最近の関心事アラカルト-前編:血液凝固現象
12/22(日)に久しぶりの勉強会を開催してきた。
何か一つのテーマを用意できたわけではなく、多方面の関心領域を紹介させて頂いた。その根源的な動機は全てCOVID-19騒動に繋げる為なのだが、発想が飛び飛びの為か最近は見向きもされなくなってきた。そりゃ世間は「もう終わった風邪騒動」か「未だに怖い感染症」かの二択しかないのだから、第三勢力の意見(:特定の層だけを最初から狙い撃ち=感染症発症は制御できる&その下地を数十年前から構築してきた)などという言論活動など、大半は認知負荷に耐えられないか、全く興味がないだろう。究極的には他人事の事件に関心など持てないのが忙しい現代人である。世知辛い。
或いは単純に私の口が悪すぎる為か(謎に上から目線だからか)。ただ歴史上反ワクチンは丁寧に被害を訴えてきた以上、そろそろ新スタイルを確立するべきだとも思う。反ワクチンは歴史上(特に20世紀)、自然療法家やホメオパシー、ヴィーガンの背景のある方に多かったことから「反ワクチン運動」=「自然派推進 」運動 の印象が一般に根強いが、私はそんな小綺麗な言論活動よりも「その注射針で近づいてきたらお前のケツを蹴り上げる 」運動の方がやりたい。今の所は「反黒魔術」を自称している。
さて、大層 なことを言いながら最近は専らアントワーヌ ・ベシャン (1816-1908)の文献翻訳に丸一日を費やす日々だ。
私はこの騒動を介して、誰かの第三者の要約が一切信用できないことを悟った。ベシャンに関するTwitter上の要約は酷過ぎて見ていられない。本人が一言も言っていない話を曲解して伝えている。何が腸内細菌だ。
この騒動で悟った真理
— MitNak (@Mit3279) November 27, 2024
「我々が調べた限り〇〇は存在しない」は信頼できない
お前の調査能力は誰が担保するんだ?
まず最初にやったことは翻訳の進捗報告だ。
実を言うとDeepLにブチ込んだ全文の粗訳なら終わっている。だからざっくりとなら内容は掴んでいるが…如何せん昔の表現が曖昧過ぎるのと、M.レバーソンの英訳に信頼性がないのと、校閲がザル過ぎて誤字脱字ばっかりなのと、レバーソンが勝手な解釈しているせいで原文の意図が歪曲しているのと、同じ対象を表すのに前後で違う表現していたりするのと、昔と今とで価値観も専門用語も前提知識も違うのとで自動翻訳がまるで意味を為していない。
一応引用されている当時の文献もフランスの国立図書館のデジタルアーカイブにアクセスして全部揃えて内容を確認しているのだが、時々その引用表記が間違っていたりする。「そんな論文、該当雑誌の該当ページに存在せんがな」とよくブチ切れている。出版社にクレーム入れたい。
そんなこんなでどうでもいい所に時間を取られて難儀しているのと、最終的に翻訳出版を目指す以上、私だけ知識を独占するわけにもいかんので、客観的に読解可能な翻訳文にする必要があるのと(+解説)で相当時間かかっているところだ。まぁどうせ傲慢な現代人は最新科学が絶対的に正しいと妄信して過去文献など見向きもしないのだろうが、「最近の発言でありさえすれば、常により正しく、後から書かれたものならば、いかなるものでも前に書かれたものを改善しており、いかなる変更も必ず進歩であると信ずることほど大きな誤りはない。」
さて、翻訳の進捗度で言うと(2024年12月現在)
訳者前書ー100%
著者前書ー100%
血液研究の序章ー100%
第一章(フィブリン研究史/血管外のフィブリン研究)ー70%
第二章(タンパク質研究史)ー20%
第三章(血管内フィブリン研究)ー10%
第四章(血液細胞研究)ー10%
第五章(血液・循環器研究)ー5%
第六章(生殖細胞研究)ー5%
第七章(マイクロザイマス理論を巡る当時の論争)ー0%
第八章(マイクロザイマス目線での細菌学)ー1%
後書ー100%
全体40%程度
各章を約2000字~3000字単位で分割してnoteにアップしている。私が現在お話できているのは、まだまだ彼の触り部分だけなのだ。だからこんな程度で根をあげられちゃたまったもんじゃない。
こんな感じで最近19世紀フランスばかり調べているせいで隔世の感が半端ないが、ベシャンを基準に現代文献を読まねば何も始まらない。まずベシャンを教科書にして、次の予定としてはギルバート・リンのAIH理論に行き、Murburn構想に行き、そうして細胞生物学の基盤を固めた上で現代論文に行かないと解釈がズレると考えている。
私が敬愛する6,000マイル先の友人ことパトリック・ジョーダンが最近、32GBのUSBの29GBを占める8836個の「必須」データを実物で無料で贈るから住所教えて、アンタの国側が課す輸入税以外は気にしなくていいよとメールで言ってきたが、そんな中で彼が「真に科学的」と考える論文は30年以上探して5つしかないそうだ。それくらい世の中、特に医学生物学は出鱈目に満ちていると考えねばならない。
