本能寺の変1582 【重史一覧全通】 №6-214 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史一覧全通】 №6-214
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断 大要 概略
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日
4月24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3
5月11日
3 足蹴事件 大 概略 5月12日 大 概 1/5 概 2/5 概 3/5 概 4/5 概
5/5 概
5月15日 大 概
密室にて 大 概 1/3 概 2/3 概 3/3 概
① 概 ② 概 ③ 概 ④ 概
⑤ 概
4 中国出陣 大 概略 備中高松城 大 概
5月17日
坂本にて 大 概 1 2 3 ① ② ③
4 ① ② ③ 5 6
5月19日 大 概
5月20日 大 概
5月21日 大 概
5 時は今、・・・・・。
5月26日 大 概
5月27日 大 概
5月28日 大 概
5月29日 大 概
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】 【重史一覧全通】
←【人物】
←【粛清の怖れ】 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
←3光秀と光慶 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男
←【四国問題】 八 九 十 目次 【四国問題 概要】 八 九 十
←【足蹴事件】 【重史040】 【重史041】
←【シリーズ】
信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史一覧1】 001~020
【重史001】 ◎52① ◎52② 殿内にあって彼は余所者であり 『日本史』【重史002】 ◎53 美濃国住人、土岐の随分衆なり「立入左京亮入道隆佐記」
【重史003】 ◎54 禁裏御料所山国庄の事 「立入宗継文書」
【重史004】 ◎54 濃州より、親類の方 「兼見卿記」
【重史005】 ◎55 時 は今、あめか下なる五月かな 「続群書類従」【重史006】 ◎8 妻木惟向州妹、参宮 「兼見卿記」【重史007】 ◎8 惟任の妹の御ツマキ死におわんぬ 「多聞院日記」【重史008】 ◎8 ①一大艦隊を編成してシナを征服「イエズス会日本年報」
②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し 『日本史』
【重史009】 ◎14 狡兎死して、走狗煮らる 「史記」越王勾践世家
【重史010】 ◎14 佐久間殿は、信長の総司令官であり 『日本史』
【重史011】 ◎58① 万人恐怖、言う莫れ、言う莫れ 「看聞日記」
【重史012】 ◎58② ①今度、四国に至って差し下す「寺尾菊子氏所蔵文書」
【重史013】 ◎7 惟日、以ての外の所労に依り皈(帰)陣、在京「兼見卿記」
【重史014】 ◎7 (光秀の)長男は十三歳であった。 『日本史』
【重史015】 ◎51 この明智の城ほど有名なものは天下にないほど『日本史』
【重史016】 ◎1 さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て『信長公記』
【重史017】 ◎1 漸(ようや)く、夜も明け方に罷りなり侯。 『信長公記』【重史018】 ◎115 ⑦我ながら驚き入る計りに候 「武家事紀」
【重史019】 ◎116 ⑩路次険難、老足叶うべからざる儀に候間「武家事紀」
