温故知新(8)瓊瓊杵尊(饒速日尊 媛社神 日子穂穂手見命 久志多麻命) 丹生都比売命(市杵島姫命 織姫神 稚日女尊 大宜都比売神 瀬織津姫命 木花開耶姫命 罔象売神) 天王山古墳群 日向三代 摩耶山 モン・サン・ミシェル
元伊勢籠神社 媛社神社(七夕神社) 鹿島神宮 熱田社 宗像神社 吉野ケ里遺跡 平原遺跡 アレクサンドリア 丹生都比売神社 生田神社 上一宮大粟神社 井関三神社 ジェッダ 神根神社 ラス・ダシャン山 伊都国 吉野 日前神宮・國懸神宮 倭大國魂神社 護持院太山寺 宇佐八幡宮 瀧神社(奥の院) 粟鹿神社 聖ミカエルの山 坂本丹生神社 高千穂 摩耶山 天の浮島 天橋立 伊和神社 チャタル・ヒュユク 三輪山 丹生川上神社 丹生神社 大津神社 岡ミサンザイ古墳 南宮大社 矢田坐久志玉比古神社 磐船神社 白庭台 日向大神宮 神武天皇陵 海神社 玉比咩神社 日向山 天津神社 日向神社 出雲大社 オリンポス山 六甲比命大善神社 伊弉諾神宮 摩耶山天上寺 パレルモ 劔山本宮劔神社 大呂神社 忌部神社 生石神社 中蒜山 大山 沓島 冠島 河合神社 青谷上寺地遺跡 大御和神社 アルテミス神殿 吉備津神社 春日大社 楯築遺跡 百枝八幡宮 立岩 石見神社 久久比神社 スカラ・ブレイ
饒速日命(彦火明命、天火明命)と市杵島姫命(市寸島比売命)
丹後一宮元伊勢籠神社は、主祭神として彦火明命(ひこほあかりのみこと)が祀られています。社伝によると彦火明命は天孫瓊瓊杵尊(邇邇藝命)の兄弟神とされ、天祖から息津鏡・邊津鏡を賜り、海の奥宮である冠島に降臨し、丹後・丹波地方に養蚕や稲作を広め開拓したとされています。『先代旧事本紀』は、天火明命は穂積臣や物部連の祖の饒速日命の別名(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)であり、饒速日命と同一神と記しています。
籠神社の絵馬(写真1)には、天照國照彦火明命(饒速日命)と市杵島姫命(市寸島比売命)が高天原から籠船に乗って、天橋立に降りてくる絵が描かれています。

絵馬にある月と日を囲んでいる六芒星(籠目紋)は、三角が重なった形なので、月(国津神)と日(天津神)が結婚したことを表しているのかもしれません。六芒星は「シリウス」を表すという説が有力とされ、古代エジプトではシリウスは「イシスの星」として崇められていました。また、六芒星は、紀元前3000年頃のシュメールの遺跡のレリーフにも見られるようです。市杵島姫命は、天照大御神と須佐之男命が、天眞名井で行った誓約の際に、天照大御神が須佐之男命の剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女(宗像三女神)とされ、商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣、海の神として信仰されています。
媛社神と織姫神
福岡県小郡市にある媛社神社(ひめこそ)、別名、七夕神社は、媛社(ひめこそ)神と織姫(おりひめ)神を祀った神社です。古来織物に携わってきた人々が織物の神として「棚機津女」(たなはたつめ)という機織りの女神を信仰していて、織姫・彦星の物語と結びついたと考えられています。七夕神社(媛社神社)は、孝霊天皇9年の創立と伝わる肥後一之宮 阿蘇神社とパレルモを結ぶラインの近くにあります(図1)。このラインは、金峰山(熊本市西区)と宇佐神宮(大分県宇佐市)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。金峰山の山中には宗教遺跡とみられる拝ケ石巨石群があります。

須佐之男命と稲田姫命(櫛名田比売)
市杵島姫命は、『古事記』の天の安の河の誓約の段に、「胸形の中津宮に坐す」とあり、須佐之男命の娘と推定されます。鹿島神宮の末社の熱田社(写真2)は、祭神が素盞鳴尊(須佐之男命)と稲田姫命(櫛名田比売)で、古くは七夕社(あるいは田畑社)といわれ、稲田姫命は七夕と関係があるようです。