ということでベシャンの「主張」に移ろう。箇条書きにすると以下の通りだ。
①血液には赤血球・白血球・分子顆粒の3つの有形成分があり、その間隙を埋める形で液体がある。この液体を科学は「血漿」と呼んでいる。
当然だが現代の認識と異なる。現代科学の定義では、血液の3つの有形成分は赤血球・白血球・血小板だ。血小板の発見は1865年1842年なので彼の生きた時代に報告されているのだが、本書の中に血小板に関する記述は特に見当たらない。興味がなかったのか知らなかったのか(※イタリア語論文なので可能性はある。彼が引用するのはフランス語とドイツ語論文。)、はたまた本質ではないと判断したのかは定かではない。
※1865年は血小板産生元の巨核球の記述だった。発見者がイタリア人なのは確実。ベシャンが本格的に科学界に参加するのは1850年代なのだが…?
ただ、この主張はソビエト科学者オリガ・レペシンスカヤと共通する。彼女は(恐らくガストン・ネサンのソマチッドと同一の存在と思われる)Living Substance という微視的存在が細胞を一から構築する現象を観察し、「生物システムは細胞系とLiving substanceの二つの系が織り成す複雑系」だと主張した。ベシャンと非常に似ている。
その裏付けとなるであろう現代論文がコチラである。2013年の韓国発の論文だ。
Lee, H.-S., Lee, B.-C., & Kang, D.-I. (2013). Spontaneous self-assembly of DNA fragments into nucleus-like structures from yolk granules of fertilized chicken eggs: Antoine Béchamp meets Bong Han Kim via Olga Lepeshinskaya. Micron, 51, 54–59. https://doi.org/10.1016/j.micron.2013.06.009
「孵化鶏卵の卵黄顆粒から自発的自己集合するDNA断片の核様構造体の形成~アントワーヌ・ベシャンはキム・ボンハンを介してオリガ・レペシンスカヤと邂逅する~」
卵黄顆粒からDNA分子が自然に自己集合する現象が、受精の初期段階で起こっている証拠を発見しました。DNA分子の自己集合の確かな証拠を見つけるために、私たちは受精卵のさまざまな段階で多くのデータを収集し、データ表を作成しました。まず、アクリジンオレンジという生体染色剤を用いてDNAを可視化してみると、卵黄顆粒の一部からDNAシグナルが放出され、培養時間が長くなるにつれて、非常に小さなサイズから核のようなかなり大きな構造へと徐々に増加していくことが分かりました。さらに確かな証拠を得るために、別の生体染色剤であるHoechst 33258というDNA特異的染色剤を用いて、卵黄顆粒の変化を追跡しました。Hoechst 33258で染色した卵黄顆粒からのDNAシグナルのパターンは、アクリジンオレンジで染色した卵黄顆粒からのパターンと同じでした。卵黄顆粒の変化の位相差顕微鏡画像の一部では、核様構造が形成される前に、顆粒の周囲に液体状の物質が認められました。蛍光顕微鏡と微分位相差顕微鏡を併用した観察により、これらの液体状の物質は、DNA分子が自然に自己集合した卵黄顆粒から放出された可能性があることが示唆されました。最後に、DNAシグナルが真のDNA分子から来ているかどうかを検証するために、デオキシリボヌクレアーゼI(DNAse)を使用して、核様構造が実際にDNA分子が組み立てられたものであることを確認しました。本稿では、DNA分子が細胞様構造に自己集合する証拠を報告し、特にアントワーヌ・ベシャン、オルガ・レペシンスカヤ、ボン・ハン・キムといった、細胞分裂によらない新しい細胞生成の代替経路の存在を主張する先駆者たちの研究と比較しながら、我々の発見について考察します。
ベシャンのMicrozymas、レペシンスカヤのLiving substance、そして1960年代北朝鮮の鍼灸士キム・ボンハンのSanals、この3つが同一の存在と仮定した上で、キム・ボンハンの観察を追試しようと言った論文だ。細胞の構築とまでいかずとも、DNAの断片が自発的に集合して細胞核を一から構築する様を確認した。キム・ボンハン曰く、ここから細胞の構築に移行するので、著者達はその途中までは裏付けが取れたと言っている。現代の定説は、「全ての細胞は細胞分裂のみで増殖」するが、それ以外の細胞新生の経路を新たに発見したという内容だ。
この話は恐らく千島学説にも繋がる。千島学説第一原理:赤血球多分化説の批判は、「無核の赤血球がどうやって有核の体細胞に変化するのか」「核はどこから来るのか」だが、この点、千島氏自身が核合成の可能性を言及するのみでそのメカニズムを明言していない(…だった筈)。だが千島氏はレペシンスカヤの存在を知っており、彼女の研究の論考も発表されているので、恐らくLiving Substanceの関与を考えていたであろう。晩年は同じ存在を「基本小体」と呼んで研究していたとの話もどっかで聞いた(確証はない)。