【重史020】 ◎74 中国備中へ、羽柴筑前守相働き 『信長公記』
【重史一覧2】 021~040
【重史021】 ◎74 ②中国の歴々討ち果たし 『信長公記』
【重史022】 ◎70 ①関東八州の御警固を申しつけ 『信長公記』
【重史023】 ◎77 ①時に、明知、齢(よわい)、六十七 「当代記」
【重史024】 ◎79 ①祖父新左衛門慰は、京都妙覚寺法花坊主落「春日文書」
【重史025】 200 ①惟任方、もと明智十「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
【重史026】 201 筒井へ、惟任日向守より申し来たる 「多聞院日記」
【重史027】 ①情無く、主の頸を切り 『信長公記』
【重史028】 そ78⑫ 一両日中に、御上洛の旨候間、是に、相待「小畠文書」【重史029】 そ78⑦ 惟任日向守、安土より坂本に至りて帰城仕『信長公記』
【重史030】 そ78⑩ 坂本を打ち立ち、丹波亀山の居城に至り参『信長公記』
【重史031】 そ78⑫ ①廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣。 『信長公記』
そ78⑬ ②廿八日、西坊にて連歌興行。 『信長公記』
【重史032】 そ78⑬ ときは今、あめかしたしる五月かな 「惟任退治記」
【重史033】 そ78⑭ ①五月廿九日、信長公、御上洛。 『信長公記』
【重史034】 ◎65 三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れ『信長公記』
【重史035】 そ78③ 四月廿一日、安土に御帰陣。 『信長公記』
【重史036】 そ78③ ①中国進発の事、来秋たるべきの処 「細川家文書」
【重史037】 ①駿河・遠江両国、家康公へ進らせらる。『信長公記』
【重史038】 ①五月十四日、江州の内、ばんばまで、家『信長公記』
【重史039】 そ78⑤ ①五月十五日、家康公、ばんばを御立ちな『信長公記』
【重史040】 そ78⑥ ⑤一度か二度、明智を足蹴にした 『日本史』
【重史一覧3】 041~060
【重史041】 そ78⑥ ①明智は、何らかの根拠フンダメントを作ろ『日本史』
【重史042】 そ78⑧ ②今度、御請け、兎角、今に到り、延引「石谷家文書」
【重史043】 ◎2 ③是非に及ばず 『信長公記』
【重史044】 書中、具(つぶさ)に候へば、見る心地に候「細川家文書」
【重史045】 そ78⑯ 惟任、右の趣、一々、注進申し上げられ、『信長公記』
【重史046】 ①二月朔日、信州、木曾義政御身方の色を立て『信長公記』
【重史047】 ①二月九日、信長公、信濃国に至りて御動座な『信長公記』
【重史048】 ②高遠の城は、三方さがしき山城にて、 『信長公記』
【重史049】 ②中将信忠御自身、御道具を持たせられ、先を『信長公記』
【重史050】 ◎6 ①仁科五郎が頸、信長公へもたせ、御進上候『信長公記』
【重史051】 42 43 足軽衆・・・・、明智。「永禄六年諸役人附」後半部分
【重史052】 そ156② ①彼の生まれた五月の日に 「イエズス会日本年報」
【重史053】 そ157① 備後守、あん城より矢はぎへ懸け出で、『信長公記』【重史054】 そ157② ④料足四千貫計り、計上 「多聞院日記」
【重史055】 そ157② ①我が西村の小浦に一大船有り、 『鉄炮記』
【重史056】 そ158① 美濃国へ乱入し、五千討死の事 『信長公記』
【重史057】 そ158③ ①吉法師殿②古渡の御城にて、御元服。『信長公記』
【重史058】 そ158④ 織田三郎信長、御武者始めとして 『信長公記』
【重史059】 そ158⑤ ①山城道三②大柿の城、近々と取り寄せ『信長公記』
