こちら毎日が保育園行き渋り。
朝は、どの家庭でも「忙しい」がつきまとう。
そこにさらに追い打ちをかけて来るのが
「保育園に行きたくない」の一言。
私が幼い頃は、行きたくないと言っても「何言ってるの。行くよ」と、力技で封じられてきた。あんなに行きたくないのに、行けば楽しいから不思議である。
行くまでが億功なのは大人も同じだ。
令和の育児はどうだろう。
「傾職」「共感」「受容」が求められている気がする。カウンセラーでもないのに。
1日だけの「行きたくない」ならいいのだ。
「どうしたの〜どうしたの〜可愛い子ちゃん」と余裕を持って対応できる。
しかし毎日泣きながら言われ続けると、そうははいかない。
何甘ったれたこと言ってるんだ?
と自分の心に醜い鬼が現れ
「他のお友達は頑張って行ってるよ?」と必殺技「比較」をしてしまうのだ。
娘は言う。
「ママと離れるのが怖いの」
年少さんの節分では、自分の中にどんな鬼がいて追い払いたいのか?という題材で鬼のお面を作ってきた。
お迎えの時に担任の先生に言われた一言。
「娘ちゃんは、ママと一緒にいたい鬼を追い払って、泣かずに保行園に行けるようになりたいそうですよ」と。
その時私は今まで娘にかけてきた言葉を思い出し、胸がキューッとなった。
育児にはいつか終わりが来る。
そう分かっていても、「今」がしんどいと感じることが多いのだ。
もちろん、それ以上の幸せを感じながら。
「ママと一緒にいたい鬼」
娘の心の中にいるその鬼に出会ってから私は思った。
「ああ、この鬼も、娘が大きくなったらいつか居なくなってしまうのだ」
私たち大人は子どもに健康で、できれば苦しいことを味わうことなく大人になってほしい。
幸せになってほしいと、安全な道を用意しがちである。
自分が通ってきた道を進めば安全だよ。
大丈夫だよ。と答えを教えてしまうのだ。
「そんなことで泣いていたら、この先乗り越えて行けない」と子供にとっての大きな問題を「そんなこと」で片付けてしまう日もある。
このままじゃこの子はどうなってしまうのか、こんな保育園に行く前に泣いていたら、
小学校なんて行けないのではないかと、まだ来てもいない未来のことを考え、不安になり、冷たい表情で言葉をかけてしまう。
子どものいつかを想像したとき、子どもの味方でいれたと胸を張って言えるだろうか。
それはその時になってみないと分からないけれど、今も未来も、子どもにとっての一番の味方でいたいと思う。
だから私は今日も「そうなんだね」と受け止め、子どもが泣いて離れたくないと言っても
笑顔で送り出す。
たまに鬼が出て来ても構わない。
その後、いつもの笑顔を取り戻せれば、それでいい。
と言い聞かせて1年6ヶ月。
行き渋りは、これからもまだまだ続く。
