小さな神様と旅に出て、わたしは小説を書いた
昨年の12月。
わたしは、小さな神様であるわんこと旅に出かけたのだった。
「小説家になりたいなら、小説を完成させることだ」
「書きたいなら、毎日、書くことだ」
わたしが小説家になりたいんだと呟くと、わかっている人は一様にそう助言するのだった。
ということは、作品をとにかく完成させなければならない。
しかしながら、完成させるというフェーズは意外に難しいのだ。
日々の暮らし。日々の業務。日々の諍い、などなど。
日々は連続性を帯びていて、終わりというものがない。
朝起きて、昼動いて、気が付けば陽が沈んでいて、夜になって。
また、朝日が昇って。
生きていると、その繰り返しをありがたみもなく過ごしてしまう。
完成させる、ということは、
この自然のループの中で、
いきなり、
ピリオド、
を打つようなものだ。
勇気もいる。根気、いや、根性? とにかく、いつもの暮らしと違う、圧力が必要なのだ。
もはや完成させなくては、と私は思った。
いま、いまのうちに、今年が終わらないうちに、なにがなんでも。
そうすることが、私が、ものを書く人としてのスタートに立つ、最低ラインだと思ったのだった。
さてどうするか。
文字数の少ない、年内に締め切りのある、公募を探した。
ライトノベルの公募を見つけた。
正直言って、わたしは、ライトノベルというものは読んだこともない。
でも、わたしのなかの、湿気、重さをそのまま出してもいいものでもない。
出てくる物語に、多くを語らせる必要はない。
そのツールとしても、ライトな世界というのは、わたしを救う何かかもしれないと希望をもったのだった。
12月31日23時59分までの締め切りまで、あといくらもなかった。
そこでわたしは思い切った。
名付けて、文豪作戦。
ホテルで缶詰めというやつだ。
もっとも、旅でのいちばんの難関は、わんこ先生をどうするかということ。
にゃんこ先生はお家を守ってくれているので、かろうじて2泊くらいは耐え忍んでもらえる。わんこ先生はそうはいかない。幸い、うちのわんこ先生は、ペットホテルも動物病院も大好きな、超友好的な性格なので、彼自身はウェルカムなのであるが、この師走のさしせまったときに空きを探すのは至難の業だ。
それで、思い立ったのだった。
わんことホテルに行けばいい。
さっそく予約サイトを開き、わんこの負担のない圏内で、一緒に泊まれるホテルがないか探した。
運よく、鎌倉のリストランテに、ペットと泊まれるプランというのを見つけた。空き部屋がひとつあった。ここだ。もう、ここしかない。
1泊5万くらいする部屋だったが、今日に限っては、わたしは思い切りがよかった。
そして数日後には、わたしたちは東海道線に乗る旅に出かけたのだった。
途中乗り換えがあって、大きな公園でお散歩休憩をした。
小さな神様は満面の笑みで、初めての道を小躍りしながら歩いた。
ぽかぽかとした陽だまりの中で、たくさんの人が幸せな休日を過ごしていた。
わんこと、私。
旅の途中。
なんだか涙が出てきたのだった。
こんなに近くに、明るく楽しい場所があったのに。
ちょっと電車に乗れば来れる場所だったのに。
わたしがここに遊びにきたのは20年ぶりくらいだった。
しかも、わんこと散歩するなんて初めてのことだった。
何を我慢していたんだ、わたし。
しあわせで、しあわせで、涙がでた。
そして鎌倉。
にぎわう美しい街並みを、わんこと歩んだ。
江ノ電の踏切を渡った。
海が見えた。
ねえ、海だよ!
案内されたリストランテの部屋は、奮発しただけあって驚くほど広くて静かで美しかった。
わんこのほうが先に、走ってキングサイズのベッドにジャンプして寝ころんだ。
彼は楽しそうに笑った。
部屋には小さなテラスもあって、その先には木々が生い茂っており、リスたちが遊んでいた。
夢のような、別世界だ。
わたしは背負っていたノートパソコンを起動させ、コーヒーを淹れた。
ホテルでは、おいしい料理をいただいた。
ガーデンテラスでの特別ディナー。
ひとつひとつのテーブルにはダルマストーブが備えられていた。
わんこは、わたしのひざの上に乗った。
見上げると豆電球のライトがたくさん光って美しかった。
そのうち、まるでわたしたちとは違う、すてきな服を着ている女性二人が別テーブルに座った。ふわふわの白い大型犬を連れてきていた。
誰々さんが、お金に困っていて…とか、ご主人との関係が悪くて…とか、おしゃべりがはじまった。どうやっても、それは、わたしの耳にも入ってきた。お金の桁は違っても、悩みの内容は変わらないのだなあと、スープをすすりながら思った。
ちなみに、うちのわんこは、旅行するのに丸裸なのもなんなのかなあと、ペットショップのコジマで買った980円の縞模様のフリースを着ていて、わたしたちはまるで場違いの客だった。このホテルだけじゃなくて、周囲の町全体が、カタログに出てくるような美しい世界で、息をのんだ。
その後も、貸切のきれいなお風呂に入ったり、わんこと散歩に出たり、大きくて白いパリッとしたシーツのベッドに寝たり、起きたりしながら、優雅な時間を過ごしているうちに朝が来た。
あと1章、完成まで必要だった。
わたしは24時間制の仕事をしていて、東京に帰ったら正月シフトの仕事に行かなければならなかった。もう、今日は大みそかだった。
チェックアウトの11時までに、なんとか完成させたかった。少し震える気持ちで、タイピングを急いだ。
でも、完成までたどり着けなかった。
仕事が終わるのは22時半を過ぎるだろう。
職場にパソコンは持ち込めない。
職場のロビーで接続しよう。
どきどきしながら過ごした。
振り切るように仕事を終えて、誰もいないロビーで、もうすぐニューイヤーがやってくるという静けさと喜びと高揚が混じる時間が差し迫る中、わたしは一人、肩を上げ息をのみ、原稿を整えていた。あともう少し、あと、もう少し。あと、もう少しなのだ。
23時50分。
わたしは、送信ボタンを押した。
今、わたしは、ここにいる。
書き上げた小説がインターネット回線に旅立っていったのだった。
仕事帰りの電車は終電ぎりぎりで、帰宅したら新しい年になっていた。
小さな神様と、小さな菩薩様が、いつものとおり、お腹を出して迎えてくれた。
すごいホテルだったねえ。
おしゃれで、びっくりしたねえ。
笑顔のわんこに話しかけた。
留守番ありがとうねえ。
にゃんこは、にゃあと答えた。
新年。
かくしてわたしは、晴れて小説家になったのだった。
誰も知らない、小さな神様と旅をしたお話。