②全ての細胞はこの分子顆粒による一過性の構築物である
先程のLiving substanceによる核形成の延長である。全ての細胞がこの微細な顆粒物質による一過性の構築物という主張だ。「分子顆粒」で例えばJ-stageを検索すれば昔の文献がヒットするので、細胞内の存在として古くより認識されていたと言える。後述するが、この分子顆粒は細胞内のマイクロザイマスの存在様式であり、赤血球も例外なくこの構築物である以上、この主張は先程の赤血球の核形成の問題を解決する糸口になるかもしれない。
そして、先程「DNA断片」の文献を紹介したことからもこれはDNAの話に繋がる。
DNAの旧名は「ヌクレイン(nuclein)」である。1869年に白血球から発見された。現代の分析では、当時の「ヌクレイン」にはRNAも一定数含まれていたことが判明しているので、以降は広義の「核酸物質」と同義に捉える。核酸物質が遺伝物質と特定されたのが1940年代だが、これはつまり(他のタンパク質と一線を画す)特殊物質としての核酸物質の研究期間が凡そ70年あることを意味する。では物質と捉えていた当時の科学者目線で核酸物質はどう見えていたかというと、当然有名な螺旋構造ではなく細胞内の顆粒成分に見えていた。
Bergstretser, D. E. (1895). Nuclein. The American Journal of Dental Science, 29(4), 164. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6118658/
細胞が生命活動の最小単位であることは古くから知られているが、筋肉、神経、骨の組織が、如何なる方法で筋肉、神経、骨の細胞から進化したのかは、生理学者にとって難問であった。細胞核と核小体の周囲には、再生芽 (blastema)と呼ばれる顆粒物質が存在し、この物質は親細胞から分離した後でも同化作用を活性化させる特定の分子力を与えられる。この再生芽は、細胞核と核小体が自身の組織を生産し修復するために使用する物質である。すべての細胞は、この顆粒物質、即ち再生芽を様々な量で保有しており、血液の血清中に分離または孤立して存在することが発見されている。後年の研究者たちは、この顆粒物質が動物界の細胞構造全体に広く存在し、血液の血清中にも分離して存在しているという事実を確立したようである。
…(中略)…
この顆粒物質は、多核白血球によって大量に産生されるため、最近になって「ヌケリン(nucelin)」という名称が付けられたが、この同じ用語は、すべての動物細胞構造の化学的基盤に長い間適用されてきた。 後に「ヌクレイン(nuclein)」という言葉が使われるようになったのは、そう呼ばれるようになった物質の由来を示すためであると同時に、身体の様々な組織細胞に対して、その構造と存在が依存する栄養を供給するという関係を示すためでもある。
現代の遺伝学の記述はとにかくマクロ目線の核酸物質の動きが分かりにくい。そういう時は昔の記述を見るに限る。ミクロな話は、マクロな現象の把握を前提に、特定の一場面を切り取った後に詳細なメカニズム解明の為の一手段とするべきだが、電子顕微鏡崇拝が先行して昔の文献は無条件で軽んじられてしまう。結果としてミクロな一過性の現象を拡大解釈して現実を歪めるアホな科学者が爆誕するか、部分的真実の悪用で民衆を誤誘導する詐欺師が跋扈して反・知性主義の風潮になるわけだが、そんなことを言い出したら突っ込み処のある教科書上の人物など幾らでも出てくる。
さて、核酸物質は大まかに同化・異化プロセスに関与する細胞内・血液中の顆粒物質と昔から認識されていたことが分かる。「特定の分子力」を現代遺伝学でいうスプライシングに読み換えれば現象の補完ができる。顆粒と核酸物質🧬が等式というと違和感があるが、実際の所、核酸物質は生体内ではタンパク質と結合した「リボ核タンパク質 」の形で存在すると考えれば違和感は解消される。
しかし、それ以上に重要なのは、この偏在性の顆粒についての議論にシンポジウムが割かれるという時宜を得たことである。何年もの間、リボ核酸(RNA)がタンパク質合成に関与していることを示す状況証拠が蓄積されてきた。最近になって、RNAの大部分がリボ核タンパク質(RNP)粒子の形で存在することが認識されるようになった。ほぼ同じ大きさと組成の粒子が、ラットの肝臓、エンドウ豆の苗、微生物など様々なソースから単離されている。 従って、この粒子はタンパク質合成装置の重要な一部であるという考えが広まってきた。
Microsomal Particles and Protein Synthesis.
