の功績をたたえる事になっている。尚本日は支庁
長始め各官衙長、知名士の参拝も行なわれる筈。

(「平良市史 第5巻 (資料編 3 戦後新聞集成)」平良市史編さん委員会編、平良市、1976、国会図書館より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9770038/1/41

【参考】与儀達敏(よぎ・たつびん、1901〜1965)
政治家。宮古島地村(町)に生まれる。
47年、宮古民政府副知事を皮切りに、立法院議員、ついで琉球政府副主席になり、56年には立法院議長に選任された。

長真氏旨屋(ちょうしんうじしおく、?~1642)
甘藷(サツマイモ)伝来者、宮古島頭(砂川親雲人・うるかペーチン)。
1594年(尚寧6)御物宰領として首里に行っての帰途、暴風にあって中国へ漂着、97年帰島のさい大和へ乗り越し、同年帰島した。このとき唐芋(とういも、甘薯)葛を持ちかえり島中に流布したという(長真氏正統家譜写による)。

(沖縄大百科事典より)

宮古島のイモの話
宮古島キッズ・ネットより)
https://miyakojima-kidsnet.org/R-imonohanashi.html

芋ヌ主御嶽
みゃーくずみより)
https://myakuzumi.com/81310/

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