Holidays in the Black box
九月の二週目の連休は毎年、特別な連休でした。
というのも、毎年この時期は、息子の学校の文化祭が行われるからです。
息子は文化系の部活だったのでこの時がハリキリどき。親のほうも楽しみで、ワクワクしながら過ごしたものでした。
しかし今年は、受験生ということもあって、淡々と粛々と過ごしました。高校三年生は文化祭に来てはならぬという掟さえあるらしく、日々の買い物以外、どこへも出かけませんでした。
息子は中学のころはともかく、高校になってからは勉学において色々と危ぶまれることが多くなり、今やっと目覚めたように必死に毎日を過ごしています。そんな息子を見ていて、今までもう少し頑張っていればと歯がゆく情けなく思う気持ちもあるのですが、受験まであとわずかとなった今となっては四の五の言っている時間も惜しいわけで、残された時間でなんとか頑張るしかありません。
とにかく祈るような思いで過ごしている我が家です。
なんていうと、よっぽど教育熱心なんだなあと思われるかもしれませんが、単に現実問題が厳しいだけです。勉強をサボってしまってどうにもならないのだったら進学なんて希望しなければいいのかもしれませんし、社会システム上は成人している息子のことなんて放っておけばいいという人もあろうかと思いますが、何かやりたいことがあって進学を希望している以上、できたら同級生の友達と同じ年に進学して欲しい、どこでもいいからどこかに合格して欲しいと願うのは全世界共通の親心でありましょう。
とはいえ、実際、金銭的援助以外親ができることは何ひとつありません。
この連休の間、私は、ひたすらPCの中のデータ整理、写真の整理、スマホとの連携の見直し、アプリの整理などをしていました。
コロナ禍以後、ブログやnote、自分の本を作ることに夢中になり、データや写真を整理するのが煩わしくて、いい加減にしたまま放置していました。気がつけば数年(もうここ、間違わないので!)経っており、もうさすがになんとかしなければと思っていたところでした。
やり始めたら大変なことはわかっていましたが、気がついたら三日経っていた、というくらいPCの前であっという間に時間が過ぎていきました。いまだにぐちゃぐちゃのフォルダが数多く残っていますが、それはもう仕方がない。最初からきちんと整理して入れておけば、こんな時間も労力も使わなくてよかったわけで。
ずぼらで怠惰な自分を責めてみてもどうしようもないことですが、深く反省しました。そして、息子の勉学に関してもこのような性格が原因だったのではないだろうかとひそかに内心、心を痛め、我が血を呪いました。おんなじやん。血筋やん。
この際、乗りかかった船と、気がかりだった衣類や冷蔵庫内も整理整頓しました。断捨離、というほど捨ててないので、あくまでも整理整頓ですが、それでもかなりすっきりしました。
PCもそうですが、衣類のほうも、「たたみかた」を検索すると色々出てきて、これだ!というたたみ方に出会ったので、それで相当、スペースを確保することが出来ました。冷蔵庫内は、ニトリで買った冷蔵庫整理ボックスが上手く活用されていなかったので、それを見なおしてみるなどしました。
長い間気がかりだったことを終えて、区切りをつけてPCの前で伸びをしたら、まだまだ暑そうながら、なんだか秋っぽい日差しがベランダを照らしていました。どこにも出ず、ひたすら整理整頓をしていた連休はまるで金曜日から火曜日にワープしたような、ブラックボックスの中にいたような連休でした。
それなりにできたことはあるので無駄だったわけではないし、陰鬱な気分だったわけでもないのですが、気がついたら時間が消失。融解。
ある意味集中していたとも言え、SNSで時間を溶かしたりするよりは、ポンコツな自分を見直し、何が今大切なのかを見つめ直すためにも、たまにはこんなblackboxの中に入ってみるのも悪くなかったかもしれません。
今やっと、いろんな囚われを手放そうとしているような気がします。
せいせいと、生きていきたい。
今、そんな気持ち。