【重史060】 そ158⑥ ①織田備後守殿②美濃国へ御乱入 『信長公記』
【重史一覧4】 061~080
【重史061】 そ158⑦ ①織田三郎信長を、斎藤山城道三の聟に『信長公記』
【重史062】 そ158⑧ ①信長、十六、七、八までは、別の御遊『信長公記』
【重史063】 そ158⑨ ①制札②藤原信長(花押) 「織田信長文書の研究」
【重史064】 そ158⑨ ①奉寄進②信心大施主平信長「織田信長文書の研究」
【重史065】 そ158⑨ 平手中務は、借染にも物毎に花奢なる 『信長公記』
【重史066】 そ158⑩ きう介与力一人、鉄━(鉄炮)に当たり 「言継卿記」
【重史067】 そ201① ゆきよう(遊行)上人、御れいま「お湯殿の上の日記」
【重史068】 そ201② 年頭の御礼、旧冬より御触れにて、御免『信長公記』【重史069】 そ201② 正月九日朝 惟任日向守殿会 「天王寺屋会記」
【重史070】 そ201② 正月十四日、巳の刻 安土において「天王寺屋会記」【重史071】 そ201③ 十六日、筒井・・・安土へ、年頭の礼「多聞院日記」
【重史072】 そ201③ 惟任日向守へ礼のため、坂本に下向、 「兼見卿記」
【重史073】 そ201③ 廿五日、丙寅、未明、安土に下向、発足「兼見卿記」
【重史074】 そ201④ ゆきやう(遊行)上人、れいほう「お湯殿の上の日記」【重史075】 そ201⑤ 十四日、遊行上人、昨日、極楽坊へ来「多聞院日記」
【重史076】 そ201⑤ 二月廿六日、本能寺へ御座を居(す)ゑら『信長公記』【重史077】 そ152③ ①明智が悪魔及び偶像の友で「イエズス会日本年報」
【重史078】 そ19 ①先の公方光源院義照御生害、 『信長公記』
【重史079】 そ20① ①一乗院義昭、②南都を潜に出御ありて、『信長公記』
【重史080】 そ20① ①一乗院覚慶、僧都廿十九才、寺を御離「多聞院日記」
【重史一覧5】 081~100
【重史081】 そ20② ①今度、京都様躰、②上杉弾正少弼殿 「上杉家文書」【重史082】 そ20② ①公儀御家督、相定まり②出勢あるべき「上杉家文書」
【重史083】 そ21 ①御入洛の儀に就いて②無二その覚悟に候「東京大学史料
【重史084】 そ22 信長参洛の事、別儀なきの由、喜び入り候「和田家文書」
【重史085】 そ22 ①尾州へ下国の事肝要に候②織田参洛候様「和田家文書」
【重史086】 そ23 ①尾張守参陣致し、御動座御供②虚説なり「多聞院日記」
【重史087】 そ24 ①江州矢島②三好方、坂本まで三千計り罷り「言継卿記」
【重史088】 そ24 公方様御入洛につきて、織田上総、「中島文書」①②/④
【重史089】 そ25① この期に至り、織上、違変せしめ「中島文書」③-1/④
【重史090】 そ25② 織上、天下の嘲弄、過ぐべからず「中島文書」③-2/④
【重史091】 そ26① 織上、・・・河野島へ執り入り候「中島文書」④-1/④
【重史092】 そ26② ①左馬頭義秋、②若州へ御座を移さるゝと「言継卿記」
【重史093】 そ26② ①上意様は、矢島を御退座、若州に御動「多聞院日記」
【重史094】 そ27① ①風雨濃水に②織上、敗軍仕り候「中島文書」④-2/④
【重史095】 そ27② ①越州敦賀に至り退座候②義景馳走に候、「歴代古案」
【重史096】 そ28 ①稲葉伊予・氏家・安東②信長公へ御身方に『信長公記』
【重史097】 そ28 ①龍興、退散。②美濃国一篇に仰せ付けられ『信長公記』【重史098】 そ29① ①永禄十 十一月日信長(朱印)②坂井文助殿「坂井遺芳」
【重史099】 そ29① ①国々本意に属す②古今無双の名将「信長文書の研究」
【重史100】 そ29② ①敦賀を御出で②一乗安養寺に着御なり「朝倉始末記」
【重史一覧6】 101~120
