『天晴!な日本人』 第155回 山川菊栄(1) 「稀代の論客」
<女性の地位向上に生きた人>
今回紹介するのは、山川菊栄です。
菊栄は社会主義に目覚めた後、労働者と女性の地位・人権向上、女性解放のために闘った「社会主義の社会科学者」であり、「女闘士」「女傑」であり、その時代きっての「論客」でした。
特に力を入れたのは、職業婦人の労働環境の改善と、地位・人権の向上を確立のための理論の指導と実践です。
戦前から活躍していますが、戦後は昭和二二(一九四七)年にGHQの指導のもと発足した労働省の初代「婦人少年局局長」に任じられ、局の職人の多くに女性を採用するなど、今ふうのフェミニズムの実行者の魁とも言えます。
また、私生活では、大正一一(一九二二)年に日本共産党を創立したメンバーの一人、山川均(一八八〇~一九五八)の妻です。
共産党は、ソ連の共産党の思想・運動を世界に広げて実践する「コミンテルン」の日本支部として発足しました。
君主制反対なので、天皇制廃止を謳ったため、地下に潜伏しての活動となり、一時解散となったものの、戦後、再建して今日に至っています。
信条とする共産主義は、私有財産を廃止し、生産手段を共同で所有して、平等の消費を原理とした思想ですが、暴力を否定せず、社会革命・革新のためには積極的に行使すべし、というものなので、共産党は現在も当局の破壊活動防止法による監視指定を受けている、本当は危険な団体です。
共産主義に移行する途中の思想が社会主義です。私有財産を認めず、生産手段・財産は社会全体で共有し、国家が分配を実現する思想ですが、「平等」というのは有り得ない定義なので、世界の社会主義国、共産主義国はことごとく自由経済を採用し、政治は共産主義で国民を抑圧しています。
日本共産党も、党内での討議や思想・言論の自由を認めず、異論を唱える者は即座に除名する独裁組織です。
世界の歴史では、キリスト教の次に人民を虐殺してきたのが共産主義です。欧州では法律で禁止されているのが共産主義であり、共産党の結成なのです。
ソ連建国の立役者、共産主義の親分のレーニンは、共産主義が成功すれば、女性は社会の「共有物」で、男が望めばいつでも性行為に応じなければならない、産んだ子は社会全体の「共有物」として、施設で育てるべきと主張していました。
こういうことは公にしませんが、共産主義とはとんでもない思想なのです。
近年、牙を隠してソフト路線を装っている日本共産党に騙されないで下さい。
<その生いたち>
菊栄は明治二三(一八九〇)年一一月三日に、旧水戸藩(今の茨城県)で、父、森田竜之助、母、千世の第三子、次女として生まれました。
父の竜之助は陸軍省の通訳、中江兆民(一八四七~一九〇一)の仏学塾手伝いを経て、ヨーロッパに視察に行ったのち、食肉製造所主事となったインテリです。千葉県立食肉製造所主事のあと、魚の缶詰工場、養豚場に携わっています。
母の千世も歴史に名を残した才女でした。
安政四(一八五七)年生まれですが、当時としては稀有な高等教育を受けています。
明治八(一八七五)年に開校した、お茶の水の「女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)」に一期生として入学しています。
菊栄は両親ともに知性の高い家庭で育ちました。
もともと、千世の家系は代々、水戸藩(徳川御三家の一つですが、尾張、紀伊の徳川と異なり、皇室との関係を築くための家柄)の儒者でした。
千世の父の延寿は水戸藩内の内紛のあおりを喰って、禄を奪われ、蟄居を命じられていました。
これが元治元(一八六四)年のことです。
明治の世になり、延寿は能力を買われて、政府から三度も出仕せよとの命令がありましたが、藩が阻止しています。
廃藩置県後の明治五(一八七二)年、やっと蟄居が解けて政府に出仕しますが、薩長全盛の時ゆえに、薩摩出身の歴史家の重野安繹(一八二七~一九一〇)の世話で、東京府地誌課長という、さほどパッとしない地位に就きました。菊栄という名は、菊の花盛りだったところから命名されています。
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無期懲役囚、美達大和のブックレビュー
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