七夕神社の媛社神は別名を饒速日命といわれることから、織姫(おりひめ)は市杵島姫命と推定されますが、稲田姫命も織姫だったと思われます。市杵島姫命は、須佐之男命と稲田姫命との娘と推定されます。宗像神社と吉野ケ里遺跡を結ぶラインは平原遺跡の近くを通り、七夕神社(媛社神社)とアレクサンドリアを結ぶラインも平原遺跡の近くを通ります(図2)。

平原遺跡からは、銅鏡や玉類が多数発見され、銅鏡のなかには直径46.5センチメートルの内行花文鏡が5枚あり、この墓に葬られた人物は女王ではないかと考えられています。『魏志』倭人伝によると「女王国は北側に一大率を置いた」とされ、一大率は須佐之男命と推定されるので、平原遺跡には、宗像三女神の母親と推定される稲田姫命が葬られているのかもしれません。吉野ケ里遺跡から発見された石棺にある線刻は、織姫・彦星などの星座を表しているとも考えられているので、吉野ケ里遺跡が女王国で、女王の稲田姫命が住んでいて、石棺は平原遺跡に古墳を作る間、稲田姫命を葬った墓かもしれません。
丹生都比売命(稚日女神)、大宜都比売神、瀬織津姫命、木花開耶姫命
『古事記』の須佐之男命の勝さびの段で、天の服織女(はたおりめ)が亡くなっており、さらに、次の天の岩屋戸の段では、須佐之男命は、高天原を追放されています。『日本書紀』神代記上七段の第一の一書に登場する稚日女尊(わかひるめのみこと)は、高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていた時亡くなり、それを知った天照大神(大日孁尊)は天岩戸に隠れてしまいます。織姫神は、稚日女尊と推定され、丹生都比売神社では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)の別名が稚日女尊としています。『播磨国風土記』によれば、神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神(稚日女命)の託宣により、衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来たため、これに感謝し応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたとあります。
神戸市中央区の生田神社では、稚日女神を祀っています。由緒には、神功皇后元年、三韓外征の帰途、今の神戸港にて船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れ、「私は活田長峡国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたとあります。
生田神社と大宜都比売神を祀る上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)を結ぶラインは、丹生都比売神社とパレルモを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。上一宮大粟神社の社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたといわれます。大宜都比売神は、丹生都比売大神(稚日女命)と推定されます。

丹生都比売命は、不老長寿、農業・養蚕・織物の守り神なので市寸島比売命や織姫神(稚日女尊)と同一神格と考えられます。市杵島姫命は、弁財天と同一視されていますが、水神や祓神である瀬織津姫命(せおりつひめ)も弁財天と同一視されています。兵庫県たつの市(旧揖保川町)の井関三神社(いせきさんじんじゃ)は、井関大明神として天照国照彦火明櫛玉饒速日命、八瀬大明神として瀬織津姫命を祀っています。
生田神社とジェッダを結ぶラインは井関三神社の近くを通り、ラス・ダシャン山と生田神社を結ぶラインは、上一宮大粟神社と井関三神社を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。これらのラインは、稚日女神(丹生都比売命)と大宜都比売神と瀬織津姫命を関係付けていると推定されます。ラス・ダシャン山と生田神社を結ぶラインは、木花開耶姫命を祀る神根神社(岡山県備前市)の近くを通ります(図4)。木花開耶姫命は、須佐之男命(孝霊天皇)と稲田姫命(櫛名田比売)の娘と推定されるので、木花開耶姫命も丹生都比売命と同神と推定されます。

伊都国と吉野
丹生都比売命は和歌山県伊都郡の旧天野村の丹生都比売神社に鎮座していますが、伊都の地名は、丹生一族と共に邪馬台国の伊都からこの地に移って来たことによるともいわれています1)。伊都国の「一大率」が、丹生都比売命の父親の須佐之男命(孝霊天皇)であれば、説明がつきます。
丹生都比売神社と平原遺跡をラインで結んでみると、ラインの近くに日前神宮・國懸神宮(和歌山県和歌山市)、倭大國魂神社(徳島県美馬市)、護持院太山寺(愛媛県松山市)がありました(図5)。

