娘が好きすぎる50代の父親の話
土曜日は、午前中で仕事が終わる。
「ああ、今週も終わったー!」
心がふわっと軽くなる。
これから午後いっぱい休み。しかも土曜日の午後を存分に楽しんだあとも、まだ日曜日が丸ごと残っているから、私にとって土曜日の午後は一週間の幸せのピークなのだ。
さて、お昼は何を食べようかな。
そんなことを考えながら家に帰ると、珍しく長女が何かを作っていたようだ。
おお、これは嬉しい。ちょいと分けてもらいますか。
……と思ったのだが、彼女の表情がどうにも微妙だった。達成感もなければ、食べてほしそうな期待感もない。料理を完成させた人というより、何か問題を抱えて救助を待っている人の顔をしている。
長女の前に置かれた鍋のふたを、そっと開けてみた。
なんじゃ、こりゃ。
白っぽい液体の中に、キクラゲ、厚揚げ、じゃがいも、葉野菜?のようなものが浮かんでいる。さらに鍋の底には、透明すぎる麺が静かに沈んでいた。
見たことのない水中生物を発見したような気持ちで眺めていると、長女が言った。
「昨日買ってきたマーラータンのスープに、いろいろ入れて煮直したら味が薄くなった。たぶん、牛乳を足したのが間違いだった。なんとかして」
マーラータン。
そんな洒落た名前の食べ物、私はよく知らない。
知らない料理を、知らないうちに別の料理へ進化させたものを、なんとかしろと言われても困る。
私にはできっこないじゃん。
私は鍋からそっと距離を取り、何も見なかったことにして、自分用の蕎麦を茹で始めた。
そこへパパが帰ってきた。
鍋を見つけるなり、
「おっ!娘、なに作ったの?一緒に食べていいの?」
と、見たこともないような怪しげな食べ物を前にして、娘に甘い父親を丸出しにした。
さすがパパだ。愛があれば、どんな料理でも受け止められるらしい。
そして、ためらうことなく一口。
「うすっ!」
愛でも味の薄さまでは隠せなかった。
私は蕎麦を茹でながら聞いた。
「パパの分も、蕎麦茹でる?」
「いや、なんとかしよう。腕の見せ所だ」
どうやら、娘の手料理を見捨てるという選択肢はないらしい。
そして、沈んでいる麺が春雨だと知ったパパは、急に何かをひらめいた。
ゴマだれを取り出し、鍋に加えて温め直し始めたのだ。
「しゃぶしゃぶの締めみたいにすれば、いいんじゃない?」
マーラータン、なんですけども。
中国のスープ料理らしいが、パパの手によって日本のしゃぶしゃぶの締めへと、大胆に方向転換された。
しばらくして、長女が味見をした。
「これ、食べられるようには.....なったあるよ」
中国人かいっ。
おいしくなった、ではない。
食べられるようには、なった。
料理に対する評価としては、かなり低空飛行である。
それでもパパは、娘が作った謎のマーラータンを別の何かに生まれ変わらせ、最後まで食べようとしている。食べられるようにはなった、という娘の評価でも、嬉しそうだ。ゴマだれで煮直しただけなのに、どうだとばかりに満足げな顔してる。親バカとは言うが、パパバカである。私の失敗料理はなんとなーく避けるのにね?
娘もまた、そんなパパの優しさを無駄にしてはいけないと思ったのか、ゴマだれ味になった元マーラータンを黙々と食べていた。まさかのムスメバカか?
娘に甘いパパバカと、その優しさに応えようとするムスメバカ。
なんだかんだ言いながら、そこには美しい親子愛があった。
その横で私は、茹でたての蕎麦をひとり、無言ですすっていた。
土曜日の午後。
我が家の食卓では、マーラータンがしゃぶしゃぶの締めに生まれ変わり、父と娘の愛情が確かめられた。
そして私は思った。
やっぱり、蕎麦は裏切らないな。
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