【重史101】 そ30① ①高貴の出ではなく③兵部太輔に奉仕してい『日本史』
【重史102】 そ30① 細川ノ兵部太夫が中間にてありしを、 「多聞院日記」
【重史103】 ◎第30 ①入洛の儀につきて②信長、厳重に言上「上杉家文書」
【重史104】 ①此比、諸国知行之高帳之事 「当代記」
【重史105】 そ11㉔ ②六条に楯籠る御人数・・・明智十兵衛 『信長公記』
【重史106】 そ11㉔ 三好日向守・・・悉く本國寺を取り詰め 「言継卿記」
【重史107】 そ11㉔ ①是れは、後巻かつら川表の事。 『信長公記』
【重史108】 そ11㉔ ①内待所簀子(すのこ=縁側)にて遠見、 「言継卿記」
【重史109】 そ11㉕ ②信長・・御伴なく、六条へ懸け入り給ふ『信長公記』
【重史110】 そ11㉕ ①池田せいひん②御褒美、是非に及ばず。『信長公記』
【重史111】 そ11㉕ ①一月十日・・濃州より、織田弾正忠上洛「言継卿記」
【重史112】 そ11㉞ 度々、申し遣わ・・・明智、返事無しの由「言継卿記」
【重史113】 そ11㉞ 阿弥陀寺敷地指図、幷に、方々寄進分「阿弥陀寺文書」
【重史114】 そ11㉟ ①明智市尉、来たる②愛洲薬、又、所望の「言継卿記」
【重史115】 そ11㉟ 勢州に於て、千石知行、 「言継卿記」【重史116】 そ11㉟ ②とく川、ちそう(馳走)いたし候やうに、「言継卿記」
【重史117】 そ11㊱ 明智市慰に、近所にて行き合うの間 「言継卿記」
【重史118】 そ11㊱ ①極暑の時分、老足、奇特なり②山上は、「言継卿記」
【重史119】 そ11㊲ ①只今、下山の間、麓④明智十兵衛方へ、「言継卿記」
【重史120】 そ11㉛ 賀茂庄の内、・・・落し来り候田畠「信長文書の研究」
【重史一覧7】 121~140
【重史121】 そ11㊳ ①年頭の礼②明智十兵衛、濃州へ下向と云「言継卿記」
【重史122】 143 光源院殿御代、当参衆、並「永禄六年諸役人附」前半部分
【重史123】 35 ③信長、東福寺(東寺)④公方様、同日に清水へ『信長公記』
【重史124】 35 ①今日、武家、清水寺②織田弾正忠信長、東寺「言継卿記」
【重史125】 そ11㊴ ①奉公衆、石谷兵部少輔、牢人②小笠原又「言継卿記」
【重史126】 そ11② ①抑も、大坂は、③思はず、天魔の所為 『信長公記』
【重史127】 そ11㊶ あさかの城、木下藤吉郎、先懸いたし、 『信長公記』
【重史128】 そ11㊷ ②国司父子、楯籠られ候大河内の城とり詰『信長公記』
【重史129】 そ11㊸ ②お茶箋へ家督③国司父子は、退城候ひし『信長公記』
【重史130】 そ11㊹ ①国中城々破却②当国の諸関、御免除の上『信長公記』
【重史131】 そ11㊹ ①内宮・外宮御参詣②御茶箋公大河内城主『信長公記』
【重史132】 そ11㊺ ①勢州表一国平均②公方様へ仰せ上げられ『信長公記』
【重史133】 そ11㊺ ①のふなか③てんはいの御さか月 「御湯殿上の日記」
【重史134】 そ11㊺ 上意とせりあいて、下りおわんぬと、 「多聞院日記」
【重史135】 31 ②濃州西庄立正寺に至りて、公方様御成り。 『信長公記』
【重史136】 34 ①公方様へ御暇を申され④観音寺山乗取つ取り『信長公記』
【重史137】 そ11㉖ ①御鍬初め②藤戸石③笛大鼓④信長御下知『信長公記』
【重史138】 そ11㉖ ①一月二十七③織田弾正忠信長奉行せしめ「言継卿記」
【重史139】 そ11㉖ ①藤戸石②織弾(信長)これを引③笛鼓にて「言継卿記」
【重史140】 そ11㉗ ④信長は、ビロードの帽子⑤幾千里もの遠国『日本史』
【重史一覧8】 141~160
【重史141】 そ11㉘ ①信長は、建築作業に従事②濠橋の上で待っ『日本史』
【重史142】 そ11㉙ ②石像③虎皮④貴婦人⑤首を刎ねた⑦七十日『日本史』