平原遺跡と元伊勢籠神社を結ぶラインは、宇佐八幡宮(山口県防府市)や瀧神社(奥の院)(岡山県勝田郡奈義町)の近くを通り、このラインは、丹生都比売神社と聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは、粟鹿神社(兵庫県朝来市)の近くを通ります(図6)。これらのラインから、平原遺跡、丹生都比売神社、元伊勢籠神社は、関係付けられていると推定されます。

「吉野」は紀伊半島の中部に位置し、吉野川流域からは、縄文時代から弥生時代にかけての土器や遺跡が発掘されています。北九州の「吉野ケ里」は、丹生都比売命(市杵島姫命)の里という意味かもしれません。『古事記』には、神武天皇が東征のおり、吉野で出会った女神に井氷鹿(いひか)が記され、光る井から出て来た上に、尾のある人(有尾人)であったとしています。「光る井」は水銀採掘坑、「尾」は龍神(水神)を表し、井氷鹿は名草戸畔(丹生都比売命と推定)のことと思われます。
瓊瓊杵命と饒速日命
兵庫県南東部(針間国、明石国)には、六甲山系に連なる丹生山系(たんじょうさんけい)があり、丹生・帝釈山系とも呼ばれています。丹生山(たんじょうさん にぶやま)の山頂には坂本丹生神社(さかもとたんじょうじんじゃ)があり、主祭神は瓊瓊杵命で、配祀神は、丹生都比売命と月弓命です。瓊瓊杵命の后は、丹生都比売命(市杵島姫命、木花咲耶比売命)と推定され、瓊瓊杵命は、市杵島姫命を后とした饒速日命と同一人物だったと推定されます。
竺紫の日向の高千穂と摩耶山、天の浮島と天橋立
『古事記』の天孫降臨の段には、「天の浮橋にうきじまり、そり立たして、竺紫の日向の高千穂のくじふる嶽に天降り」とあり、さらに「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞來通りて、朝日の直刺國、夕日の日照る國なり」とあります。丹波国は、律令制以前は但馬、丹後も含み、日本海側が韓国に向かい「此地は韓國に向ひ」の条件を満たすので、「天の浮橋」は「天橋立」のことと推定されます。
筑紫国は九州ですが、筑波山が「紫峰」と呼ばれるように、「竺紫」は固有名詞ではないと考えられます。筑波山の名前の由来は、「波が寄せる場」すなわち「着く波」や波を防ぐ堤防の役割である「築坡」(つきば)などの説があります。また、「高千穂」は、高く秀でた山をさします。したがって、「竺紫の日向の高千穂」は、瀬戸内海沿岸の山で、山が紫色になることから、朝日や夕日が射し、天橋立の南にあるとすると、六甲山付近が候補になります。
「日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究」(出典:籠神社が元伊勢の吉佐宮に選定された理由をレイラインから解明 中島 尚彦)にもあるように、天橋立に近い丹後一宮 元伊勢 籠神社(東経135度11分)と紀伊國一之宮日前神宮・國懸神宮(東経135度12分)は、南北のライン上にあり、兵庫県神戸市灘区の六甲山地の中央に位置する摩耶山(東経135度12分)も、ほぼ同じライン上に位置します(図7)。日前大神は、天照大御神とされることから、須佐之男命の妃の神大市比売(大日孁貴)と推定されます。

兵庫県宍粟市にある播磨国一宮伊和神社(いわじんじゃ)は、大己貴神(大国主命)を祀っていますが、伊和神社は、摩耶山とチャタル・ヒュユクを結ぶラインの近くにあります(図8)。パレルモと摩耶山を結ぶラインは、元伊勢 籠神社と伊和神社を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図8)。摩耶山は、海岸に近く、古くは八つの国(八島国・八洲国)が見渡せるため八州嶺と呼ばれ、「高千穂」に相応しいと思われます。