New York: Pergamon Press.
Introduction-vii
現代はとにかく物質を細分化し、細分化こそ精度の高い分析と考えるが、生体内における存在様式を理解するにはむしろ粗雑な研究の方が重要なこともあると考える。例えばビタミンB系は元々ビタミンB1~12の「複合体」の形で発見された。ならば生体内では複合体として価値を持つと考えるべきである。
この記述から少なくとも再生芽=ヌクレイン=リボ核タンパク質粒子と当時認識され、組成と機能からしても蓋然性は高いが、ベシャンの言う分子顆粒が完全な同義とは言い難いのは、彼はこの顆粒物質を現代の細胞分画法に則った遠心分離にかけていない為である。遠心分離器の実験室利用は1869年、まさにF.ミッシャーがヌクレインの発見で使用したことが最初であり、スイスの研究は彼の認知外だったことだろう。
そして各細胞内小器官は、細胞粉砕後の遠心分離の沈降速度で分類されている。
シンポジウムの過程で、意味上の困難が明らかになった。ある参加者にとっては、ミクロソームとは他のタンパク質や脂質で汚染されたミクロソーム画分のリボ核タンパク質粒子を意味し、他の参加者にとっては、ミクロソームは粒子で汚染されたタンパク質と脂質で構成されている。ミクロソーム粒子」という表現は適切ではないように思われるし、「ミクロソーム画分のリボ核タンパク質粒子」はあまりにもぎこちない。会議中に "リボソーム"という言葉が提案された。"リボソーム"が20〜100Sサイズのリボ核タンパク質粒子の呼称として採用されれば、現在の混乱はなくなるだろう。
Microsomal Particles and Protein Synthesis. New York: Pergamon Press.
Introduction-viii
以上より
分子顆粒≧ヌクレイン=再生芽=リボ核タンパク質≧リボソーム
③この分子顆粒は微細なタンパク質の陰に隠れたマイクロザイマスである
さて、分子顆粒≧ヌクレイン(核酸物質)という関係が仮定されてしまうと、この項目が重要な意味を持つようになる。
ベシャンは分子顆粒≠マイクロザイマスであり、曰く
分子顆粒=タンパク質粒子+マイクロザイマス
だと言った。この「タンパク質粒子」を彼は「アルブミノイドの雰囲気」と表現している。有機化学で「雰囲気 」とは、ある空間の中に特定の物質が満たされた状態を指す。従って「アルブミノイドの雰囲気」は微細なタンパク質粒子で充満した空間を意味する。このタンパク質粒子に囲まれる形でマイクロザイマスが隠れていると言った。
当時タンパク質の実質的統一体理論(※1)が蔓延る中、彼は個々のタンパク質の組成分析からその特異性を主張し、分類した人物の一人だ。マイクロザイマスに関しても、全生物/同一個体内に解剖学元素(※2)として存在するマイクロザイマスは同じ起源を持つ独自の生命体ながら、その機能には存在する環境に応じて特異性が備わると主張した。
※1:全てのタンパク質は結合する鉱物質と脂肪分などの違いで多様化しているだけで、全て根源に共通部分が存在する同一物質とする理論。1842年にアポリネール・ブシャルダがこの根源的物質にアルブミノースと命名した。単に実験に使用した塩酸濃度を誤っただけなのだが、かなり長い間信じられていた理論のようだ。
※2:解剖学元素:anatomical element:ベシャンの理論の根源は18世紀の解剖学者グザビエ・ビシャ(Xavier Bichat)にある。ビシャの生理学構想はラヴォアジエの化学理論を転用したものであり、ラヴォアジエが物質を化学元素(Chemical element)にまで分解して最小単位を定義した如く、生物にはそれ自体に自律性が備わる解剖学上の最小単位があると主張した。ビシャは顕微鏡を嫌った為に微視的な分析に移行せず、600体/4年以上に渡る生体解剖と独自の分析のみで21種類の組織を最小単位と主張したが、ベシャンは更に掘下げてマイクロザイマスこそ生命の最小単位(解剖学元素)と主張した。
ビシャの参考文献⇩
Shoja, Mohammadali M., R. Shane Tubbs, Marios Loukas, Ghaffar Shokouhi, and Mohammad R. Ardalan. 2008. “Marie-François Xavier Bichat (1771–1802) and His Contributions to the Foundations of Pathological Anatomy and Modern Medicine.” Annals of Anatomy - Anatomischer Anzeiger 190(5):413–20. doi: 10.1016/j.aanat.2008.07.004.