【重史143】 そ11㉙ 武家、勘解由小路室町え御座を移さると云「言継卿記」
【重史144】 そ11㉙ ①信長、②三献の上、公儀御酌にて御盃、『信長公記』
【重史145】 そ11㉙ ①御盃頂戴②各(おのおの)涙ども落すなり「言継卿記」
【重史146】 そ11㉚ ①彼は、中くらいの背丈で、華奢な体軀であ『日本史』
【重史147】 そ11㉑ ①信長、伊勢②滝川一益、勢州北方へ向「勢州兵乱記」
【重史148】 そ11㉒ ③三七殿、拾三歳の時、養子に遣わさる「勢州兵乱記」
【重史149】 そ11㉓ ①北伊勢八郡、信長の御手に入り 「勢州兵乱記」
【重史150】 そ11㉕02 ①御袖判(義昭)殿中御掟⑦弾正忠判(信「仁和寺文書」
【重史151】 そ11㉕02 ①追加⑤弾正忠判 「仁和寺文書」
【重史152】 そ11⑩01 ①三好式部少輔の事、此方に別心なく候、「古証文」
【重史153】 そ11⑩01 ①爾来、申し承らず候②阿刕表の儀に就き「古証文」【重史154】 そ11⑩01 ①土佐③御鷹十六聯幷に砂糖三千斤進上『信長公記』
【重史155】 そ11⑩03 ①右府信長、御上洛③御迎え、各、無用「兼見卿記」
【重史156】 そ11⑩03 ②光秀 加茂ノ庄惣中「明智光秀史料で読む戦国史」
【重史157】 そ11⑩03 ①定 宮田市場②一、喧嘩・口論・押買「亀岡市史」
【重史158】 そ11⑪ ②丹後国、長岡兵部大輔に仰せ付けらるゝ「兼見卿記」
【重史159】 そ11⑪ ②様子に於ては、惟任かたより、具に申「細川家文書」
【重史160】 そ11⑪ 十五日、壬子、右府信長、大坂表へ御出陣「兼見卿記」
【重史一覧9】 161~180
【重史161】 そ11⑪ ①信長公、京より宇治の橋を御覧じ②御舟『信長公記』
【重史162】 そ11⑪ ①禁制 丹後江尻③日向守 与一郎 兵部大「成相寺文書」
【重史163】 ◎11 ①爰にて、佐久間右衛門かたへ、御折檻の条『信長公記』
【重史164】 ◎11 ①丹波国、日向守が働き、天下の面目をほど『信長公記』
【重史165】 ◎11 ①五ヶ年、一度も申し越さざるの儀、油断・『信長公記』
【重史166】 ◎12 ①信長家中にては、進退各別に候か。②三川『信長公記』
【重史167】 ◎12 ①先年、朝倉破軍の刻③甚九郎、覚悟の条々『信長公記』
【重史168】 ◎13 ①大まはしに、つもり候へば(大略を言えば)『信長公記』
【重史169】 ◎4 ①人間五十年②下天の内をくら(比)ぶれば、『信長公記』
【重史170】 ◎112 ③三月十一日④勝頼の頸⑤信長公へ御進上『信長公記』
【重史171】 ①義昭宝②天下の儀、何様にも、信長に任せ置かる「成簣堂」
【重史172】 ①抑も、天下を申しつくる信長に②口答申す輩、『信長公記』
【重史173】 ①佐久間、十津川の湯②惟任日向守、郡山城普「多聞院日記」
【重史174】 ①空然 人々御中②御朱印の趣も、元親御ため「石谷家文書」
【重史175】 ①三月五日、信長公、隣国の御人数を召し列れら『信長公記』
【重史176】 ①路地中、数千騎、惟任向州、多人数の由、 「兼見卿記」
【重史177】 ③駿・甲・信・上野、四ケ国の諸侍、帰参の御礼『信長公記』【重史178】 ①羽柴筑前・池田勝九郎両人、淡路島へ人数打ち『信長公記』
【重史179】 ③字の儀、信を遣はし候④信親、然るべく候「土佐国蠧簡集」
【重史180】 ⑥四国の儀は、元親、手柄次第に切り取り候へと、「元親記」
【重史一覧10】 181~200
【重史181】 ⑤阿波南郡半国、本国に相添え遣はさるべし 「元親記」
【重史182】 ②四月八日、三好笑岩楯籠る高屋へ取り懸け、 『信長公記』
【重史183】 ①同卯月十二日朝、友閑 長谷川宗仁 「天王寺屋会記」
