伊勢にお参りして、鯨を見に行った
「五感をフル稼働させた旅」という言葉がぴったりな、伊勢・高知への今回の旅。
これまでだって自然のある場所へ旅をしたことはある。
今年の元旦には鳥取砂丘で、風と砂がつくり出す風紋を見て、自然のつくるものはなんて美しいんだろうと思った。
けれど、あの旅の目的は出雲大社や足立美術館だった。その前は大阪・関西万博。振り返ってみると、私は建築や美術、寺社など、人がつくったもの、人がそこに込めた意味や思想に触れる旅を選ぶことが多かったように思う。
今回の旅は、少し違った。
目的地は伊勢、そして高知。
旅の一番の目的は、鯨を見ることだった。
長い間、空けてあった2ページ
まず向かったのは伊勢神宮。
いつか行きたいと思いながら、なかなか行けずにいた場所だった。
私が使っている三峯神社の御朱印帳は、最初の1、2ページが伊勢神宮のためのページになっている。そのため、ずっとそこだけ空白のままだった。
ようやく、そのページを埋める日が来た。

「日本人の心のふるさと」とも言われる伊勢を、自分の五感で感じてみたい。
そんな気持ちもあった。
実際に伊勢神宮に立って、最初に感じたのは、意外にも「質素」ということだった。

五十鈴川の水は透き通っていた。
境内にはたくさんのお社がある。でも、どれも驚くほど簡素だ。華美な装飾で圧倒してくるわけではない。
なのに、そこに人は神性を見出し、長い長い時間、祈りを重ねてきた。
そのことのほうに、私は興味をひかれた。
ちょうど今、オンデマンドで東洋思想を学んでいる。
そこで何度も出会うのが、物事の本質は、必ずしも目に見えるものの中にあるわけではない、という考え方だ。
形のあるもの、言葉で説明できるものだけがすべてではない。人の精神や心、あるいは、その場に宿るもの。目には見えないけれど、確かに私たちが感じ取っているものがある。
伊勢神宮の、意外なほど簡素なお社を眺めながら、そんなことを考えた。
豪華な造形物そのものを崇めるのではなく、その簡素な「形」の向こう側に神を感じてきた。そこに、古来の日本人の精神のあり方が表れているように思えて、俄然興味が湧いた。
学生の頃にはそれほど興味を持てなかった日本神話も、今になっておもしろくなってきた。
もちろん、伊勢まで来たからには松阪牛もしっかりいただいた。
「五感で伊勢を感じたい」と言ったからには、味覚も大切なのである。

乗り継いで、高知へ
翌日は移動日。
電車に乗り、飛行機に乗り、バスに乗り、レンタカーへ。
いろいろな乗り物を乗り継いで、高知へ向かった。
そして四万十川。

よく聞く「四万十ブルー」という言葉があるけれど、本当に水が美しい。
これまでの私なら、旅先で何を見たか、そこにどんな歴史があるのか、そんなことに意識が向いていた気がする。
でも今回は、水の色や波の音、風、船の揺れ。
身体で受け取ったものが、ずいぶん記憶に残っている。
そして、いよいよ旅のメインイベント。
ホエールウォッチングへ。
「すごい」しか出てこなかった
漁船で沖へ出る。

船はかなり揺れた。
乗船客は12人。船長さんとガイドさんを加え、みんなで360度海を見張る。
鯨を見つける合図は「ブロー」。
鯨が呼吸をするときに「シューッ」と吹き上がる、あの白い息だ。
誰かが見つける。
「10時の方向!」
「2時!」
声が上がるたび、全員が一斉にそちらを見る。
さっきまで知らない人同士だったのに、このときばかりは一つのチームのようだった。
大きな波の音。
その中で聞こえる、鯨のブローの「シューッ」という音。
そして、大きな身体が海面に現れる。

鯨はいつもそこにいてくれるわけではない。
こちらが「せっかく遠くから来たんだから出てきて」と頼んだところで、もちろん出てきてはくれない。
娘は今回が3度目。
過去2回は、鯨を見るどころか、強風や高波で船さえ出港できなかったという。
それなのに今回は、延べ10頭もの鯨に出会えた。
しかも、一番近いときには6〜7メートルほど先。
何か気の利いたことを感じたかというと、そうでもない。
「すごい」
それしか言葉が出てこなかった。
だって、でかいんだもの。
鳥取砂丘の風紋を見たときに感じたのは、風と砂がつくる自然の「美しさ」だった。
でも鯨を前にして感じた「すごい」は、それとは違う。
目の前にいる、生き物の力強さ。
野生の生命の逞しさそのものに、圧倒されたのだと思う。
海の上から、盆踊りの輪の中へ
鯨を見た日の夕方、もう一つ楽しみが待っていた。
入野海岸で開かれる盆踊りと花火大会。
実は、この日程を選んだ娘が、あえてこの日に合わせてくれていた。
ちょっとしたサプライズだった。
砂浜に櫓が建ち、その周りを人々が踊っている。
驚いたのは、みんなが当たり前のように踊っていることだった。
私の住む地域の盆踊りでは、まず地域の民舞サークルの人たちが踊って、いわば呼び水になる。それでも、なかなか大きな輪にはならない。
ところがここでは、次から次へと人が加わっていく。
輪は五重、六重と大きくなっていった。

土地の人たちが踊るその輪を、旅行者の私は外側から眺めていた。
すると娘が、
「踊ってくる」
と言って、すっと輪の中へ入っていった。
え、行くんだ。
その行動にも私は驚いた。
数曲踊って戻ってきた娘は、心地よい汗をかいて、いい顔をしていた。襟元には、参加した証の手拭い。
昼間は、太平洋の上で12人が一緒になって鯨を探した。
夜は、砂浜で人々が大きな輪になって踊っていた。
そのあと、花火が上がった。

波の音を聞きながら、目の前に広がる花火を見た。
なんとも贅沢な夜だった。
心配しすぎなくてもいいのかもしれない
振り返ってみると、今回の旅は不思議なくらいいろいろなことがうまく運んだ。
特に天気。
旅に出れば、天気も自然も、自分ではどうにもできない。
まして鯨に会えるかどうかなんて、完全に向こう次第だ。
それなのに、過去2回は船さえ出せなかった娘が、3度目にしてようやく鯨に会えた。
私は初めてのホエールウォッチングで、それもこんなにたくさん見ることができた。
伊勢神宮にお参りしたばかりだったからだろうか。
神様が取り計らってくれたのかな、なんてことも考えた。
もちろん、こじつけと言えばこじつけだ。
でも、そんなことを考えたくなるくらい、旅の間ずっと何かに守られているような感覚があった。
そして帰ってきた今、心に残っていることがある。
いろいろなことって、そんなに心配しすぎなくてもいいのかもしれない。
天気を思い通りにはできない。
鯨を呼び出すこともできない。
自然は、こちらの計画通りには動いてくれない。
それでも船に乗って沖へ出てみたら、鯨がいた。
伊勢で、目には見えないものについて考えた。
四万十の水を見た。
太平洋の波に揺られた。
鯨の息を聞いた。
砂浜で盆踊りの輪を眺め、波音を聞きながら花火を見た。
そして、たくさん食べた。
五感をフル稼働させた旅。
これまでとは少し違う旅をして、こういう旅も私は好きなんだと知った。
考えることが好きな私だけれど、ときには「すごい」しか出てこなくなるようなものに会いに行く。
そんな旅も、なかなかいい。