摩耶山と丹生都比売神社、丹生川上神社
丹生都比売神社とモン・サン・ミシェルを結ぶラインは、摩耶山の近くを通り、三輪山と日前神宮・國懸神宮を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図9)。摩耶山は、丹生都比売命と関係付けられていると推定されます。

摩耶山の近くの神戸市灘区高羽町にある丹生神社(にぶじんじゃ)は、罔象売神(みづはのめのみこと)を主祭神とし、奈良県東吉野村の丹生川上神社の中社を本社とする神社です。丹生神社は、瓊瓊杵命と丹生都比売命を祀る坂本丹生神社と丹生川上神社中社を結ぶライン上にあります(図10)。このことから、罔象売神は丹生都比売命と推定されます。このラインの近くには、摩耶の石舞台、素戔鳴尊と奇稲田姫命を祀る大津神社(大阪府羽曳野市)、岡ミサンザイ古墳(藤井寺市)があります(図10)。

丹生川上神社 中社、坂本丹生神社、金山彦大神を主祭神とする美濃國一宮 南宮大社(岐阜県不破郡垂井町)を頂点とする三角形を描くと、坂本丹生神社と南宮大社を結ぶラインは、丹生川上神社 中社とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは元伊勢籠神社の近くを通ります(図11)

『魏志』倭人伝に、倭の地は「其の山には丹有り」と記されていることから、丹生山のある明石川流域も倭国(邪馬台国)だったと推定されます。丹生神社は、かつて、岡山県和気郡和気町日笠下や、邑久郡長船町福岡にもあり、辰砂(水銀)を産出していました。
久志多麻命と饒速日命
奈良県大和郡山市矢田町に矢田坐久志玉比古神社(やたにますくしたまひこじんじゃ)があり、久志玉比古神(櫛玉饒速日命)を祀っています。したがって、丹生氏や紀氏の系図にみえる久志多麻命(くしたまのみこと)は、饒速日命(瓊瓊杵尊)であると考えられます。『古事記』の久士布流多気(くじふるたけ)は、『日本書紀』の場合は槵触之峯(くしふるのたけ)ですが、饒速日命(瓊瓊杵命)が、久志多麻命とすると、「くし」は「奇し」「櫛」、「たま」は「魂」を表し、「奇魂が降臨した山」を表す「くしふるだけ」と推定されます。天孫降臨で瓊瓊杵命を迎えた猿田毘古神を祀る神社は、神戸市、小野市、加古川市などにあります。小野市の名前は、小野ヶ原に由来しますが、「小野」は、和珥氏を祖とする小野氏に由来するのかもしれません。
『日本書紀』神武即位前紀に、饒速日命の降臨について、塩土老爺(しほつつのをじ)の言葉として「東に美き地有り。青山四周れり。其の中に亦、天磐船に乗りて飛び降る者有り」と記されています。大阪府交野市にある磐船神社(いわふねじんじゃ)には饒速日命が祀られています。『先代旧事本紀』には、饒速日命が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨したとの伝承があり、磐船神社は、交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族が、巨大な石船岩を哮峯として祀ったのが創祀とされます。『先代旧事本紀』によると、のちに饒速日命は「大倭国鳥見の白庭山」に遷ったとされ、生駒市には白庭山にちなんで名づけられた白庭台という地名があります。磐船神社と白庭台は、摩耶山の東に位置しています(図12)。饒速日命の墳墓は、生駒市白庭台にある白庭山とされています。

京都市山科区の神明山にある日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)は、内宮に天照大神・多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命、外宮に天津彦火瓊々杵尊・天之御中主神を祀っています。日向大神宮は、神武天皇陵の真北にあります(図13)。社伝によれば、第23代顕宗天皇の治世に、勅願により筑紫日向の高千穂の峯の神蹟より神霊を移して創建されたそうです。神戸市西区に、顕宗・仁賢両帝を祭神とする顕宗仁賢神社があります。