この記述で私が真先に連想したのはギルバート・リン博士のNPU(ナノ原形質ユニット)である。
この理論(AIH)では、生命の最小単位は細胞ではなく、ナノ原形質ユニット NanoProtoplasm Unit(NPU)と称する微小な構造体である。各々のNPUは、二者択一状態の何れかの形で存在する。
1)安静状態では、水、タンパク質、カリウムイオン等の全ての主成分は(教科書に記載のような)遊離状態ではなく、物理的・電子的に他の全成分と直接的・間接的に結合している。
2)活性状態では、図右の水と安静時NPUが、図左のように水と活性化NPUとカリウムイオンの状態へと一過性に遊離する。

右図:安静状態のNPU
極性化(polarized: 電子的偏り)-配向化(oriented:イオンの偏り)水の多層構造
salt linkage:塩結合(=イオン結合)
各NPUには原則として、そのNPUの種固有のタンパク質一分子が含まれる。ヒト成熟赤血球の通常のNPUは以下の式で表される。
$${(Hb)_1(H_2O)_{7000}(K^+)_{20}(ATP)_1}$$
※Hb=ヘモグロビン/数字はNPU一つ当たりの項目の数を指す
一つ一つのNPUは極めて小さい。赤血球一つには300,000,000(3億)個のNPUが存在する。バルク相の水は完全長タンパク質 により分極化 、配向化 しており、部分的にナトリウムイオンを排除している。従って、筋細胞、神経細胞、赤血球等に、細胞内ナトリウムイオンを低濃度に維持するナトリウムイオンポンプの仮定は余計である。
ちなみにベシャンも
・ヘモグロビンはカリウムと結合状態にある
・分子顆粒には100℃乾燥後も豊富な結合水 が存在する
と言っており、リン博士はこの結合水を極性配向多層水 (※一部の健康マニアはEZ水と呼ぶ)と呼んだと仮定すれば、この二人が非常に近しい発言をしていることになる。
※ここでリン博士が「バルク相の水は完全長タンパク質により分極化、配向化」と言っている点が重要である。概略図の通り、休眠状態の細胞内のタンパク質は平面状に伸長した構造をしている。現代科学は、タンパク質の「3次元構造」を解析するが、それは活性状態の細胞から放出された一過性の折り畳まれた 形態である。そしてリン博士は、「可逆的ATPの喪失は生命活動であり、不可逆的ATPの喪失は死に至る」とも残している。これは、タンパク質が折り畳まれた状態のまま(=ATPを放出したまま)放置された細胞は死に至ることを意味しており、即ち「折り畳まれた(=3次元構造)タンパク質」は同時に死んだ細胞が持つタンパク質である。
参考:天然状態
以上の読解から、現代医学による血液の有形成分の定義(赤血球+白血球+血小板)は不足があると判断せざるを得ない。ベシャンとリンを統合すると
・分子顆粒(=NPU?)は全ての細胞が保有する
・その分子顆粒は固有のタンパク質分子と機能特異的マイクロザイマス、水とカリウムとATPで構成される
この2点が導出されるが、ここで冒頭の韓国の研究に回帰すると、「マイクロザイマス」の正体が現代の「核酸物質」である可能性が濃厚であり、そして血小板は「巨核球由来の無核細胞成分」が定義だが、内容物に顆粒成分(α顆粒)とmRNA/miRNAなどの遺伝情報が存在することから、他の細胞と同じ特徴を有している。
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