【重史184】 ①三好笑岩②友閑を以て、御侘言、御赦免候ひし『信長公記』【重史185】 ①大坂を逃げ下る牢人ども③阿州勝瑞へ渡られ「吉田文書」3
【重史186】 ②伊予鷂、五居③隣国との干戈④惟任日向守「土佐国蠧簡集」
【重史187】 三好山城守、近日、讃州安富館に至り下国必定「吉田文書」6
【重史188】 ③淡州の儀、仰せ下さるゝ次第、心懸け致すべ「吉田文書」7
【重史189】 ①(秀吉に)頼み奉る②斎藤内蔵助方まで申し登せ「吉田文書」8
【重史190】 ①四国御儀は、某が手柄を②一圓、御請け申されず「元親記」
【重史191】 ①正月廿三日、惟任日向守に②京都にて御馬揃へ『信長公記』
【重史192】 ②京にては、馬を乗り遊ぶ⑤三好山城守、阿波へ「士林証文」
【重史193】 ①清水寺、羽柴筑前守・宮内卿法印・春長②酒宴「兼見卿記」
【重史194】 正月八日朝、安土に於いて 宮法御会 宗及「天王寺屋会記」
【重史195】 二月六日朝、 三好山城殿 一人 「天王寺屋会記」自
【重史196】 二月十日朝、 宮内卿法印、御出で 「天王寺屋会記」自
【重史197】 正月十日朝、惟任日向守殿会 宗二 宗及「天王寺屋会記」他
【重史198】 ①信長、御小姓衆五、六人召し列れられ、竹生島『信長公記』
【重史199】 ①惟任三人②長岡三人⑤橋立の文殊にて 「天王寺屋会記」他
【重史200】 ①二月廿八日③天下に於て、御馬揃へをなされ『信長公記』1/6
【重史一覧11】 201~220
【重史201】 ①一番、惟住五郎左衛門尉③三番、惟任日向守『信長公記』2/6
【重史202】 ①御馬揃の儀②参上せしめず候段、無念に存ずる「富田文書」
【重史203】 五月四日朝、羽柴藤吉郎殿・宮内卿法印御「天王寺屋会記」自
【重史204】 ①六月十二日朝、羽柴藤吉郎②播州ヒメジ「天王寺屋会記」他
【重史205】 ①羽柴筑前守秀吉③とつとり(鳥取)を取りまかせ『信長公記』
【重史206】 ①長宗我部方より③阿州表の儀申し越され「阿波国徴古雑抄」
【重史207】 ①権兵衛②生甚・明与四④野孫五の城に在城「黒田家文書」50
【重史208】 ③しちの城に在城候④先々の儀、示し合わさ「黒田家文書」51
【重史209】 ①阿州人質、志智に②小西弥九郎③讃州安富「黒田家文書」52
【重史210】 ①来島一書②木津・土佐泊④讃州敵引き退き「黒田家文書」53
【重史211】 ①因幡⑤十月廿五日、取鳥籠城の者、扶け出ださ『信長公記』
【重史212】 ①伯耆国に吉川罷り出で南条表取り巻くの由注進『信長公記』
【重史213】 ②阿・讃の儀、三好山城守、弥、仰せつけられ候「志岐文書」
【重史214】 ②毛利・吉川・小早川③一左右次第、参陣いたす『信長公記』
【重史215】 ①鳥取③惟任・長岡④一左右次第、出張すべく候「沢田文書」
【重史216】 ①歳暮の御祝儀、羽柴筑前守秀吉、播州より罷り『信長公記』
【重史217】 ①敵の警固船二百艘計り、罷り上るの処 「蜂須賀文書」
【重史218】 ①弟鷹一居到来候、遠路懇情喜び入②村上掃部頭「村上文書」
【重史219】 ①さる程に、大坂(石山本願寺)退城仕るべきの旨『信長公記』
【重史220】 ⑥本門跡、舟を乞ひ、四月九日、大坂を退出。 『信長公記』
【重史一覧12】 221~240
【重史221】 ①大坂本門跡、三使を以て、七月二日、御礼。 『信長公記』
【重史222】 ⑦蛛の子をちらすが如く、ちり々々に別れ候。 『信長公記』
【重史223】 ①四月廿四日、播州④但馬⑥両国、平均に候ヘキ『信長公記』
【重史224】 ②六月六日、因幡・伯耆両国境目に至りて相働き『信長公記』
【重史225】 ③四国へ渡海の舟ども、其の御用意、半に候。 『信長公記』
【重史226】 ⑤五月十五日、家康公、安土に至りて御参着。 『信長公記』
【重史227】 ①中国備中②高松へ取り詰め⑦惟任日向守、 出勢『信長公記』
