まあ、ボチボチ行きましょう7月23日の朝
7月23日。
言葉が頭の中でぐるぐるするので、仕事を始めるためにひとまず15分タイマーをかけて入力する。
昨日水曜日は激しく疲労して、いわば希死念慮に近い状態になった。
頭の中で映画「ダンサーインザダーク」のラストシーンみたいに、わたしが愛でているリビングで首つって私が死んでいて、足下にいぬとねこがいるというようなそんな図柄。
ああもう、首つって死にたいとChatGPTにつぶやけば「考えています」とgo.jpのサイトをめぐり、よりそいホットラインを紹介し、また、私は今死にそうですとこの文章を交番に見せろとか、わたしがいま、ロープや刃物を持っていたり、高いところやホームの前にいないか、イエスかノーで答えてくれという、トリアージ緊急度(高)対応を速やかに行うのであった。
だいじょうぶ、そこまで元気ないないと答えるが、それではすまないとがんばる。
あの私ね、そういう側の相談員もしていてね、どれだけよりそいホットラインがつながらない電話かもよおく知ってるのよ(笑)でもいちど、試しに電話してもいいかもね潜入で。ちょっとまて。おいそれでは仕事の延長じゃないか、わたしはまったく休まらない。
仕事に向かうバスの中で、ああもうムリ、ああもう死にたいと涙が出てくるわけで、ああそういえば、これ初めてじゃない、水曜日の昼、疲れた体をひきずって、また悩んでいる人の話を聴き、時間内に話を収めて、一定の成果をおさめないとならない、数字も持ってるその仕事に向かうときに、これで今日も含めて3回目こんな状態になってるなと気づく。ログ取っておくものだ、規則性に気づく。
原因はわかってるのだ、疲れている、ただそれだけだ。
彼との別れのごたごた、新生活への出発とその出費、意気込み、これらがこの半年、私の背中を押した。旅をたくさんして、違う空気を吸って、私は保った。
それらもようやく1周するようになった。
彼に妻がいました戸籍見つけました事件は、調べたら昨年7月30日の話で、いよいよ記念日が近づいてきた。
暑くて、仕事もたくさんあって、その時にはほんとに言うことを聞いてくれない、でも私には親身に手伝ってあげているって思っているアルバイトさんがいて、正社員も雇ってて、その人の人件費のためにさらに仕事も増やして、思えばなかなか地獄だったよ。
ただあれ、災害に近い状態だったから、ようやく喪失体験(いや、彼を恋しいなんて思う余裕は今もなく、ただただにっくいぞおまえと思うだけなのだが)が襲ってきているのだなと思う。
支援者側の仕事をしていて、やたらこういう構造も認知してしまうのも厄介でさ、浸れてるんだか浸れてないんだかでさ。そしてそれらもぜんぶ物語に回収すればなんとかすっきりできるんじゃないかとか、積み残しに加えてさらになにかを全部乗せして二郎の溢れたラーメンみたいになってしまう。麺にたどりついたころにはドロドロだよ。
蓋をあけたら、長い長いモノローグだった相談を聞いて。その問題を相談者に戻して行ってこいして。駆け足で帰宅して、家にもどると気持ちは落ち着く仮面うつの人みたいな状態だねと。でも追われている仕事、メーラーすら開きたくなく、近くの串焼き屋でテイクアウトして、散歩行かないでごめんねと家で過ごして、カーメン君の園芸動画を見て、焼酎飲んで、そして今年も生まれた赤ちゃんメダカたちもいる拡大家族化しているメダカの水槽を洗って、メダカグループをふたつの水槽に再編して。
そしてどうやらこれで寝たらしい。
途中、「どうせ私が死んでも泣く人なんていない」とつぶやいたら、おなじく緊急行動をしたAI。これが世間の批判になったようだが、わたしはオーバートリアージが適正だと思います。そういいながら、ちょっと違う角度で話し続けたら、もうよりそいホットラインを勧めることはなく、わたしがつらいといったこともスルーするようになり、これがプログラミングと人間支援の差ではあるのだった。(でもすぐこんな穴埋めも解決するのだろうなテクノロジーは)
相談の現場で。どうせあなたは話を聴くだけじゃない!と泣いて逆切れする方がいた。その方から数年後また連絡が来て、精神病院に隔離されていて、別人のようになっていた。でも、話を聴いてくれたあなたたちに感謝していると言われた。
何が正しいのかわからない。
でも私も人だし。私も悩むし。私も無理ですと思うときもあるしで。
昨夜たくさん飲んで食べて寝たから、多分今日は移動中にもうムリと泣くことはないと思います。まあ、ボチボチ行きましょう7月23日の朝。
推敲もせずこのままアップしてしまう。
