現代詩や「本の轍」さんや「光子ノート」や
「今を生きるための現代詩」を読みました
国語の教科書で読んだ谷川俊太郎がわからなかった著者が、かっこいい日本語をたくさん紹介してくれる!
映画や漫画やアニメのワンシーンが「刺さって」頭から離れられなくなるように、詩だって刺さる。
理解をこばむ前衛的な詩がたくさん。
教科書で「作者の意図を当てるクイズ」にするために紹介されたものではない。
全く意味のない、ただこの世に存在しえない物体を表現したことば。
半世紀前に書かれたとは思えない、不穏で殺傷能力の高い、ひともじも変えられない、改行の位置まで徹底的に磨かれたことば。
口に出したらなくなってしまう、空白や改行によってつくられた詞。
マネしてノートに書いたことばを改行しまくって、「それっぽい」と夢中になっていた著者。わかるー。これはやりたくなる。
読んだあとに、高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」を読むと、こんなに「わかる気がする」ものだっけ、と思った。ギャングが詞の学校に通う、意味不明な(なぜか読み返したくなる)小説だと思っていたけど、ストーリーや設定に縛られずに人の気持ちを書いた自由な表現に見えた。
「本の轍」に行った
現代詞の世界にふれて、なんかたまらなく自分の中に新しいものを取り入れたくなったワタシは、前から気になっていた小さい書店に行きました。あんまり見かけないZINEや詩集や古雑誌を見て来ました。
この書店に関しては三宅香帆さんの様子を見たほうがてっとりばやい。
「本の轍」さんは小さな看板がある一般の建物の2階。情報を嗅ぎ付けた人だけが入れる秘密基地のようだった。
初めての場所や交通機関で極度に緊張してしまう自分にとっては、見つけて入れた時点でミッションクリア!みたいな達成感。
詩集やエッセイは、「みんな違うことば使ってる!」「みんな、生きてる証拠を残した!」って感じがいい。
仕事して金を稼ぐことと腹を満たすことばかり考える生活をしていたから、本や雑貨に囲まれて、人間性をがぶがぶ飲んでいるような気がした。
滋養滋養。おれたち、ひとりひとり違う表現ができる。人間だから。
活字がかすれて古文書みたいになっている推理小説やSF雑誌を立ち読みした。
初めて知ったのは、矢部太郎さんの父の「光子ノート」。
娘が生まれたときに一人で描きためていたイラストを、息子の太郎さんがまとめて、凝縮して、なんとか広辞苑ぐらいの分量まで圧縮したもの。
このリンクのサンプルにある絵を見てください。子供が手づくりのネックレスみたいなのをくれてお母さんのお誕生日会?をしている絵。席があいているのは、絵を描いているお父さんの席なのかな。
「ほんとうにこの子がいて、この食卓があったんだ」感。誰しもこんなに愛されていたのか。
最後に長男の矢部太郎さんが生まれて、その子は芸人になったあと、吉本のススメで絵日記を描いたら大評判になり、50年近くたって、姉が幼いころに書かれた大量のノートを発見する。
あまりに異例づくめなので大手出版社に持ち込んでも断られた。
ということで、一部の書店でしか手に入らない。
「本の轍」の向かいには保護猫カフェがある。
猫の店員に囲まれて詩集や古雑誌を読んだら、人類が滅亡したあとにアーカイブを拾って古代の人類に思いをはせているような気分になるんじゃないか。
一人で入るのもなんか踏ん切りがつかず、(駐車場の車にカギをかけたかどうかも不安だった。四国のいいところは駐車場代が安いこと)今回は窓の外から毛並みのいい猫さんたちに手を振って帰った。
保護猫ってもっと、良くも悪くもフツウだと思ってたけど、みんな毛並みがフワッフワ。どうやったらあんなふうになるんだろう。
ケチを治して、面白そうなものをさくさくカゴに入れられる人になりたい。
明日は、暑くなるまえに服や食材やコーヒー豆を買いにいく。
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読んでくれてありがとうございます。
これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。