日向三代(瓊瓊杵尊、孝元天皇、開化天皇)
弥生時代の近畿地方最古段階の土器が確認されていることで知られる吉田南遺跡や 片山遺跡は 、明石川流域 に広がる沖積地の背後 にある段丘上に位置しています。伊和神社・海神社(かいじんじゃ)・粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ)は「播磨三大社」と総称され、神戸市垂水区にある海神社は、綿津見大神(須佐之男命と推定)を祀っていますが、古くは日向大明神と呼ばれたようです。
日向三代は、日本神話において、地神五代のうち、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・火折尊(山幸彦、孝元天皇と推定)・鸕鶿草葺不合尊(開化天皇と推定)の3柱の神々およびそれらの神々の時代を指します。『日本書紀』の景行天皇の段に、「時に東を望して、左右にかたりてのたまわく、「この国は直く日の出づる方に向けり」とのたまう。故、其の国を号(なづ)けて日向という。」とあります。ここから、宮崎県の日向は、天孫降臨の時には、まだ名付けられておらず、景行天皇が、馴染んでいる日向は、東向きではなかったと推定されます。
豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)は、高天原と根之堅洲国の中間にあるとされる場所で、根之堅洲国は、山陰地方の伯耆国と考えられることから、日向は、高天原があったと推定される山陽地方の瀬戸内海沿岸にあったと推定されます。中国地方の名前は、豊葦原中国に由来するのかもしれません。
岡山県の児島半島には日向山があり、玉野市の豊玉姫命を祀る玉比咩神社(たまひめじんじゃ)とオリンポス山を結ぶラインの近くに日向神社(倉敷市藤戸町天城)、神代神社(島根県雲南市)、出雲大社(出雲市)があります(図14)。このラインは、日向山と天津神社(倉敷市児島)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図14)。

日子穂穂手見命と瓊瓊杵尊
『古事記』の鸕鷀草葺不合命の段に、「日子穂穂手見命の御墓は、高千穂の山の西にあり」と記されています。「ほのににぎ」は稲穂が賑々(にぎにぎ)しく成熟することの意なので、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)は、火折尊(彦火火出見尊 山幸彦)ではなく、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)と思われます。丹生廣良氏は、「丹生」は水銀朱の生産に関わる呼称である他、「丹穂」(にほ)すなわち「赤米」にまつわる呼称でもあると記しています1)。「瓊」は「赤い美しい玉」を表すので「赤米」を表しているのかもしれません。「賑(にぎ)」には「栄える、繁盛する」という意味があり、一方、饒速日命の「饒」には「ゆたか」という意味があるので「豊穣」を表すと推定されます。
天王山古墳群と可愛山陵
「高千穂の山」が摩耶山とすると、神戸市西区にある天王山古墳群に瓊瓊杵命の墓があった可能性がありそうです(図15)。古墳群のうち4号墳は、明石川流域では最古級(3世紀前半頃の築造)で、割竹形木棺2基だったので、瓊瓊杵命と丹生都比売命の夫婦墓かもしれません。木棺内からは、青銅鏡(八禽鏡)、玉類、鉄製品などと、被葬者の歯が出土しています。

瀬織津姫を祀る六甲比命大善神社(兵庫県神戸市灘区六甲山町)と淡路国一宮 伊弉諾神宮(淡路市)を結ぶラインは、摩耶山天上寺(神戸市灘区摩耶山町)の近くを通り、天王山古墳群の近くを通る丹生都比売神社とパレルモを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図16)。このラインは、丹生都比売命が瀬織津姫命で、天王山古墳群に丹生都比売命の墓があると推定されることと整合します。

天王山古墳群とアレクサンドリアを結ぶラインの近くには、兵庫県高砂市の「石の宝殿」がある生石(おうしこ)神社、大日如来を本尊とする光明寺(岡山県苫田郡鏡野町)、高天原伝説のある蒜山の中蒜山山頂(岡山県真庭市)、大山(鳥取県西伯郡大山町)山頂の近くを通ります(図17)。このラインは、忌部神社(徳島県吉野川市)や白毫寺(兵庫県丹波市)の近くを通る劔山本宮劔神社(徳島県美馬市)と大呂神社(京都府舞鶴市)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、交点付近に生石神社があります(図17)。

