「今週末が極大らしい」——眠れない熱帯夜、ベランダに出てみた
寝つけない夜に、スマホから流れてきた言葉
熱帯夜だった。エアコンを消すと寝苦しくて、つけっぱなしにすると喉が渇く。どちらにしても眠れなくて、深夜零時を過ぎても、私はスマホをだらだらと眺めていた。
そのとき、ふと一つの記事が目に入った。「ペルセウス座流星群、今週末が極大」。八月十三日ごろがピークで、十二日の夜が見頃らしい。
明日は、山の日。
少しくらい夜更かししても、許される気がした。
なんとなく、私はベランダのサッシを開けた。むわっとした夜の空気が、部屋の冷気とぶつかる。それでも、外に出てみたくなったのだ。
昔は、夜空を見上げる余裕さえなかった
会社員だった頃、夜はいつも天井を見ていた。
目を閉じても、明日の会議、上司からのLINE、まだ返せていない仕事が、次々と浮かんでくる。あと何時間で朝が来てしまうか、暗い部屋でただ数えていた。空を見上げるなんて発想は、どこにもなかった。
去年の七夕も、短冊を前にして、私は何も書けなかった。
願いごとを一つ思いつくにも、心に空きがなさすぎたのだと思う。
見上げるという行為は、案外、余白がないとできない。
一筋の光に、思わず願いごとが浮かんだ
ベランダの手すりに肘をついて、しばらく空を見ていた。首の後ろが、じわりと汗ばむ。都心の空は明るくて、星なんてほとんど見えない。
それでも十分ほど経った頃、視界のはしを、細い光がすっと横切った。
あ、と思う間もなく、消えた。
とっさに、願いごとが浮かんだ。
数年前の私なら、きっと「無事に朝が来ますように」だった。でも今夜、胸に浮かんだのは違う言葉だった。
——この静かな暮らしが、もう少しだけ続きますように。
守りたいものができていた自分に、少しだけ驚いた。あの頃は、ただ朝をやり過ごすことで精一杯だったのに。
空を見上げられる夜は、いい夜だ
眠れない夜が、必ずしもつらい夜とは限らない。
見上げる余白が戻ってきた、というだけで、私は少し救われた気持ちになった。流れ星は、たった一筋。願いが叶うかどうかも、正直わからない。それでも、夜空に向かって願える自分が、今はここにいる。
今日の一手は、小さくていい。
眠れない夜が来たら、一度だけ窓の外の空を見上げてみる。何も見えなくても、それでいい。見上げられた、というだけで、十分だから。
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