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ツイート以上ブログ未満

みなさま、お久しぶりです。
みいです。

あれよあれよという間に2025年になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
最後の更新である韓国旅行記から半年以上の時間が経っていました。
半年の間に何度かこのnoteのために筆を取ったのですが、書き上げるところまで至りませんでした。
ツイート以上ブログ未満のような中途半端なものばかりが生まれては漂っていました。

そんな中でも自分だけの日記はずっと書き続けていて、2025年になってからは割と高頻度で週4~5は書いているのです。
精神状態が割と安定しているからというのもありますが、書く内容に制限を設けないようにし、ハードルを取っ払ったことが継続の要因の一つだと考えています。
そうやってより自由にやってみることで、知らない自分に出会えるのではという考えに至ったことがきっかけで、始めてみました。一方で、知っている自分がより濃くなる可能性もあるなという仮説も立てていました。
どっちに転がったとしても、自分の中の玉手箱をのぞいてみようという本来の私が持つ好奇心から来る取り組みだったのです。

この玉手箱スタイルの日記をはじめたのが昨年の9月くらい。つまり、大体5か月くらいやってみて、今日、というかさっき一つのひらめきを得たので、今こうしてキーボードをぽちぽち言わせています。

自分のキャパを広げるというか、自分のキャパの境界線を緩めることができるかも、ということが今日のひらめきです。

どういうことかというと、自分で自分を苦しめていた価値観のうちの一つが何なのかがちょっとわかった気がしたのです。

以下、今日の日記の抜粋。

今日はとても寒くて、雪が降っていて、かつ風も割とあった。
雪が降るのを眺めるのは好きだけど、風に舞う雪を眺めるのもなかなかぼーっとできていい。
雪とか雨とか晴れとか、自然って予測がつかないことも多くて、それゆえに忌まわしいこともあるけど、だから自然は良いのだとも思う。
どんなに調子が悪くても、一日中ぼーっとしていても、大きな失敗をしても、季節は巡る。

どんな季節でも、嫌いになってはいけないし、どんな季節でも元気じゃないといけないと思っていたかもしれない。
割とそういう平等(?)の精神が強くて、そこに苦しめられている気がする。
好き嫌いがあることが人間なのだと少しずつ体得してきているし、”嫌い”という感情と仲良くなることができれば、もっと楽(?)に生きられるのかもしれない。
そう考えるとまだまだのびしろばかり。
平等・公平・博愛といった精神は忘れたくはないけれど、あと少しだけ自分のキャパを緩めよう。

’25.2.5 25:01


前提として、私は割と言霊というものを肯定的に受け入れるということに抵抗がないタイプの人間です。
だからこそ、”良い”とされていることや、”きれい”なこと、”マイルド”な言葉、そして”平等”みたいなもので自分を満たさないと幸せになれないと思い込み、無意識に自分に強いてしまっていたことに気付いたのです。

どう接していいか分からないから見ないようにしていたことがまだ自分の中にある。

その事実に気付いた後の私は、愕然とするわけでもなく、向き合っていくぜ!と燃えるわけでもなく、ただこの気付きを外に出そうと思ったのです。
ツイッターじゃ短すぎるし、インスタは文章より画像や動画メインな気がしてしまうし、、、やっぱり文章として残したい。
久々に文章として残したいと思えるものに出会えたことに結構喜んでいる自分もいる気がします。
そして、練ることもせず、自分の満足いくクオリティでなくともとりあえず出してみることにしました。
リハビリだと思って。
思いつき中の思いつき、かつ深夜テンションの文章なんて、翌朝みたら恥ずかしくて冬眠したくなるレベルだと思うんですが、今の私はそれでもいいと言っています。
だから書いています。

しっかりとした情熱になる前の赤ちゃん状態の情熱に久々に出会えた気がします。
ただ、やりたいとか、たのしい、よくわかんないけどいい感じ、みたいなそんな感じのもの。

半年以上noteはお休みしていましたが、その間に出会った方や作品、土地など、そのどれもが必要だったのだと思います。

また昔みたいに毎日のように投稿したくなるかもしれないし、またここから半年投稿しないかもしれないですが、とりあえず健康でいられるように楽しみます。

久々の投稿かつ垂れ流しでしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
またお会いしましょう。


#みい日記 #玉手箱スタイル




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