写真1の絵馬にも描かれている、若狭湾内にある沓島(くつじま)と冠島(かんむりじま)は、籠神社の奥宮ともされ同神社の神域となっていますが、沓島と冠島を結ぶラインの延長線上に天王山古墳群があります(図18)。冠島にある老人島神社(おいとじまじんじゃ)(図18)は、丹後の国の祖神で海部氏の始祖、天火明命を祭神としています。このラインは、籠神社の祭神の天火明命(饒速日命)と市杵島姫命の墓の位置を示していると思われます。瓊瓊杵命と饒速日命の墓が共に天王山古墳群と推定されるので、瓊瓊杵命と饒速日命、丹生都比売命と市杵島姫命は同一人物だったと推定されることと整合します。

『日本書紀』には、ニニギ(天津日高彦火瓊瓊杵尊)の陵は、可愛山陵(えのみささぎ)にあるとされています。「可愛」という地名は、広島県廿日市にありますが、「河合」という地名は、兵庫県小野市、大阪府松原市、奈良県北葛城郡などにあります(図19)、「可愛」は「川合(かわあい かはひ)」のことで、川と川とが合流する所の意味と推定されます。天王山古墳群は、明石川水系の支流の伊川と櫨谷川の間にあります。「久士布流多気(クシフルタケ)」は、アイヌ語で「川などの向こうの岡」という意味で、「メソポタミア」という地名は、ギリシア語で「川と川の間の地方」の意味だそうです。

天王山古墳群は、丹生都比売神社とパレルモを結ぶライン上に位置していますが(図16)、このラインの近くには、青谷上寺地遺跡(鳥取市)があります(図20)。小方登氏は、フェニキア時代のパレルモの遺構について調査した結果、2つの川の河口にはさまれた半島状の台地に立地していることを示し、その立地がフェニキア・カルタゴ植民都市の多くの事例と整合すること報告しています(シチリア島・ バレルモにおけるフェニキア時代の遺構について)。これは、天王山古墳群が可愛山陵で、「可愛」が「川合」と推定されることと整合します。

丹生都比売神社とアルテミス神殿を結ぶラインは、武甕槌命をまつる井関三神社 奥宮(兵庫県たつの市揖西町)の近くを通り、このラインは、大己貴命をまつる大御和神社(徳島県徳島市国府町)と天王山古墳群を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図21)。これは、天王山古墳群が大国主命と関係があることを示していると推定されます。

天王山古墳群と吉備津神社、春日大社、楯築遺跡、百枝八幡宮
天王山古墳群の南側にある北別府大歳神社の祭神は、豊宇気比売尊(とようけひめのみこと)で饒速日命(瓊瓊杵命)の母(豊受大神)と推定されます。天王山古墳群(北緯34度40分)は、吉備津神社や春日大社と同緯度にあり(図22)、神奈備山の吉備の中山と春日山(御蓋山)を結んでいると思われます。

また、天王山古墳群は、倭国香媛(大日孁尊)の墓と推定される楯築遺跡(北緯34度39分)ともほぼ同緯度にあり(図23)、楯築遺跡と天王山古墳群を結ぶライン上には、倭迹迹日百襲姫命を祀っていると推定される百枝八幡宮(瀬戸内市邑久町尾張)があります(図23)。

立岩(京都府京丹後市丹後町)と天王山古墳群を結ぶラインの近くには出雲大社与謝分祠(京都府与謝郡与謝野町)、石見神社(兵庫県丹波市)があります(図24)。丹生神社(神戸市灘区高羽町)とオークニー諸島にあるスカラ・ブレイを結ぶラインの近くに石見神社、久久比神社(兵庫県豊岡市)があります(図24)。

スカラ・ブレイと丹生山の山頂にある坂本丹生神社を結ぶラインの延長線上近くには、四国八十八か所霊場を模した石の祠が立ち並ぶ福寿院夢野大師(兵庫県神戸市兵庫区)があり、このラインは、天王山古墳群と摩耶山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図25)。したがって、これらは、レイラインで関係付けられていると推定されます。

文献
1)丹生廣良 1977 「丹生神社と丹生氏の研究」 きのくに古代史研究会