【重史228】 ①五月十九日②幸若大夫③梅若大夫⑥世間の褒貶『信長公記』
【重史229】 ①五月廿日、徳川家康公御振舞の御②高雲寺御殿『信長公記』
【重史230】 ①五月廿一日、家康上洛②大坂・奈良・堺御見物『信長公記』
【重史231】 ①信長の長男(信忠)が都に到着②三河の家康殿 『日本史』
【重史232】 ①世子は再び全兵力を率ゐて日本の端「イエズス会日本年報」
【重史233】 ①次の日、廿七日に、亀山より、愛宕山へ仏詣。『信長公記』
【重史234】 ①廿八日、西坊②ときは今、あめが下知る五月哉『信長公記』
【重史235】 ③常に日本の人心を収攬し、 「イエズス会日本年報」
【重史236】 ⑤かへって益々傲慢となり、 「イエズス会日本年報」
【重史237】 ④漸次平和に帰⑤一般人民の心を収攬「イエズス会日本年報」
【重史238】 ③先年、遠江へ人数を遣(つかは)し候刻(きざみ)、『信長公記』
【重史239】 ①此の上は、いづかたの敵をたいらげ会稽を雪ぎ 『信長公記』
【重史240】 佐久間信盛折檻状 全文 1~19/19 『信長公記』
【重史一覧13】 241~260 №6-213
【重史241】 ⑦殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であっ『日本史』
【重史242】 ③二月廿三日、きりしたん国より黒坊主参り候。『信長公記』
【重史243】 ③七番、夕庵(せきあん)、山うばの出立にて。 『信長公記』
【重史244】 ③御馬大黒に召され、惣御人数廿七人。 『信長公記』
【重史245】 ④辰の刻より未の刻まで、めさせられ、 『信長公記』
【重史246】 ⑨天子御叡覧、御歓喜斜ならざるの旨、忝くも、『信長公記』
【重史247】 ⑥桟敷に似て、よく設備された立派な場所をわざわ『日本史』
【重史248】 ③巡察師も後を追って安土山に向かって出立した。『日本史』
【重史249】 ②信長は彼に城を見せたいと言って召喚するように『日本史』
【重史250】 ②セミナリヨをここに置くことを希望「イエズス会日本年報」
【重史251】 ①パードレは、当所に約一ヵ月間滞在「イエズス会日本年報」
【重史252】 ⑧この屏風は彼(信長)が非常に珍重す「イエズス会日本年報」
【重史253】 ⑥信長は・・・援助することを約束し「イエズス会日本年報」
【重史254】 ①我等に夜の祭を観せたことで 「イエズス会日本年報」
【重史255】 ②挑灯(ちょうちん)、余多(あまた)つらせられ、 『信長公記』
【重史256】 ⑤最大のもの・・・シナを征服する「フィリピン総督宛書簡」
【重史257】 ⑦(日本)征服が可能な国土ではない「フィリピン総督宛書簡」
【重史258】 ②信長は寺院を建立し、総見寺と名附「イエズス会日本年報」
【重史259】 ③甲斐国の王に対する戦争に出たこと「イエズス会日本年報」
【重史260】 ③一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、 『日本史』
【重史一覧14】 261~280
【重史261】 ①三月十三日、信長公、岩村より禰羽根まで御陣『信長公記』
【重史262】 ⑦家康公、身方ヶ原のきし道の一騎打ちを退かせ『信長公記』
【重史263】 ②武田四郎父子の頸・・・、御目に懸けられ候。『信長公記』
【重史264】 ①内藤・宇津の事③誅罰 明智十兵衛を指し越され「信長文書」
【重史265】 ①今度、其の国の案内者に付き、其の方の肝煎り「小畠文書」【重史266】 ④四郎、赤裸の躰にて、一身、北(に)げ入り候「上杉家編年」
【重史267】 ①三ヶ寺の事、大坂各別たるの旨、聞き届けお「誠照寺史要」
【重史268】 ①内藤・宇津②彼の両人に、一味の族これ有らば「小畠文書」
⇒ 次へつづく
