然るべきタイミング
数年前、言葉にしづらい違和感に目を向けず、無理矢理人生の歯車を回していたツケが回ってきて機械ごと壊れてしまった。
何もやる気が起きない。ひとつだけでも家事ができれば上々。なのにこの世はただ息をしているだけでは居心地が悪く、何もしていないよりはまだマシだという理由で本を読み始めた。
いろんな本に出会った無職期間。私にとって土門蘭「死ぬまで生きる日記」に出会えたことが、無職期間を意味のあるものへと変化させた。
以下、私の心を軽くしてくれた文章をふたつ、書き残しておきたい。
一つ目。
地球ではないどこかの星生まれ
自分は火星人だから、地球に馴染まないのだと。だから、こんなに寂しい気持ちになるのだと。
家にいても、学校にいても、どこにいても何か馴染まずうすら寂しいのは、自分が違う星から来た生き物だからなのだろう。だから、自分を受け入れてくれる人の中にいても、心から「ここにいていい」と信じることができないのかもしれない。
一言一句、共感しかなく、この虚しい気持ちをここまで言葉にして世に出してもらえたことに、感謝しかなかった。
私はこういう気持ちだったんだ、と気付かされたし、同じ気持ちを抱えている人がいたんだと、心底安心したことを覚えている。
17ページ目を読んだとき、私はすごく腑に落ちた。
私もこれから地球人ではないと思って生きていこうと思ったし、そしたら馴染めない自分を責めなくて済むと思った。
「そりゃあ違う星の元で生まれましたから、合いませんよ」と開き直ることができた。
うまく馴染めない星の空気を吸って、よくここまで大きくなれました、と自分を褒めたくなるくらい。
いつか自分が生まれた星を知りたいし、うまく空気が吸えたなら、どれだけ楽に生きていけるんだろうと思い焦がれるけれど、
案外、やっぱり地球がよかったってなるのかもしれない、とうっすら思ったりもしている。
人生は螺旋階段
二つ目。
「人は直線的に変わるのではなく、螺旋的に変化していくものなんです」
毎日何もせず、ただ息してるだけだった時期にはすごく嬉しい言葉だった。
「そうだ、今日私はノートに向かって自分の気持ちを書き出したじゃないか」と、昨日とちょっとでも違う自分をかいつまんでは、自分の心を奮い立たせていた。
そうでもしないと生きる力が今にも消えそうだった。

しばらくしてから、友人が面白い話をしてくれた。
私たちは各々立ちはだかる壁が待ち受けていて、越えられるまでは、環境を変えても時間が経っても何度でも同じような課題にぶつかるようにできてるのかもしれない、と。
実際、思い当たる節があり、時間を超えてまた私に同じことを伝えているんだと実感したことが何回かあった。
私が一歩踏み出すためには、打ち破らないといけない壁。
もし本当に螺旋階段になっているなら、同じ景色に見えるだけで、本当はちょこっとずつだけ上に向かっているのかもしれない。
「あぁ、またここか」と思っても、「そういえば、螺旋階段だったんだ」と思えるようになれば、また歩を進めるパワーがみなぎってくる気がする。
自分を奮い立たせるのは、結局最後は自分しかいない。
あぁ、またこの2説を思い出したということは、あの頃と似た何かにぶつかっているんだろうな。
あの頃の私と違うもの、変わったものに目を向けて、今度こそは、とまた明日からを生きるんだ。
